Category Archive: エッセー

9月 23

『わが愛しのOsaka Metro~💛』 アプリ「Otomo!」のエッセイ『大阪ストーリー』の最終回

大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)のアプリ「Otomo!」で2年半にわたって連載を続けてきました『大阪ストーリー』が今回をもって終了します。

それはぼくのエッセイの評判が悪かったのではなく(笑)、アプリ自体が10月26日でサービスを終えるからです。

2018年3月にアップした『路地は大阪の原風景、ええ塩梅や』から始まって、今回まで計16回、わが故郷の大阪について楽しく書かせてもらいました。

映画のふるさと、夏祭り、だし文化、昭和30年代の大阪を活写した父親の写真、なにわ伝統野菜、大阪の漁業、なにわ言葉……などなどホンマにいろんなテーマを取り上げました。

そして、締めのエッセイはちょっと忖度して(笑)、『わが愛しのOsaka Metro~💛』です。

ぼくの大阪愛が凝縮しています~(^_-)-☆

長い間、ご愛読、ありがとうございました!!

以下に全文を掲載します。

8月 20

南紀への小旅行~(^_-)-☆

18日~19日、和歌山・南紀へ小旅行に出かけました。

当初は日帰りの予定だったのですが……・(^^;)

〈1日目〉

お盆の休みは全く関係なく、大なり小なりずっと「オン」状態だったので、この日は頭を休めるため、完全に「オフ」の日。

朝、目覚めたら、突然、「岬での絶叫病」が再発し、すぐにJR天王寺駅へGo~🏃💨

何とか特急くろしお号に飛び乗れました~💨💦

いわば、衝動的です(笑)。

串本駅から町営の乗り合いバスに乗ると、何と運賃が無料でした~👍

コロナ禍による町民の負担軽減のためとのことですが、町民でないぼくもその恩恵に預かりました~(^_-)-☆

町営バスの車内はみな「身内」……

乗客と運転手はみな知り合い。

「わざわざ停留所に来んでも、うちの前で待ってたらええのに」

「〇〇さん、最近、見るとらんが、元気にやってるんかのう」

ほかほかムードがたまりませんわ。

そうこうしているうちに、本州最南端の潮岬に尽きました。

ここは約半世紀ぶりかな。

5年前、還暦の思い出に潮岬で叫ぶつもりが、インド最南端の岬(カニャークマリ)に大変更したので、ようやく実現の運びとなった次第です~😉

気温36度、雲一つない快晴。

でっかい、でっかい太平洋を背にして、思いっきり叫びました。

イェーッ~❗\(^-^)/❗

周りに誰もいないので、めちゃめちゃ大声が出た❗

もちろん、マスクなんか不要です。

あ~っ、気持ちよかった😃

潮岬観光タワーで、「本州最南端訪問証明書」をゲット!

コロナと無縁の世界、よろしおますな~😉

このあと潮岬灯台を見学。

そのあと町営バスで大島へ渡りました。

かつてはフェリーしかなったのですが、今では串本大橋ができてすぐに行けます。

大島は、明治23(1890)年、オスマン・トルコ帝国から特派使節として来日した650余人の将兵を乗せた軍艦エルトゥールル号が難破し、多大な犠牲者を出した地です。

そのとき地元の人たちによる救命活動は、トルコでよく知られており、それゆえ親日国になったといわれています。

2015年には、日本=トルコ合作映画『海難1890』も製作されました。

その悲劇を解説したトルコ記念館をじっくり見学。

窓から海を望むと、座礁した軍艦が見える仕組みになっています。

この軍艦、木造だったんですね!

当時、オスマン・トルコ帝国は衰退が著しく、欧米列強のように金属製の軍艦を建造できなかったのでしょう。

記念館のあと、すぐ近くにある樫野灯台に上り、雄大な太平洋とふたたび対峙しました。

しょうもないことを忘れてしまいますね!

灯台に行くまでにトルコの近代化に務め、今の「トルコの祖」といわれるケマル・アタチュルクの像と対面しました。

日本でこの人の銅像を拝見できるとは思わなかったです。

串本駅前行きの町営バスまで時間があったので、近くの喫茶店へ。

見るからに「昭和」丸出しのレトロなお店でした。

ビールでノドを潤しながら、70歳のママさんから亡き夫とののろけ話を聞かされ、危うくバスに乗り遅れるところでした~(^^;)

こちらの人、フレンドリーですね~(^^♪

このあと大阪へUターンするつもりだったのに、だんだん帰るのが邪魔くさくなり、結局、串本駅前のビジネスホテルにチェックインしました。

コロナ禍の今、飛び込みでも全くノープログラム。

宿泊客が数人だけみたいでした~😵

天然温泉や「Go To トラベル」も利用でき、ラッキー~😃💕

その天然温泉で汗を流し、気分一新、ホテル受付のお姉さんに地元の人しか行かけへんという居酒屋さんを教えてもらい、そこで美味な料理を堪能しました。

今日水揚げされたというマグロの造り&クジラの竜田揚げ。

とりわけカツオの塩辛がシビれた~👍

新宮の地酒、太平洋とよぉ合いましたわ~!

南紀といえば、マグロです!
クジラの竜田揚げもGOODでした
珍味……、カツオの塩辛

ネットの情報より、じかに仕入れた情報の方がいかに納得できるかということ。

海外の旅でもこれを踏襲してます。

まぁ、日帰りを止めて、ホンマによかったです~😉

居酒屋で美味しいモンを食べてから、釣りを楽しんでいる夜の漁港を散策し、締めでバーに足を運ぶと、店主さんが申し訳なさそうに……。

「すみません。コロナの関係で、一見さんと県外のお客様はお断りしています。どうかご理解ください。串本にはあと一軒、バーがありますが、同じ対応をさせてもらっています」

そういうことなんや~😅

厳しい現実に直面しました!

でも、これも旅情……、まったく気にしていません(笑)

そんなこんなで、1日目が終わりました。

〈2日目〉

ホテルをチェックアウト後、近くの喫茶店で朝食を取ろうとしたら、「県外の人の入店をお断りしています」の貼り紙。

ガーン!

朝からこれですか……。

まぁ、しゃないですね。

どう考えても過剰反応と思うのですが、お店の立場になると理解できます。

そこで自動販売機で買った缶コーヒーで済まし、電車で白浜へ向かいました~🚃💨

温泉が目的ではありません。

せっかく南紀へ来たのだから……、観光そっちのけで、博物学、植物学、海洋学、鉱物学、考古学、民俗学など幅広い分野で世界的に名をとどろかせた紀州出身の「知の巨人」、南方熊楠の世界に浸ろうと思いました。

ぼくを日本ペンクラブの会員に推薦してくださった和歌山出身の作家、神坂次郎さんの代表作『縛られた巨人―南方熊楠の生涯』を読み、俄然、この人物に興味を覚えていたのです。

円月島を眼下に望める番所山にある南方熊楠記念館へ。

熊楠が収集した鉱物、貝殻、粘菌などをじっくり拝見しました。

観光客の多い白良浜とはうって変わり、こちらはのどかです。

屋上からの眺めがことさら素晴らしかった!

ランチは円月島を望みながら、お造りの盛り合わせと地ビール~🐟

🍻

新鮮で美味しゅうございました~😃

白浜駅前から明光バスで紀伊田辺へ向かい、街中にある南方熊楠顕彰館と隣接する旧居に入りました。

熊楠が研究に耽っていた部屋は思いのほか資料が散乱しており、「ぼくとよぉ似ている」と妙に親近感を。

未知の物事に対する好奇心と探求心、それをとことん解明しようとする行動力と意欲に圧倒され、大いに刺激を受けました❗

資料倉庫です

博覧強記……、驚異的な記憶力は「写すことで覚えられる」を実践してきはったからなんですね~😲

やっぱり肉筆で書き込まなあかんねん。

思いのほか満足感を抱き、紀伊田辺駅から特急くろしお号に乗って天王寺駅への帰路に就きました。

日帰りから急きょ一泊になったけれど、心身ともにリフレッシュでき、熊楠さんからめちゃめちゃパワーをもらえた南紀への小旅行~😉

コロナ禍でも十分、旅を楽しめます。

潮岬へ叫びに行って大正解、ホンマ、充実した2日間でした~😉

7月 24

『上町台地をゆく~ママチャリで北から南へ縦断~』の後編:Osaka Metroのアプリ「Otomo!」にアップ中

Osaka Metroのアプリ「Otomo!」で連載しているエッセイ「大阪ストーリー」。

先日、アップされたのが『上町台地をゆく~ママチャリで北から南へ縦断~』の後編です。

「いくたまさん」(生國魂神社)からゴール地点の「すみよっさん」(住吉大社)へ。

どうぞ、ご笑覧ください。

5月 31

エッセイ~『上町台地をゆく(前編)~ママチャリで北から南へ縦断~』

大阪メトロのアプリ「Otomo!」で、隔月連載しているエッセイ『大阪ストーリー』。

先日、最新記事がアップされました。

テーマは『上町台地をゆく(前編)~ママチャリで北から南へ縦断~』。

ぼくの生まれ育ったところが、もろに「大阪の背骨」といわれる上町台地です。

新コロナ禍でややこしくなる前に愛車のママチャリで縦断しました。

前編が大阪城から生國魂神社(いくたまさん)まで。

後編が、生國魂神社からゴール地点の住吉大社(すみよっさん)です。

アプリを入れておられない方のために全文を掲載します。

3月 25

大阪弁……、やっぱ好きゃねん!

大阪メトロのアプリ「Otomo!」で連載している「大阪ストーリー」。

本日、新しいエッセイがアップされました。

タイトルは『大阪弁……、やっぱ好きゃねん!』

そのアプリを持っていない方のために全文を掲載します。

ご笑覧くださいませ~(^_-)-☆

1月 23

大阪市内で漁業!?

昨日、Osaka Metroのアプリ「Otomo!」で連載エッセイ「大阪ストーリー」がアップされました。

以下、全文です。

10月 19

エッセイ『なにわ、橋尽くし』

大阪市内の「橋」に絡んだエッセイを、大阪メトロのアプリ「Otomo!」で連載している前回の「大阪ストーリー」でエッセイとして書かせてもらっています。

ここに一挙、公開します。

10月 04

実は……、身近な上方伝統芸能~(^_-)-☆

大阪メトロのアプリ「Otomo!」で2か月に一度、「大阪ストーリー」というエッセイを連載しています。

現在、アップされているのが『実は……、身近な上方伝統芸能』。

アプリを利用されていない人のために拙稿を掲載します。

4月 24

法善寺の〈ヒロイン〉、お福さん

インバウンド(訪日外国人)や国内観光客、もちろん大阪の人たちも含めて連日、賑っているミナミの街中で凛とした雰囲気をかもし出している、そんな異空間が法善寺横丁だと思っています。浪花情緒とでも言いましょうか、レトロ感あふれる独特な風情がたまりません。路地(ろうじ)なのに、東京風に「横丁」としているのがなんとも面白い。

レトロ感が漂う法善寺横丁

Osaka Metroのなんば駅と日本橋駅のちょうど真ん中に位置しています。長さ80メートル、幅3メートルの小径が南北に2つ伸びているだけの狭いエリアに、居酒屋、小料理店、焼き鳥屋、串カツ屋、バーなどがひしめき合っています。古くからの暖簾を守っている老舗がまだ少なからずあるのがうれしいですね。明治時代には「紅梅亭」と「金沢亭」という2つの寄席小屋があったのだから驚きです。

ここに来ると、何はさておき法善寺の水掛不動さん(西向不動明王)にお詣りします。びっしり苔むしたお不動さんの顔、どんな表情だったのか、すっかり忘れてしまいました。その不動明王に水をかけ、縁結びと商売繁盛を祈願する人が絶えません。観光客の中には柏手を打ってはる人がいますが、ここはお宮さんとちゃいまっせ(笑)。

絵になる境内の入り口

参拝者が絶えない法善寺の境内

顔が判別できない苔むした水掛不動さん

法善寺横丁といえば、ちょっと古いですが、オダサクの愛称で知られる大阪生まれの大衆作家、織田作之助(1913~47)の代表小説『夫婦善哉』に登場するぜんざい屋を思い浮かべます。昭和30(1955)年に封切られた映画でもお店が出てきます。といっても、それは東京・砧の東宝撮影所のセットでしたが……。

同じ名前のその店は今、法善寺境内の南側にあります。しかし明治、大正を経て太平洋戦争で強制疎開するまで、北側の法善寺横丁と道頓堀に通じる、当時は極楽小路と名づけられた浮世小路の角に店がありました。

初代「めをとぜんざい」が店を構えていたところ

そこの飾り窓に大きなお多福人形が鎮座していたのです。大阪人はお多福のことを「おたやん」と言います。この店では親しみを込めて「お福さん」と呼ばれていました。まさに〈法善寺のシンボル〉。オダサクさんの随筆にもそう表現されています。今の小振りの「お福さん」は3代目です。

初代のぜんざい屋は明治16(1883)年、竹本琴太夫の芸名を持つ文楽の太夫、木(き)文字(もんじ)重兵衛さんが内職で創業しました。店のマスコットにと古道具屋でお多福人形を買い求め、お福さんにちなんで、店名を「お福」としたのですが、夫婦連れが多かったのか、いつしか「めをとぜんざい」の名で知られるようになりました。漢字ではなく、ひらがなというのが時代を感じさせますね。

ここからお福さんは実にドラマチックな人生を歩みます。法善寺の千日参りや寄席見物の人たちでぜんざい店は繁盛しました。ところが前述したように太平洋戦争時、強制疎開を余儀なくされ、木文字家の実家がある藤井寺の古室山(こむろやま)へ引っ越しました。

戦後、戎橋南詰でぜんざい屋を開いた人に貸し与えられましたが、すぐに店がつぶれ、再び木文字家の蔵へ。その後、ミナミの阪町で再興された「めをとぜんざい」を経て、法善寺境内の料亭で落ち着くも、昭和33(1958)年、三度、古室山へ引きこもってしまったのです。

このままずっと隠居生活が続くとお福さんは覚悟を決めました。ところが金融業者の手に渡り、のちに古物商に商売替えしてから、長らく上本町六丁目の店に飾られていたのです。なかなか買い手がつかなかった。それがミナミのてっちり店の創業者、青柳政二さんに買われ、あろうことか大阪から遠く離れた、北アルプスが望める新潟県境の富山県朝日町にある百(いっ)河豚(ぷく)美術館に展示されることになりました。

この美術館は古美術品収集家の青柳さんが昭和58(1983)年、ご自身の故郷に私財を投じて建てられたものです。「百河豚」とはフグを愛したこの人の号。日本と東洋の優れた陶芸品を多数収蔵していることで、マニアの間ではよく知られています。

一連の変遷を突き止めたぼくは無性にお福さんに会いたくなり、富山へ駆けつけました。彼女はぼくの顔を見るなり、「よぉ探し当ててくれはりましたなぁ」と笑顔で声をかけてくれました。頬が黒ずみ、松竹梅の絵柄をあしらった十二単(ひとえ)のうちかけも黒光りしていましたが、まだまだ現役といったたたずまい。室町時代の作ということですから、随分、齢を重ねてはるんですね。

笑顔で迎えてくれたお福さん

実は以前、木文字さんのひ孫さんからお誘いを受け、当時のぜんざいをご馳走になったことがあります。淡い黄土色をした2つの小鉢。そこにはひょうきんなお福さんの顔が描かれていました。その小鉢は貴重品ということで、ふつうのお椀でいただきました。小豆がやたらと多く、汁が透き通っています。それに白玉ではなく、小さめの角餅が2つ。驚くほど淡白な味で、甘さも控えめでした。

かつて「めをとぜんざい」で使われていた小鉢

角餅入りのぜんざい

「えらい上品な味やなぁ」

辛党のぼくでもあと4杯くらいはいけそうでした。オダサクさんもこのぜんざいを味わっていたのかと思うと、感無量になりました。

先日、法善寺を訪れ、水掛不動さんにお詣りしたあと、今のぜんざい屋の前に足を向けると、三代目のお福さんの声が聞こえてきました。

三代目のお福さん

「初代のお姐さん、元気でやってはりますかね。あのお方こそ、法善寺の〈ヒロイン〉でした」

12月 05

Otomo!「大阪ストーリー」のエッセー、『「昭和」の大阪へタイム・トラベル』

今回は身内話で申し訳ないのですが……。

13年前、85歳で黄泉の客人となった父親は、ぼくの生家でもある大阪市東区(現在の中央区)龍造寺町の長屋で印刷業を1人で営みながら、一時期、アマチュア・カメラマンとして大阪の街と人を活写していました。

撮影期間は昭和28年ごろから東京オリンピック開幕の昭和39年までの10余年間です。

現存する写真の中から30数点を、大阪市立中央図書館で『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~』(9月21日~10月17日)と題して展示させていただきました。

その中でぼくのお気に入りの写真が3点あります。

そこに写された場所が現在、どうなっているのか。

それを知りたくて探訪してみました。

1つ目は、昭和28(1953)年に撮影された旧関西電力春日出第二発電所(此花区西九条)です。

安治川と六軒家川が交わるところに建っていた巨大な石油火力発電所。

天空に伸びる8本の煙突が際立っており、見ようによって本数が変わるので、「おばけ煙突」と呼ばれていました。

大正10(1922)年、大阪電灯会社が建設したこの発電所は昭和34(1959)年に運転停止となり、建物が撤去されました。

なので、ぼくの記憶にはありません。

写真は安治川をはさんで対岸の港区波除から撮影したものです。

発電所は圧倒的な存在感を見せていますね。

手前の船は安治川を運航していた「三丁目渡し(渡船)」です。

これは昭和64(1989)年に廃止されました。

撮影場所は写真の情報からすぐに特定できました。

Osaka Metro中央線の弁天町駅から国道43号線沿いに北上し、安治川大橋の手前を右折したところです。

撤去された発電所跡に新たな火力発電所が建造されたのですが、それも平成15(2003)年に取り壊され、今はホームセンターになっていました。

まさに隔世の感……。

かつての渡船乗り場が建設工事中だったのが残念でした。

2つ目は「おもちゃの町」として知られる松屋町(中央区)で、玩具と駄菓子を仕入れる人の様子をとらえた写真です。

「松屋町」を「まつやまち」と言う大阪人はいません。

「まっちゃまち」です!

撮影された昭和35(1960)年当時、駄菓子屋のおばちゃんは風呂敷包みを背負っていたんですね。

時代を感じさせられます。

コマ、塗り絵、スポンジ状のキングボール……、懐かしの品々に涙が出てきそうになります。


      

この場所がはっきりわかりません。

とりあえずOsaka Metro長堀鶴見緑地線の松屋町駅で下車し、松屋町筋の西側舗道を北へ向かいました。

人形、スポーツ用品、花火、玩具の店が軒を連ねています。

300メートルほど歩いたところにレトロな雰囲気の玩具・お菓子店があり、心がときめきました。

   
「まだこんな店があるんや!」

この辺り、ぼくの小学校時代のテリトリーでした。

あのころ松屋町筋はこんな店舗ばかり。

下校途中、しょっちゅう店頭を冷やかし、店員さんから「銀玉鉄砲の玉ぐらい買ってよ」と言われていました(笑)。

その店に吸い込まれるようにして入り、初老の店主に「これ、どこかわかりませんか?」と写真を見せました。

「当時、アーケードを付けてたんはうちの近所だけですねん。これ、うちの店ですわ! 2人のおばちゃんが喋っているのは店の前ですな」

えっ! あっけなく判明しました! 

ほんまにびっくりしました。

やっぱり現場を踏まなあきませんね。

古い写真の松屋町筋の方が広く感じられるのは、通り沿いの建物が低かったからそう見えたのでしょう。

何はともあれ、58年前に撮影された店が今も健在であるのがたまらなくうれしかったです。

気分よく、松屋町筋を南へと逆戻り。長堀通を通過し、さらに千日前通を越え、しばらく歩くと、左手(東側)に目的地がありました。

源聖寺坂(天王寺区)です。

上町台地の西側にある「天王寺七坂」の1つ。

坂の入り口に浄土宗の源聖寺があるので、その名が付けられています。

昭和35年に撮影されたこの写真、構図が大好きなんです。

カゴを背負う右手の男性と坂の傾斜が絶妙なアンサンブルをかもし出しています。

服装と日差しから察すると、夏に撮られたのでしょうね。

左手の「旅館」の看板が気になりますが……。

石畳の坂をゆるりゆるりと上っていくと、途中から石段に変わります。

あと少しで上り詰めるところで立ち止まりました。

そこが撮影ポイントです。

現在、旅館の場所には一戸建て住宅が並び、右側の木造家屋は取り壊されて墓地になり、電柱の位置も変わっていました。

しかし左へ緩く曲がる坂の風情は変わっていません。

たまたまカップルが横を通りすぎたので、許可を得て撮影させてもらいました。

右手の住宅へ入ろうとした買い物帰りの主婦に父親の写真を見せると、えらい懐かしんではりました。

「うちの家、昔は旅館やったんですね。知らなんだ。昔の方が風情がありますね」

もう一度、撮影ポイントに立ちました。

約60年の時の隔たりを経て、今、息子のぼくがおなじ場所でカメラのファインダーを覗いている。

そう思うと、急に感慨深くなり、目頭が熱くなってきました。

被写体の今昔……。

たしかに見た目は変わっていました。

しかし、どんな時代であっても大阪の空気は永遠に不滅なんや。

それを実感させてくれた「タイム・トラベル」でした。

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