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10月 25

「大阪都構想」に対する私見です

「大阪市を廃止し、特別区を設置することについての投票」が1週間後(11月1日)に迫ってきました。

「都」にはならないのに(笑)、いわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票です。

ぼくは大阪市内で生まれ育ち、現在も西区で暮らしている純粋の浪花っ子です。

JR大阪環状線の外に出ると、ジンマシンが生じるほど「大阪色」が強いと思っており(笑)、理屈抜きにこの街が大好きです。

なので、大阪の将来像にはすごく関心を持っています。

かつて大阪市は日本で2番目、東京(23区)と比較できうる大都市として君臨していましたが、1970年の大阪万博以降、東京一極集中によって経済的のみならず、都市のパワーも衰えてきました。

人口も横浜市に抜かれ、今や3番目です。

このようにわが故郷が坂道を転げ落ちてきた姿をぼくは高校を卒業したころからつぶさに見てきました。

幼いころの大阪と随分、変わってしまったなぁ。何とかならへんのんかな……。

そこで大阪市についてあれこれ調べました。

以下、5年前の住民投票時にも触れたことですが……。

日本の県庁所在地になっている政令指定都市の中で、大阪市はとびきり狭いです。

223平方キロの中に約270万人が住んでいます。

ホンマにちっちゃい!

面積で見ると、札幌市が大阪市の5倍、横浜市が2倍、名古屋市が1.5倍、京都市が4倍、神戸市が2.5倍……。

京都市左京区の方が大阪市より広いんですからね(笑)。

東京23区は大阪市の3倍もあり、その広さをこちらに当てはめると、大阪市の周辺の市域をすべて呑み込んでしまい、人口も650万人ほどに膨れ上がってしまいます。

東京駅から寅さんで知られる葛飾柴又(葛飾区)までと大阪駅から石切神社(東大阪市)までの距離がほぼ同じなんですよ。

いかに23区が広いのかがわかっていただけるでしょう。

世界的にもこんな小さな大都会はありません。

ニューヨークは大阪市の3.5倍、ロサンゼルスは5.8倍、ベルリンは4倍、ロンドンは7倍、モスクワは11倍……、上海にいたっては何と28倍!!

かつてロンドン市は都心の一区域でしたが、それでは世界に冠する「ロンドン」にならないと判断し、大阪府に相当する「グレーター・ロンドン」を「ロンドン」としています。

まずはこの現状をしっかり踏まえる必要があります。

大阪府も全国で2番目に小さな府県なので(最小は香川県)、狭い大阪市と大阪府を一緒にすればええやん。

府域全体で「大阪」という同じ共同体になれば、存在感が出てくると考えられたのが、「大阪都構想」の根源ではないかと思うています。

ロンドンの模倣ですかね。

でも、いきなり一緒くたにはなれない。

ならば、東京を真似て、まずは大阪市を廃止して特別区にし、それを徐々に周辺に広げてゆき、やがて「オール大阪」にするという戦略なのでしょう。

その特別区ですが、東京では太平洋戦争最中の1943年、東京市を廃止して設置されました。

いわば、有事のどさくさ紛れに生まれた都市制度です。

これと同じなのが「大阪都構想」。

でも、東京23区は東京都の中で70%を占めているのに対し、大阪市は大阪府の中で30%ほどです。

そんな小さな大阪市だけを改革しても何もならへんのとちゃいますかね。

ぼくの本音(理想像)を言います。

生活のレベルが保て、いろんな意味で大阪が発展してほしいと切望しています。

そのためには、大阪府の核となるリーダー格の大阪市をパワフルなものにする必要があると思っています。

今のこぢんまりした大阪市では弱いです。

世界に太刀打ちできません(別にせんでええか~(笑))

大阪市民であるぼくの超エゴですが(笑)、大きな権限のある政令指定都市の大阪市に周辺の市が入ってくれればありがたい。

せめて今より2倍ほど大きくなれば、だいぶちゃうと思うんですが……。

問題視されている(ホンマかな?)府と市の二重行政はなくなりますからね(笑)。

例えば、吹田市なら大阪市吹田千里区、大阪市吹田江坂区……、東大阪市なら大阪市布施区、大阪市河内区、大阪市枚岡区……といった具合。

まぁ、戦前や戦後10年くらいまでなら、確固たる都市格を保っていた大阪市への編入に賛同する市が多かったと思いますが、今は嫌がられるでしょう。

それほど大阪市の魅力が下がってきているわけです。

大阪市民として切なく、哀しく、情けなく思うています。

で、ここからが核心部です。

ぼくは今回の住民投票では、「反対」票を投じます。

理由は以下の通りです。

(1)5年前、否決されたのに、何でまたやるのん!?

前回の住民投票で否決され、言い出しっぺのH氏が去りましたが、その後、知事選、市長選で「都構想」を推進する「大阪維新の会」の2人が当選し、民意が高まってきたと主張してはります。

その「勝つまでジャンケン」という姿勢が気に入りませんわ。

というか、民主主義的におかしいです。

EU(欧州連合)離脱を問うイギリスでの国民投票で、僅差ながらも「賛成」が上回り、離脱反対のメイ首相が「国民投票の結果を何よりも大事にしたい。それが民主主義の基本」と明言し、再度の国民投票をせず、離脱に向けて動き始めました。

そんなイギリスに比べ、大阪の場合、あまりにも住民の声を軽んじすぎています。

(2)政令指定都市をやめるのはもったいない!

大きな権限のある政令指定都市に昇格したくて全国各地の市が奮闘しているのに、何でその特権を投げうつ必要があるのでしょうか。

特別区は、中核市(豊中市や枚方市など)と同じくらいの権限があるそうですが、どうして「大」から「中」へと格下げせねばならないのかがよぉわかりません。

東京の23区(特別区)の中では、市への格上げを画策しているところもあるというのに……。

現在、大阪市を除く19の政令指定都市で、特別区を計画しているところは皆無です。

得するところがないからです。

やはり特別区は時代遅れかもしれませんね。

横浜市がめざしているように、市の力を拡大する「特別自治市」が時代に合っているような気がします。

まぁ、理想を言えば、大阪府=政令指定都市の大阪市となれば、ええんですが、これは反発を食らいますよね(笑)

(3)不透明な面が多いんちゃいますか!?

維新のパンフレット見ると、行政サービスと財源についてバラ色の将来像を掲げていますが、どれも曖昧模糊(推測の域を出ていない)としており、不安を覚えています。

スカッと見えてこないんです。

(4)何でコロナ禍の今、住民投票をせなアカンのん!?

現在、コロナ社会の異常な状況下です。

アメリカ大統領選挙は4年に1度と憲法で定められているので、11月3日に実施されるのは納得できます。

それに対し、今回の住民投票は意味合いが異なります。

法律で実施時期が決められておらず、議会が勝手に実施日を決めただけです。

コロナ対策で行政がてんてこ舞いになっているのに、もし「都構想」が賛成されれば、物理的にその対応に対処できなくなり、引いては住民サービスの低下につながりそうに思えます。

どうしても住民投票をやりたいのであれば、社会が落ち着いてからにしなはれ!

(5)外国籍の人、大阪市に隣接する市の住民が投票でけへん??

大阪市内には同じように税金を払って暮らしている外国籍の人がぎょうさんいてはります。

その人たちにとっても大事な問題なのに、投票権がないのはおかしいです。

それと、もし「都構想」が実施されたら、大阪市に隣接する市が住民投票をせず、議会だけの採決で特別区に移行する可能性があります。

だから、大阪市民だけの問題ではないんです。

いや、隣接する市だけでなく、大阪府全体に関わってくるので、府民投票にすべきやとぼくは思うています。

(6)「大阪維新の会」が主導しているから!?

大阪の文化を壊していった維新に不信感を抱いています。

文化を軽視する政党に大阪を任せている現状が息苦しいです。

    ☆     ☆     ☆     ☆

以上、「大阪都構想」に対するぼくの私見を述べさせてもらいました。

9月 13

亡き恩師、坂本先生を偲んで……

今から半世紀以上前、大阪・天満橋にあった大阪市立東中学校で3年次の担任だった坂本寿栄子先生が黄泉の客人になられました。

よく怒ってはりましたので、あだ名は「エレキばばあ」(笑)

反逆精神と気骨ある国語の先生でした。

きのう、娘さんから封書で訃報が届き、吃驚しました。

4月19日に亡くなられ、享年、102。

2時間前までふつうに喋り、スープを飲んでおられたというから、大往生ですね。

東中(とうちゅう)は大阪でもとびきりの進学校で、勉強、勉強、勉強……ばかり。

めちゃめちゃ窮屈な校風だったので、ぼくは正直、なじめなかったです。

校区のトップ校、大手前高校に進学するための予備校みたいな感じで、ぼくはそれに反発して受験勉強を途中から放棄し、学園紛争で定員が割れていた清水谷高校を選びました。

もっとも大手前に行く学力がなかったのですが(笑)、自由な校風の清水谷に進学して、心底、よかったと思うています。

みんなと同じことをするのが大キライなぼくは、勉強はそこそこにして、陸上部の活動(走り幅跳び)とプロレスごっごに明け暮れていました。

そんな浮ついたぼくに坂本先生はずっと寄り添ってくれはりました。

プロレスごっごでケガをするたびに、「ホンマにええ加減にしときや!」と頭をはたかれ、えらい叱られましたが……。

夏の全日本放送陸上競技会のことが忘れられません。

校内の実力テストの日と重なっていたのです。

ぼくは絶対に試合に出場すると決めており、先生も承諾してくれはったのに、学校のトップから「出場はまかりならぬ!」と命じられ、やむなく辞退しました。

ホンマに無念で無念で、本気で泣きました。

そのとき先生が涙ながら、こう言うてくれはったんです。

「私もめちゃめちゃ悔しい。せやけど、社会に出たら、納得のいかんことがもっともっとぎょうさんある。この悔しさをバネにして、強くなりなさい!」

中学卒業後は疎遠になりましたが、社会に出て新聞記者になってから、時々、連絡を取り合うようになり、たまにご自宅にもお邪魔させてもらいました。

先生のご主人は新婚時代に南太平洋のニューギニア戦線へ出征され、戦死されました。

ごく短い結婚生活……。

後年、遺骨収集のため、現地へ赴いたことを手記にまとめられ、それをぼくが古巣新聞の紙面で紹介したこともありました。

新聞社を辞めたときはさすがに心配されましたが、ケルト文化の話をすると、目を爛々とさせて聞き入ってくれはりました。

すごい好奇心の持ち主です!

「エコ贔屓する先生や」という声も聞かれ、ぼろクソに言う同期生もいました。

でも、ぼくにとっては、めちゃめちゃ怖くて、そしてめちゃめちゃ好きな恩師でした!!

娘さんの文面に「母、自慢の生徒さん」と記されているのが、何とも気恥ずかしい。

まぁ、そう思っていただけたのがすごくうれしいです。

先生、ありがとうございました!

先生と出会えてよかったです!

間違いなく、ぼくの人生に大きな重しを与えてくれはりました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

8月 28

甲子園でフィーバー~(^_-)-☆

きのう、今季初の甲子園でした~🎵😍🎵

毎年、懲りもせず、年に10回程度、甲子園(あるいは京セラドーム大阪)へ足を運び、わが阪神タイガースを応援しているのですが、今年は新型コロナ禍で開幕が遅れ、しかも観客を5000人以下に制限されたので、まったくチケットをゲットできませんでした。

ところが、プロ野球の神サンがチケットを授けてくれはりました~❗

ホンマは、馴染みのバー天神橋サンボアさんの常連客から回ってきたものです。

ラッキー😃💕

ありがとさんです❗

試合前、サンボアさんでチケットを受け取り、ビール・ベースのカクテル、レッド・アイを気付けでグビリとやり、いざ甲子園へ~🏃💨

8月の後半になって初めて甲子園というのは、ぼくにとっては前代未聞のこと。

夕立ちが上がり、視界が良好になった球場。

やっぱりここで飲むビールは最高でした~🍻

ゆったり観戦できるのはありがたいですね。

アルプス席が閉鎖され、何だか幼いころに行ったガラガラの甲子園にタイムスリップしたみたい~😆

でも、あの熱気がないのは何とも寂しい限り~😢

まぁ、贅沢言わんと、ジェントルマンの斉藤さん(天神橋サンボアの常連さん)と一緒に阪神の3タテを願って、しっかり応援しました~✌️⚾🐯

頼れるサンズが逆転3ランとソロホームランを連続で放ち、6対3で中日に快勝。

この直後、会心の3ランでした!! 画像がブレていて、すんません!

中日に3タテし、単独で3位に浮上しました。

ジェット風船も六甲おろしの熱唱もダメで、消化不良気味でしたが、ええ塩梅で勝利を収め、素晴らしいひと時を過ごせました。

もう1回くらい甲子園に来れるかな……(^^♪

8月 21

恩師、山崎正和先生、永眠……

文化勲章を受章された大学(大阪大学文学部美学科)のゼミ教官、山崎正和先生が19日に黄泉の客人になられていました。

享年、86。

昨年3月のお誕生日会では、かくしゃくとされておられました

劇作家、評論家として多大な功績を残されましたが、全くブレのない一本筋の通ったところがまばゆく感じられました。

保守の論客……。

飲み会の席で、酔いに任せてこんなことを言いました。

「先生と違って、ぼくはリベラル派で、ちょっと左がかっています」

すると、笑みを浮かべてこう返してくれはりました。

「純粋な学問にはイデオロギーは関係ないよ」

この春、先生の教え子が集う恒例のお誕生日会がコロナで中止となったのが残念でした。

ゼミをちょくちょくサボり、おそらく一番の劣等生であったであろうぼくを根気よく指導してくださり、ホンマにご迷惑をおかけしました。

以前、投稿しましたが、1984年に先生が吉野作造賞を受賞されたとき、ぼくは古巣新聞社の科学部記者で守備範囲外だったのに、あえてインタビューさせてもらいました。

この記事で、少しはご恩返しができたかなと思っています。

ご冥福をお祈り申し上げます。

そして、ホンマにありがとうございました❗

合掌……。

8月 15

敗戦75年……

「焼夷弾が雨あられのように降り注ぎ、あわてて子たちと一緒に防空壕へ走った。空襲が終わり、外に出たら、町がほとんど焼かれていて一変してた。焼死しはった人もぎょうさんいた。女学校(現在の清水谷高校)に爆弾が落ち、何人か亡くなったんや」

「防空壕で亡くなった人がぎょうさんいたから、次の空襲では上六まで駆けつけ、百貨店(現在の近鉄百貨店上本町店)へ逃げ込んだ。ホンマに怖かった」

ぼくが大学1年の時、83歳で亡くなった祖母が、晩年になって時々、思い出したように戦時中の話を喋ってくれました。

長いこと同居してましたから。

祖父とは昭和4年に死別しており、オヤジさんと長兄は出征していたので、祖母が3人の子と清水谷高校近くの長屋(大阪市中央区)で暮らしていたそうです。

戦後、復員してきた父と兄が働き手となり、祖母もいろんな仕事に就き、一家5人が一丸となって厳しい生活を乗り越えていきました。

敗戦75年目の今日、気丈な明治女のおばあちゃんのことがふと思い出されました。

8月 11

けったいですね……( ;∀;)

風邪を引いたり、病気になったりした人に対して、「お大事に❗」、「お大事になさってください」というのが人間として当たり前ですよね。

ところが新型コロナの場合、感染するや、白い目で見られがちで、「お大事に❗」の言葉はおろか、差別意識まで芽生えてしまいます。

陽性の段階ですら、「犯罪者」扱いにされるケースもあります。

恐怖心が先立つのでしょうかね~😵

ふつうの風邪、コロナより強烈なインフルエンザと同じように、誰でも罹患する可能性があるんですから、そろそろ新型コロナを「特別視」するのを止めて、ホンマに冷静にならなアカンと思います~👍

もっと恐ろしい病気がぎょうさんあるんですから~❗

7月 23

『ザ・NINJA・クイズ』、最後の「番外編」

読売新聞奈良版でうちの嫁さんが19年間続けてきた『ザ・NINJA・クイズ』。

2週間前、連載が450巻で終わることを投稿しましたが、その「番外編」(22日付け)の掲載紙が先ほど奈良支局から郵送されてきました。

最終回の応募総数が341通もあり、クイズの終了を惜しむコメントがぎょうさん寄せられていました~😁

これでもって正真正銘、フィナーレです。

再度、お疲れさんでした~❗

彼女が心を込めて読者の方々に向けたメッセージ(つぶやき?)を読んでやってください~(^_-)-☆

*イラストの本人像……、これ、ウソです(笑)。実物はかなりスリム~😅

7月 12

秋にケルトの本を上梓します~(^_-)-☆

新型コロナ禍で海外の読み物が逆風にさらされている中、何とかヨーロッパの「ケルト」の本を出せることになりました~❗

やれやれ~😉

ライフワークの「ケルト」に関する自著は、『スコットランド「ケルト」の誘惑~幻の民ピクト人を追って』(言視舎)以来、7年ぶりです~❗

すでに初校ゲラが届き、目下、チェック作業に専念しています。

だから甲子園に行けませんねん~😅

秋には上梓できそう。

懐かしの自費出版本『スコットランド気まま旅』(1990年)を含めると、これで23冊目~✌

全編、自分の足で稼いだ「現場主義」の賜物です。

いずれ詳しく報告させてもらいます~😉

7月 08

「新しい生活」~???

新型コロナウイルス禍によって「新しい生活(社会、日常)」が叫ばれていますが、ぼくはその言葉(考え方、認識)にめちゃめちゃ違和感を抱いてますねん。

昨夜、NHK・BS『アナザーストーリー選「マンデラと“ゆるし”~アパルトヘイトとの闘い~」』(再放送)を見て、その思いをいっそう強くしました。

白人優位社会からあらゆる人種の共存社会へ……。

そのことを新生南アフリカの指導者マンデラが「新しい社会、生活を!」と訴えていました。

ガンジーも英国からのインド独立時に同じことを言うてはりました。

軍事政権を倒した、世界でいちばん貧しいウルグアイの元大統領ムヒカさんも……。

それは相当な覚悟を持って、国の新しい秩序を構築するときにこそ使うべき言葉だと思います。

何が言いたいのかというと、コロナ以降の日常は「新しい生活」でも何でもなく、「不自然で不健全きわまる生活」だということ。

換言すれば、居心地の悪いややこしい生活であり、あくまでも、「非常(異常)事態における〈一時的〉な生活」とぼくは受け止めています。

人の営みの根幹ともいえる「3密」を避けなければならないという今の状況は明らかに不健全です!!

こんな状態がずっと続いたら、社会が歪になり、人間性も阻害されてしまいますよ。

だから、安易に「新しい生活」と規定してほしくないんです。

皆、右へならへ~、こんなん大嫌い~(>_<) 近い将来、マスクなしで、当たり前のように人と人が膝を交えて語り合えていた元の普通の生活にきっと戻るはずです。 あのスペイン風邪の時でもちゃんと戻ってました。 とにかく、今は我慢して、一日も早く元の日常に戻さなあきません~!!

6月 27

ぞろ目、66歳になりました~(^_-)-☆

今日、誕生日を迎えました。

これからも引き続き、「ICI」でやっていきます。

わかりますか?

「イチビリ」、「ちょか」、「いらち」

大阪人以外の人には理解しにくいかもしれませんが……。

最後の「いらち」は余計かな。

ということで、よろしゅうお願いします。

イェーツ~(^O^)/

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