旅も早、10日目(4月18日)に突入。
午前9時、入館時間と同時に一番乗りで聖ヨハネ大聖堂(16世紀に建立)に入りました。
大聖堂の外観は地味なのに、内部の荘厳さに圧倒され、足がすくみました。
ハイライトは、イタリアで殺人を犯し、マルタへ逃れてきた天才画家カラヴァッジョの巨大な宗教画です。
小礼拝堂の正面に飾られた『洗礼者ヨハネの斬首』。
マルタ滞在中の15か月の間に描いた彼自身の最大の作品です。
右側の『聖ヒエロニズム』と十字架に描かれたキリストの磔刑図もそうです。
前回(15年前)、マルタを訪れた時、長蛇の列だったので、入館を断念したので、今回、リアルで拝見でき、すごくうれしかったです!
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このあとバスでヴァレッタの対岸にあるカルカーラ(Kalkara)の町へ。
マルタは見た目あまり変わってないと言いましたが、実はめちゃめちゃ変わっていたモノがありました。
それは公営バスです。
マルタと言えば、白とオレンジ色に塗られたひと昔前のイギリス製のレトロなバスが有名だったのに、それがすべて2011年に廃車になり、全く個性のない今風のバスになっていました。
あゝ、残念極まりない~
前回、撮影した時のバスを列挙します。
今はバスターミナルもすっきりしていて、バスも新型車両です。
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カルカーラへ向かったのは、英連邦海軍墓地にある旧日本海軍の墓を見るためです。
第2次世界大戦ではなく、第1次世界大戦中、日英同盟により、イギリスからの要請で、大正6(1917)年、日本の駆逐艦8隻からなる「第二特務艦隊」が地中海へ派遣されました。
第1次世界大戦は、欧州大戦とも呼ばれ、日本にとっては「対岸の火事」で、中国にあるドイツ領の青島(チンタオ)を攻略したくらいでした。
それがヨーロッパまで遠征していたと知り、ぼくは吃驚しました。
前回、マルタを訪れた時、その史実も、墓のあることも知らず、数年前にようやく知り得た次第。
戦時中、地中海はドイツの潜水艦が跋扈しており、英仏伊の艦船が甚大な被害を受けていました。
そこで特務艦隊は、イギリス領のマルタを拠点に、輸送船の護衛、負傷者の救出と搬送、さらにドイツ潜水艦への攻撃といった任務に当たり、すこぶる大活躍したことから、「地中海の守り神」といわれたそうです。
その任務の過程、ドイツの潜水艦によって59人が犠牲になり、戦病死者を合わせ、71人がこの墓地に葬られました。
英連邦海軍墓地となっていますが、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった英連邦諸国のみならず、フランス、ポーランド、イタリア、ドイツ、そして日本の戦没者約1000人が眠っています。
敵国の兵士も入っているのが信じられませんね。
第2次世界大戦や各地の紛争で命を失くした人も含まれているそうです。
驚くほど静かで、野鳥のさえずりしか聞こえてきません。
旧日本海軍兵士の墓は一番奧にあり、墓石にこう記されていました。
「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」
墓石の横には、戦没者の名前が刻まれています。
日本語表記の説明版もありました。
受付の来訪者記載ノートを見ると、当然ながらイギリス人が一番多いですが、日本人もそこそこ墓参していました。
この史実は戦争秘話と思っていたのに、すでにいくつか出版化もされており、意外と知られた話かもしれませんね。
自衛隊が墓を管理しているらしいです。
それでも、日本からはるか離れた地中海のマルタでこんな墓と向き合うと、何とも感慨深かった……。
合掌。
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墓地から北に向かっててくてく歩き、海に突き出たリカゾーリ砦へと歩を進めました。
そこはマルタ撮影所になっています。
『グラディエーター』や『トロイ』など古代のスペクタクル映画が撮影されたところ。
よく目にする撮影所とは全く異なり、砦そのものです。
中へ入ろうとすると、守衛のお兄さんに呼び止められました。
「アカン、アカン、入れませんねん。関係者以外は立ち入り禁止ですねん」
日本からわざわざやって来たと言うと、申し訳なさそうな顔をしながら……。
「いつか見学できるようにするみたいですよ」
はて、どうなんでしょうかね。
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マルタ最後の夜だったので、郷土料理のウサギの煮込みをいただきました。
ウナギとちゃいまっせ。
兎肉は鶏肉よりも柔らかく、しかも深みがあり、ソースはデミグラスソースのように見えますが、かなりハーブを使っているようで、独特な味わいです。
濃厚なマルタ産赤ワインとよく合いました。
この美味さ、かなり偏差値が高いです~!!
値段もちと高かったですが~(笑)
食べ終えた瞬間、跳び跳ねましたがな。
そんなアホな。
ディナーのあと、ヴァレッタの夜景を楽しみました。
素晴らしい景観でした!!
この風景は普遍的ですね。