昨夜(16日)、無事、マルタの首都ヴァレッタに到着し、老舗ホテルチェックインできました。
大きなキー、そのカギをガチャガチャして開ける手動の扉、薄暗い廊下……、どれを取ってみても、ひと昔前のイギリスのホテルにそっくりでした。
朝、目覚めると、マルタ晴れ、気温が15度くらいで最高の天気です。
マルタへは15年ぶりの再訪。
2008年、夫婦二人三脚でやってきた「ケルト」紀行シリーズ全10巻を完成させ、その自分たちへの褒美と慰労を兼ね、一緒にバカンスでマルタを訪れ、この地がいたく気に入ってはりました。
見た目はあまり変わっていませんが、前回、宿泊したBRITISH HOTELが廃業になっており、看板だけが残っていたのがすごく切なかったです。
嫁さんお気に入りのホテルだったので、ここだけは旅立つ前に予約を入れようと思ったのですが、それが叶わず、残念でした。
まぁ、致し方なしです。
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朝、爽やかな潮風を受け、ゆるりゆるりと散歩し、ひと気のない浜辺で、旅の最大の目的を成し遂げました~!
嫁さんの遺骨(一部)の「散骨」です。
生前、「もし私の方が早く死んだら、地中海に散骨してね。できればマルタの海に」と酔った時、しばしば言うてはりましたから。
目の前には、緑の海藻がへばり着いた岩の海岸。
柔らかく、しなやかに波が打ち寄せてきます。
まばゆく輝く地中海はどこまでも穏やか。
海水に手を浸すと、思いの外温かい、しかしかなり塩辛い(しょっぱい)。
「ほな、やるで」
声をかけ、ビニール袋に入れていた遺骨(遺灰)を海に振りまきました。
風にあおられ、一部は宙に舞ったけれど、やがて落下し、波間に吸い込まれていき……。
言葉に尽くせぬほど厳かな気持ちになり、あふれ出る涙を押さえることができませんでした。
涙をぬぐい、しばし海に向かって合掌。
そして、周りに誰もいなかったので、大声で呼びかけました。
「はっちゃん、ちゃんと約束、果たしたで~ 」
すると……。
「おおきに、ありがとう~ 地中海で思う存分、泳ぐわ」
嫁さんの声がはっきり聞こえてきました。
2023年4月17日午前10時半、マルタでの散骨。
ミッション、完了です。
この情景と想いは棺までしっかり持っていきます。
心身の「重し」が取れたようで、ちょっと吹っ切れた感じです。
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マルタは、淡路島の3分の1の大きさで、人口約52万人の小国ですが、地中海のど真ん中という立地ゆえ、戦略的に極めて重要でした。
なので、かつてフェニキア、ローマ、ビザンチン(東ローマ)、ノルマン、シチリア、聖ヨハネ騎士団(のちにマルタ騎士団)、オスマントルコ、フランス、そしてイギリス~と次々に支配を受け続けてきました。
その中で、最も影響を与えたのがフランスのナポレオンの軍隊を追っ払ったイギリス(大英帝国)です。
何せ1800年から1964年に独立するまで、164年間もイギリス領(保護領)でしたから。
独立したのは前の東京オリンピックの時だったんですね。
駐屯していたイギリス軍が去ったのが1979年。
西のジブラルタル、東のアレクサンドリア、そして真ん中のマルタ。
地中海の重要拠点をイギリスが押さえ、この地域の制海権を完全に牛耳っていたんです。
本国と原料生産地のインドとを結ぶ重要な経由地でもあり、まさに大英帝国の大動脈の一部でもありました。
こうした事情から、大英帝国の遺産がマルタには濃厚に残っています。
公用語が、マルタ語と英語で、国民はみな流暢にイギリス式の発音で話してはり、街中の表記もそうです。
現在、英語留学で人気がありますね。
車は左側通行で、イギリス(日本)と同じ。
電気のプラグも英国式の三股で、あの赤い公衆電話ボックスが使われていました。
ソーセージも限りなくイギリスっぽい。
観光客はイタリア人に次いでイギリス人が圧倒的に多く、泊まったホテルで朝食を食べていると、イギリス英語がわんさと聞こえてきて、イギリスにいるような錯覚に陥りましたよ。
シチリアからこちらに来ると、一気に熱気が薄らぎ、穏やかな空気に浸れるのはそのためでしょうかね。
どこか街に落ち着きと風格が感じられるんです。
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前回、マルタのほぼ全土を踏破したので、今回は、ぼくが興味を持っているイギリスとの絡みに焦点を絞りました。
散骨を済ませてから、まずは首都ヴァレッタの最南端、セントエルモ砦にある国立戦争博物館へ。
そこはかつてイギリス軍の基地があったところです。
館内で一番、展示に力が注がれていたのが第2次世界大戦のコーナーでした。
英仏に宣戦布告したムッソリーニのイタリア空軍がいきなり英国領のマルタを空爆し、以降、ドイツ空軍も加わり、マルタのイギリス軍は防戦に追い込まれました。
全島での空爆は、何とロンドンに落とされた爆弾よりも多かったそうです。
アレック・ギネス主演のイギリス映画『マルタ島攻防戦』(1953年)は、かなり忠実に再現されていますね。
苦難の末、監視システム、英空軍(RAF)や海軍による防戦態勢、そして市民の協力があり、マルタはファシズム国家から守られたのです。
マルタ人のイギリス好きはこんなところから来てるんですね。
ここはヴァレッタの最南端と知り、またもや叫びました(笑)
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ちょっと気分を変えるため、考古学博物館に立ち寄りました。
ひょっとしたら、古代ケルトとの絡みがあるかもしれないと淡き期待をいだいていましたが、案の定、なかったです。
でも、ケルトの人面像や渦巻模様を記した展示品を見ることができ、満足、満足。
それに絵画の修復作業を撮影できましたし(盗撮ですが(笑))。
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次に戦時中、イギリス軍の司令部が置かれた地下室を訪れました。
現在、カスカリス戦争記念館になっています。
地下深く掘られたところにあり、長いトンネルを歩いて行くと、右側に入り口。
オペレーションルーム、暗号解読室、伝令室、会議室、司令官室、電話交換手の部屋、談話室などが再現されていました。
空爆を受けてもびくともしなかったそうです。
ブックショップには、マルタ攻防戦や戦争に関する書物がズラリ。
戦勝国ゆえ、いささか戦争を賛美しているような気がして、げんなりしましたが……。
同時に、戦争は絶対アカンと改めて思った次第です。
ここはヴァレッタの最南端と知り、またもや叫びました(笑)
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晩御飯はカレーでした。
何でマルタに来てカレーやねん!?
ヴァレッタの街中にフード・マーケット(フード・パーク)ができていて、冷やかしに覗きに行ったら、世界各国の料理の店が入ってました。
どういうわけか、日本料理はなかったです。
オモロイな~とキョロキョロしながら散策していると、カレーの匂いが……。
ぼくは最低、週に1度はカレーを食べたくなる「カレー中毒」なので、この匂いを嗅ぐと、もうあきまへん。
体が勝手に反応し、フィッシュ・カレー(ナン付き)をオーダーしていました。
美味かったなぁ~