こんな生き方もあるんですね。
ぼくにはとてもできませんが……。
過酷な時代を生き抜く処世術でしょうか。
素晴らしい人間ドラマでした。
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自分を偽り、仮面を被って別の人物になりすます。
何と苦しい生き方。
そこからいかに脱却し、アイデンティティ(自己存在)を獲得するか。
そのひたむきな姿を、予期せぬ変化球で斬った人間ドラマである。
タキシードに身を包み、てきぱきと、それでいて余裕綽々と食事を運ぶ。
一切、感情は出さない。
アイルランド・ダブリンのホテルに勤めるアルバート・ノッブスは非の打ち所のないベテランj給仕だ。
ただ、どこか尋常ではない。
他の従業員と距離を置き、常に自分の殻に閉じこもっている。
何かを恐れているようにも見え、独特な〈オーラ〉を全身から放つ。
コロンビア人のロドリゴ・ガルシア監督は、主人公を覆う謎のベールを巧みに剥がし取る。
それも興味本位ではなく、そっと寄り添うように。
ノッブスの秘密が明るみになるや、疑問符が頭の中にいくつも浮かんだ。
なぜ虚構の世界でしか生きられないのか。
瞳に哀しみを湛えているのに、なぜ揺るぎない自信を覗かせるのか。
時代は19世紀末。
全土に貧困がはびこり、職を失えば、物乞いするしかない。
容赦のない過酷な社会。
それが弱者を追い詰める。
そんな状況でも、いやそうだからこそ確固たる信念を持つ人間は強い。
どんな辛苦でも耐えられるから。
その象徴がノッブスなのだ。
主人公に生きるヒントと勇気を与えた大柄なペンキ屋ヒューバート(ジャネット・マクティア)の存在が際立つ。
太っ腹で鷹揚な性格。
グイグイ惹きつけられた。
他の登場人物の描写も申し分ない。
この物語を舞台で演じたアメリカの名女優グレン・クローズが30年かけてようやく映画化にこぎつけた。
製作、脚本も手がけ、まさに渾身の1作だ。
彼女の一世一代の演技は圧巻のひと言に尽きる。
1時間53分
★★★★(見逃せない)
☆1月18日(金)大阪ステーションシティシネマ にて公開
2月2日(土) 京都シネマ、元町映画館 にて公開
(日本経済新聞2013年1月11日夕刊『シネマ万華鏡』。ブログへの掲載を許諾済み。無断転載禁止)