大島渚監督が亡くなられました。
享年、80。
ぼくにとっては、大阪・釜ケ崎(アイリン地区)を舞台にした『太陽の墓場』(1960年)が大島映画の原点でした。
商業映画のカメラがかの地区に堂々と入って撮影したのは、おそらくこの映画が初めてかもしれません。
でも、一番印象深い作品は『戦場のメリークリスマス』(83年)です。
戦時下の捕虜収容所での日英の将校に芽生えた妖しい感情を見事に映像に焼き付けた異色作。
大島監督への追悼の意を込め、この映画について綴った拙稿をアップします。
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『戦場のメリークリスマス』~東洋と西洋の軋轢を描いた異色作
エキゾチックと言おうか、独特なメロディーが南洋の熱帯雨林にかぶさる。
ミュージシャン坂本龍一が創作したメインテーマは一度耳にすれば、決して忘れられない。
映画もじつに不思議な空気に満ちあふれていた。
戦闘シーンが皆無で、男性しか登場しない戦争映画。
大島渚監督が渾身の力を込めて撮った異色作だった。
第2次大戦中のインドネシア・ジャワ島。
日本軍の捕虜収容所には連合国軍の将兵約600人が劣悪な環境下で暮らしている。
所長のヨノイ大尉(坂本)は日本軍人の鑑のような男で、非常に清廉潔白だが、捕虜に対して日本人の価値観、つまり大和魂や武士道を押しつける。
当然、捕虜たちは困惑し、反発する。
ヨノイの忠実な部下ハラ軍曹(ビートたけし)は容赦なく彼らを虐げ、ゾッとするような残虐性をのぞかせる。
そこに日本軍の人権を無視したおぞましい体質をあぶり出すが、イギリス陸軍少佐セリアズ(デヴィッド・ボウイ)の登場によって映画は複雑な様相を見せる。
セリアズは百戦錬磨の勇敢な軍人で、ハッとするほどの美男子。
軍事裁判所でヨノイが彼をひと目見た瞬間、強く惹かれる。
ゲリラ戦を指導した罪でセリアズは死刑を宣告されたのに、ヨノイは助命を請願し、自分の収容所に連れてくる。
明らかに個人的な感情に基づくものだった。
セリアズはしかし、そのことを知ってか知らずか、収容所内で毅然とした態度をとり続け、ヨノイの命令にことごとく歯向かう。
彼ら2人の関係を軸にして、映画は日本人とイギリス人のモノの見方や考え方の違い、西欧に対する日本人の反感と憧れを浮き彫りにしていく。
そこからさらに東洋と西洋の軋轢、愛憎という大きなテーマへとつなげていく。
原作者ヴァン・デル・ポスト(南アフリカ出身のオランダ系イギリス人)の体験を基にした物語である。
生きて虜囚の辱めを受けず。
それを軍人の精神とするハラ軍曹には、捕虜の存在が理解できない。
「どうして死ななかったのか」
日本語を話すイギリス陸軍中佐ロレンス(トム・コンティ)に問いかけるも、「捕虜は恥ずかしいことではない。捕虜になっても戦い続ける」という返答を聞き、頭をかしげる。
水と油のような両者の関係。
クライマックスのこの場面が圧巻だ。
ヨノイが捕虜の全員を集合させ、厳しい罰を与えようとしたとき、セリアズがつかつかと前に歩み出て、ヨノイを抱きしめて頬にキスをする。
想定外の行為。ヨノイは衝撃のあまり、その場で失神する。
同性愛の匂いを放つ鮮烈なシーンだが、それ以上に東西文化がそう簡単には融和できないことを暗示しているようにぼくには感じられた。
戦後、立場が逆転し、戦犯として処刑されるハラのもとにロレンスがやって来る。
暴力的だが、人なつっこい面を見せるハラにロレンスは友情めいた感情を抱いていたのだ。
そしてハラが戦争の犠牲者であるとも言う。
別れ際、ハラが大声で呼び止める。
「メリー・クリスマス、ミスター・ロレンス!」
ストップモーションでとらえたたけしの笑顔の大写しになぜか救われた気がした。