人類の「負の遺産」ともいえるアウシュヴィッツ収容所。
ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)の象徴として記憶していく責任をドイツ国民が負っている。
今年1月のナチスによる犠牲者追悼式典で、メルケル独首相が放った言葉が忘れられない。
その歴史認識を浸透させた取り組みを映像に焼きつけた。
アウシュヴィッツにいたナチスの元SS(親衛隊)隊員が小学校教師を務めている。
1958年、そのことを知ったフランクフルト地方検察庁の若手検事ヨハン(アレクサンダー・フェーリング)がナチスの犯罪を追及すべく捜査に着手する。
当時の西ドイツは、戦後復興が最優先され、東西冷戦の激化に伴って再軍備がスタート。
おぞましい過去を清算する空気が薄れ、それに乗じ、元ナチス党員の復職も相次いでいた。
そんな状況下、多くの国民が収容所で何が行われていたのか知らなかった。
ヨハンもそうだった。戦後10数年にして早くも風化……。
冒頭でそのことが描かれていたのが衝撃的だった。
国家の恥部に当局がメスを入れるのだから、当然、捜査に横ヤリが入る。
しかも加害者と被害者の特定、証言者の選定など膨大な作業をこなさねばならない。
「過去をもみ消すのは民主主義に反する」
こう主張するユダヤ人の検事総長バウアー(ゲルト・フォス)を後ろ盾にし、ヨハンは正義感と使命感に燃え、敢然と立ち向かう。
その姿には理屈抜きに胸が打たれる。
5年後、ドイツ人自身によるホロコースト断罪の裁判が開かれ、全容が国内外に知れ渡った。
それを機に国民の意識が変わったという。
ドイツ在住のイタリア人ジュリオ・リッチャレリ監督は奇をてらわず、オーソドックスな演出に徹した。
外国人ゆえ、主人公との距離感も適度に保っていた。
観終わった後、4年前に訪れたアウシュヴィッツで、奉仕作業に励んでいたドイツ人学生たちの顔が脳裏に浮かんだ。
非常に意義深い映画であった。
2時間3分
★★★★★(今年有数の傑作)
☆シネ・リーブル梅田ほかで公開中
(日本経済新聞2015年10月16日夕刊『シネマ万華鏡』。ブログへの掲載を許諾済み。無断転載禁止)