ぼくの眼の前にドカッと坐った世界的巨匠、黒澤明さん。思っていた以上に身体が大きくて、ふつうのおじいさんとはまったく違った空気を放ってはりました。〈神々しさ〉とでも言いましょうか、まともに眼を合わせたら罰が当たる、そんなふうにぼくは感じました。
忘れもしない1994年(平成6年)12月15日、東京・世田谷にある黒澤さんの自宅応接間でのひと時。当時、ぼくは新聞社の映画記者をしておりましてね。念願叶って、監督とのインタビューが実現でき、かなり舞い上がっていましたし、かなり緊張もしていました。
「はじめまして……」。ごあいさつすると、「君~、ぼくはきょう体調がよくないんだよ。20分ほどで切り上げてくれないか」と黒澤さん。少し咳き込んではりました。明らかに風邪です。熱もあるみたい。それでも声にはハリがありました。
いきなりパンチを食らったぼくは、たじろぎました。せっかく大阪から出向いてきたのに……。ヘビに睨まれたカエル状態になり、しばし身体が固まったまま。でもここでなんとかせなアカンと思い、大学時代の思い出話をとつとつと喋ったんです。
それは黒澤監督が1952年(昭和27年)に撮った『生きる』をリバイバル上映で観たときのこと。そのころぼくは、映画館には足しげく通っていましたが、ほかにすることと言えば、マージャンかパチンコぐらい。毎日を空疎にだらだらと過ごしていたんです。これと言って目標もなくて……。
そんなときに『生きる』と出会ったんです。大学2年生の春、大阪・堂島にあった毎日ホールで開催された「黒澤明名作選」という映画会でした。
平々凡々と無気力に生きてきた役所の市民課長が末期の胃がんで余命いくばくもないことを知り、住民から陳情のあった児童公園の建設に打ち込むという話。死を前にして、俄然、生きはじめた。そこのところがパラドックスめいていてなんともおもしろかったです。志村喬さんの演技にも眼を見張りました。
その市民課長がぼく自身とだぶり、映画を観終わったとき、「毎日、悔いのないように生きやなアカンわ~」と漠然と思いました。べつに生活がガラリと変わったわけではありませんが、『生きる』から得たモノがその後のぼくの人生指針になったことはたしかです。いまでもそうです。
映画なんて所詮、娯楽の産物。現実世界からかけ離れた夢物語を描いたモノ。映画によって人生観が変わるなんてあり得ない。ぼくは長らくそう思っていました。しかし、黒澤さんの映画との邂逅によって、映画にはすごいパワーがあるんだということを実感したんです。まさに映画力!!
そういうことを黒澤さんに伝えました。ぼくが話し終えると、監督はサングラスをはずし、ちょっと涙ぐんだ眼を手でぬぐい、「君~、きょうは2時間インタビューしてもらっていいよ」~!! やった~!!!
84歳の黒澤さんは日本映画の現状について、怒涛のごとく喋りつづけはりました。日本映画界に対してよほど鬱屈したものをもってはったんですね。そのとき撮った写真がいま、ぼくの机の前に置いてあります。
あのインタビューの4年後、監督は他界されました。写真を見るたびにぼくはいつも自分に言い聞かせています。
「悔いのないように生きよっと~!」
映画力ってすごい! 黒澤映画との出会い~
投稿日:2009年2月22日 更新日:
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