ウィック(Wick)は人口7000人ほどの町ですが、ケイスネス(Cathness)地方の中心地です。
かつてニシン漁で大いに栄えたそうですが、今やその面影はありません。
この辺り、ケルト語の一種、スコットランド・ゲール語の表記が目立ちます。
ケルト文化をライフワークにしている身にとって、ゲール語はすごく気になります。
かつてはスコットランド全土でかなり話されていましたが、英語に押しやられ、今では非常にマイナーな言語に。
それでもエルギンやフレイザーバラなどハイランド東部では、西部ほどではありませんが、道路表示、鉄道駅名、公共の建物などで英語とゲール語の併記が目につきました。
ウィックなど北部(ケイスネス地方)では、ゲール語が上で英語が下に記されています。
前回訪れた14年前と比べると、浸透具合が深まった感じ。
宿屋でテレビを見ていると、BBCスコットランドのゲール語番組が放送されていました。
もちろん英語字幕付きです。
しかしこちらに来て、ゲール語を話している人を見たことがありません。
ゲイリーとシャーリーもゲール語スピーカーではないです。
スコットランド人のアイデンティティの1つとして、いわば「母語」のゲール語を、お上(スコットランド政府)が広めようとしているのに、なかなか住民に浸透しない。
笛吹けど踊らず……、このジレンマ。
やはり世界語の「英語」を話せるのが最大の障壁ですね。
そうそう、ゲール語とは別に、アバディーン州やマレー州では、ドリック(Doric)という独特な方言があることをシャーリーに教えてもらいました。
いやぁ、言語は興味深いです。
ともあれゲール語の行く先が気になります。
居心地の良いゲストハウスで美味な朝食をいただいてから、街中にあるパルテニー(Pulteney)蒸留所を見学しようと訪れると、門が閉まっていました。
そうか、今日は日曜日やった……。
毎日、ホリデーなので、曜日感覚がなくなっていました(笑)
そこで海岸沿いを散策していると、第2次大戦中、ドイツ軍の攻撃に備えて構築されたトーチカが残っていました。
スコットランドのみならず、イギリスの沿岸にはこうした戦争の残滓が結構、ありますね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
正午前、ウィック駅からスコットランド鉄道(Scot Rail)でインバネス(Inverness)へ。
4時間15分の鉄道の旅、なかなかご機嫌でした。
インバネスは5度目です。
到着後、パブでしばしビール・ブレイクし、予約していた宿屋に行くと、ドアが開いていたのに誰もいません。
ここも個人経営です。
あれ、どうしてチェックインするやろ?
予約シートに記された電話番号にかけると、オーナーと思しき男性が「メールでメッセージを送っています。それを読んでください」
しかし、メールには何も届いていない。
そや、自宅のパソコンで予約したので、スマホには届いてないんや。
ぼくがたどたどしい英語でやり取りしていると、宿泊しているインド人の娘さんが「私が聞いてあげる」と掛け合ってくれはりました。
親切な子や。
ところが、彼女の英語がほとんど理解できなかった(笑)
結局、しばらくしてご高齢のオーナーがやって来て、宿の裏手にあるバンガロー風の建物に案内してくれました。
簡易宿泊所みたい。
道理で泊まっているのはヤングばかりや。
まずはこれで宿を確保でき、城の前に屹立するフローラ・マクドナルド嬢の像に挨拶しに行ったら、工事中でした。
残念。
晩御飯は、無性にスモークサーモンを食べたくなり、レストランの値段表を見ると、何と日本円で5,000円ほど。
こら、アカンわ。
すぐにスーパーに行き、サーモン+サバ缶+チーズ+サラダ+ワイン(小びん)を買い、部屋でいただきました。
支払いが3分の1ほどで済み、美味かった〜
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
食後、パブへ行くのが邪魔くさくなり、購入していたウイスキーをちびちびやっていました。
夜の10時ごろ、外の空気を吸おうとドアを開けようとしたら、開かない!
カギと錠がガッチリ固定しており、取っ手をいくら動かしても、全く開かないんです。
ありゃ、えらいこっちゃ!!
監禁されてしもうた。
あわててオーナーに電話し、事情を説明したら、「そんなはずはない」と。
そんなこと言うても、開かないものは開かない。
「部屋まで来てくださいよ」
そう言うと、
「自宅は郊外なので、無理です。明日の8時に行きます」
こういう形態の宿屋、多いですね。
そんなアホな……、宿泊客が困っているのだから、すぐに対処せなアカンやろ。
「もし火災が起きたら、どないするねん。焼け死ぬやろ 責任問題やで」(この部分、怒りと興奮のせいで、「大阪弁」)。
ぼくの主張虚しく、部屋から出られず、夜を明かすことに……。