ヘレス・デ・ラ・フロンティーラの街中のカフェで、朝食を取り、午前10時に学芸員と会うことになっている考古学博物館に向かいました。
日曜日の朝なので、昨夜の喧騒とはうって代わり、街中はいたって静か。
途中、シェリー酒のボデガ(酒蔵)がありました。
ティオ・ペペで知られるゴンサレス・ビアスとフンダドール。
前者は20年前に訪れました。
ゴンサレス・ビアスの銅像の前に来ると、何とフラメンコを歌っている女性がいるではありませんか~。
あいさつすると、スペイン語でべらべらと。
全くわかりまへん~((+_+))
肝心なところを翻訳アプリで聞き取ると、この女性、フラメンコの歌姫でした~!!
道理で巧かった~(^_-)-☆
「私はヒターノです」
一般には、ジプシー、あるいはロマと呼ばれる人たちです。
フラメンコはヒターノの音楽ですから、当然、彼女の体に染み付いています。
セビーリャから観光で来はったらしいです。
向こうから「一緒に写真を撮りましょう~」と言われ、互いに撮り合い~(笑)。
こういう流れ、ええ塩梅ですね~。
気分良く、10時かっきりに考古学博物館に行きました。
受付の人から「ちょっと遅れるそうです」。
えっ、そんなアホな~。
わざわざ日本から来てるのに、昨日はドタキャンされ、今日も遅れるやなんて、ほんまにもう、シバキもんでっせ~。
結局、30分待たされ、くだんの学芸員が飄然と現れ、「爽やかな日曜日ですね」やて。
全く悪びれたとこがおまへん~。
あのな~、最初に口にすべき言葉は→「昨日はすんませんでした。今日もお待たせして、申し訳ないです」やろ。
グッと憤りを胸に収め、何とか笑顔を作り、「お目にかかれて、光栄です。お忙しいところ恐縮です」と思ってもいないことを言葉に発した自分が情けない~(^^;)
この人、英語の読み書きは得意だけど、話すのが苦手とか。なので、取材はほとんど翻訳アプリでやりました。
ぼくが知りたいのは、イベリア半島のどの辺りまでケルトの影響があるかということ。
案の定、ヘレス地方は全く関係なかったです。
「先史時代、この地方はイベリア人が定住していました。ケルト系の人はもっと内陸部、マドリッドより以東です」
やっぱり!
その確証(ウラ)を取りたかったわけでして。
パソコンのやり取りでもできますが、直接、現地の専門家に会って話を聞く、このスタンスは崩したくありませんねん。
このあとバスでセビーリャへ向かい、考古学博物館で同じ取材をすることになっています。
「セビーリャの学芸員も同じ答えをするでしょう。しかし西方のウエルバに行けば、ちょっと状況が変わってきますよ」
えっ、ウエルバ~!
明日、そこの考古学博物館に行く予定。
何だかウキウキ~。
憤りがすっかり消失していました~(笑)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アンダルシアの中心都市セビーリャへバスで向かうと、観光客でいっぱいでした。
中国人をはじめ各国の人がわんさと観光スポットに集中しています。
こういうのん、ほんまに苦手で、ジンマシンが出てきそうになるんです~((+_+))
だからどんな旅でも、基本、観光地をパスしたり、観光地であっても住民の居住エリアに足を向けたりしてるんですが、ここの考古学博物館で取材があり、止むなく立ち寄った次第。
取材は無事に短時間で終え、あとはフリータイムになり、今宵は的をフラメンコに絞りました。
昨夜、ヘレス・デ・ラ・フロンティーラでバール巡りに没頭し、フラメンコを見ずじまい。
それに今朝、セビーリャの歌姫と出会ったというご縁もありましたからね。
この街はヒターノの人が多いのか、フラメンコが浸透しています。
街中で、情熱的なフラメンコの踊りやフラメンコ・ギターを披露している人をよく見かけますし、何よりもフラメンコ博物館があるんですから、やっぱり本場ですね~。
夜、「ギターの家」というライブスペースで、主に歌とギターを聴かせるフラメンコを満喫しました。
ガラスの展示ケースには、名だたるフラメンコ・ギターがずらりと~!
フラメンコは歌とギターがあってのもので、いわば踊りは添え物的。
こう言ったら叱られるかな?
でも、20年前、コルドバを訪れたとき、ダンサーからはっきりそう聞かされました。
日本では、踊りは見栄えがするので、フラメンコ=踊りになっていますが……。
情念のこもった歌と超絶なテクニックを見せるギター~🎸
すごい迫力で、ずっと感動しっぱなし~!!
時折、踊りが入り、彩りを添えてくれました。
よっしゃ、いつかフラメンコ・ギターにチャレンジしたろ~♪
そう思ったセビーリャの夜でした~(^_-)-☆