『映画は「なんば」からはじまった❗』(主催:南海電鉄、後援:ミナミまち育てネットワーク)
7日、こんなタイトルの特別セミナー(イベント)が大阪府立大学Iーsiteなんばの会場で開催されました。
びっしり満員の中、ぼくの講演と活動映画弁士、大森くみこさんによる無声映画の上映。
喋っているうちに参加者との間で連帯感にも似た空気が芽生えてきたのがよくわかりました。
121年前、明治29年(1896年)12月、心斎橋の舶来品輸入商、荒木和一が米国エジソン商会から輸入した映写機ヴァイタスコープを使って難波の福岡鉄工所で行った映画の初上映。
そして翌明治30年(1897年)2月15日~22日、京都の実業家、稲畑勝太郎がフランスのリュミエール商会の映写機(撮影も可能)シネマトグラフによる映像を難波の南地演舞場で一般公開した映画の初興行。
講演の最後で訴えましたが、映画初上映の地(福岡鉄工所跡地)と映画初興行の地(南地演舞場跡地)に、まずはわかりやすい説明版を設置すべきだと思っています。
すでに認知されているはずの映画興行発祥地についても、知らない人が多すぎます。
TOHOシネマズなんば1階のエレベーター乗り場の壁に記念碑があることに気づく人はいません。
人通りの多い表通り(戎橋通りか南側の道)に説明板を立て、きちんと歴史的な出来事と建物内に記念碑があることをアピールする方がええと思います。
ほんまにもったいない。
同じように「なんばパークス」の道路を挟んで北側のところに映画初上映の説明板を立てればいいのではないかと。
しかるべきモニュメントはその後でもいいかもしれません。
説明板なんてそんなに費用はかかりませんよ。
京都の「日本映画発祥の地」の説明板は、木屋町通りに立っているから、市民や観光客の目に留まり、いつしか浸透していったのでしょう。
こういう取り組みはすべて町づくりにつながり、大阪の文化再発見にもつながっていきます。
これからもこの歴史的事実を1人でも多くの人に知ってもらいたいと思っていますので、引き続き発信していきます~✌
参加者の皆さん、南海電鉄のスタッフの方々、大森さん、おおきに、ありがとうございました❗
ほんまに素敵なひと時でした~(^_-)-☆