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ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

エッセー 大阪 大阪ストーリー

大阪ストーリー(9) なにわ、橋尽くし

投稿日:2020年12月20日 更新日:

大阪ストーリー(9) なにわ、橋尽くし(2019年7月)

☆八百矢橋

「江戸の八百八町」、「京の八百八寺」、「浪華の八百八橋」……。

江戸時代、日本の三都がこんなふうに称されていました。

大阪はそれほど川と橋が多かったのですね。

それでは、現在、大阪市内にはどれだけ橋があるのかご存知ですか。

答えは881橋。

「八百八橋」と何となく似ていますね。

大阪府内に広げると、2262橋になります。

京橋、心斎橋、淀屋橋、長堀橋、四ツ橋、西大橋、鶴橋……。

確かに大阪の街を歩いていると、「橋」の地名をよく見かけます。

Osaka Metroの駅名にもつけられています。

ぼくは橋オタクではないので、大阪市建設局橋梁課にいろいろ訊いてみました。

☆最長と最短の橋

橋の長さは、橋脚と橋脚との距離をモノサシにするのが一般的らしいです。

それでいうと、大阪市内で一番長い橋は、築港と南港を結ぶ長さ510メートルの港大橋です。

阪神高速4号湾岸線の橋です。

海をまたぐようにして架かるレッド・ブリッジはまさに大阪港のシンボルと言ってもいいでしょうね。

大阪港の主のような港大橋

それでは、最短の橋は?

市内の南東端にあるとのことで、さっそく現場へ向かいました。

Osaka Metro谷町線の長原駅から東へ歩いて約10分、住宅街の真ん中を流れる平野川分水路の支流に架かっていました。

住所は平野区長吉六反3丁目です。

長さが1.5メートル、幅が12メートル。

一般道路と見分けがつかず、見つけるのが結構、難しかったです。

これもれっきとした橋で、「長吉長原東2号橋」という名前がついてありました。

平成14(2002)年3月に完成。

農業用水路をふさぐ蓋のような橋で、ボックスカルバート橋といわれています。

同じような長さでこの手の橋が市内に多数あるそうです。

長吉長原東2号橋。これでもれっきとした橋!

川幅が70センチほどの支流はコンクリートの護岸が施され、水がほとんど流れていません。

数人の住民にこの橋のことを尋ねると、「えっ! そんなん知りませんわ」、「これが橋なんですか」とだれもがびっくりしてはりました。

大阪検定でもまず出てこないでしょうね。

この際、「大阪市内で一番短い橋」として新名所にしたらどないですか。

☆最古の橋

どんどん橋の話を進めます。

現存する大阪市内最古の橋は、中央区の東横堀川に架かる本町橋です。

Osaka Metro堺筋線、中央線の堺筋本町駅北側出口を上がり、本町通りを東へ約200メートルのところ。

つまり本町橋=本町通りです。

阪神高速1号環状線が雨除けのように覆っています。

長さ46.5メートル。

大正2(1913)年に完成した石造りの重厚なアーチ橋で、非常に風格が感じられます。

106年の歴史があるんですね。

歴史の重みを感じさせる本町橋

別の形で現存する最古の橋が、鶴見区の花博記念公園鶴見緑地にありました。

それは明治6(1873)年、長堀川に架けられた心斎橋です。

ドイツ製の鉄橋(長さ37.1メートル)。

明治41(1908)年に撤去され、その後、市内の各所で架けられ、平成元(1990)年、鶴見緑地西側に建造された緑地西橋にアーチ状の欄干が飾りとして添えられました。

橋のたもとにある碑文にこう記されています。

「文明開化の昔をしのぶことが出来る」。なるほど、納得。橋の機能はないけれど、とても愛おしく思われました。

緑地西橋。飾りで付けられた旧心斎橋の欄干が往時を偲ばせる

☆懐かしの心斎橋

その古風な鉄橋のあとに石造りの心斎橋が架けられました。

昭和30年代の幼いころ、親に心斎橋筋商店街へ連れて行ってもらったとき、この橋を渡ったのを鮮明に覚えています。

長堀川のほとりを走っていた市電に乗るのがうれしくて、うれしくて。

長堀川が埋め立てられた昭和37(1962)年にその橋が撤去され、2年後、歩道橋として甦りました。

大阪を舞台にしたハリウッド大作『ブラック・レイン』(1989年)でも映っています。

そして平成9(1997)年、地下街クリスタ長堀の完成時、橋の一部と復元された4つのガス燈が設置されました。

こういう形であっても、愛着のある心斎橋が残っているのがすごく喜ばしいです。

あまり気づく人がいないけれど、心斎橋は今も健在

☆最新の橋

それでは最新の橋はというと、平成20(2008)年に道頓堀川に架けられた浮庭橋です。

四ツ橋筋の少し西側、湊町リバープレイスの前に〈浮かん〉でいます。

吊り橋で、車が通れない人道橋です。

長さが76.3メートル。

橋の途中で折れ曲がっている外観が何とも斬新に見えます。

橋の上には芝生や低木が植えられ、欄干にはツタがはわせてあり、名前のごとく川の上に浮く庭園そのもの。

この辺り、オシャレなカフェやレストランができ、ほんとうに素敵な空間になってきましたね。

「緑の空間」ともいえる斬新な浮庭橋

 

香港から観光で来たカップルに橋の感想を訊くと、「こんな緑にあふれた橋は香港にありません」。うれしいコメントのお返しに、有益な情報をお教えしました。「この橋から眺める夕日が最高ですよ」。

すると2人からギュッと握手されました。

☆お気に入りの橋

最後にぼくの一番お気に入りの橋……。

それは大阪城の北側、内濠に架かる極楽橋です。

明治維新の大火で木造橋が焼け落ち、97年後の昭和40(1965)年に長さ54メートルの鉄筋コンクリート橋として再架橋されました。

天守閣と濠を遊覧する大阪城御座船(屋形船)が橋に彩りを添え、大勢の観光客の心を鷲づかみ。

不思議なことに、極楽橋を渡ったあと、素敵な人と出会ったり、仕事がはかどったりするんです。

だから勝手に「ラッキー・ブリッジ」と呼んでいます。

天守閣と御座船……。絵になる極楽橋

「水の都」、大阪には橋が欠かせません。

昨今、ウォーターフロントが整備され、ますます橋の存在が際立ち、輝いてきました。

浪花っ子のぼくにはとても誇らしいです。

橋があっての大阪。もっとそれをアピールしましょう!!

 

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武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。