何を思ったか、夕方、阪神の勝利を確信し、ランニングで生まれ育った龍造寺町(大阪市中央区)へ足を向けました。
これまで何度も来ています。
年齢を重ねるごとに、この町がどんどん小さくなってきているのを実感。
今日はとくにそう思いました。
この狭い路地でキャッチボールや「てんちょう」(天下町人)というボール遊びに興じていたなんて、信じられません。
ぼくの生家は空き家になっており、今や廃屋寸前です。
長屋も歯抜け状態になっていますが、佇まいは概ね、保たれています。
こんな小さな長屋で、亡きオヤジさんが印刷機を入れて、カッシャン、カッシャンと毎晩、徹夜していました。
当然、家のなかはインクの匂いが充満。
友達をうちに招くのが、ほんとうに嫌で嫌でたまらなかったです。
というか、呼べなかったです。
うちの中が汚かったから……( ;∀;)
でも、あのオヤジの踏ん張りがあってこそ、今のぼくがあるんやと思うてます。
ほんまに感謝しています、オヤジさんには!
先日、オヤジさんが撮ったこんな写真を見つけました。
うちの前ですね。
何歳ころかな??
記憶にありません……( ;∀;)
オダサク(織田作之助)の原作を映画化した『夫婦善哉』(1955年)でちょこっと映っていた低い崖は往時のままです。
ぼくが町内の「大将」になって、年下の「ひろゆきちゃん」「いくぞうくん」「けいぞうちゃん」「たっちゃん」「まことちゃん」らを率いて、その崖に陣取って、今日、何をして遊ぶのかを〈謀議〉していました(笑)
下校すると、いつもみんなと一緒でした。
ほんまに仲がよかった。
今、思えば、小学校時代、学校の友達よりも町内の縦社会によるつき合いの方がはるかに絆が強かったように思います。
「いくぞうくん」は亡くなったと聞いています。
いっぺん、彼らと同窓会をやりたいなぁ~(^_-)-☆
10歳のころ、風呂屋の奥にある池で泳いでいた鯉を湯船に入れて、めちゃめちゃ叱られたのを鮮明に覚えています。
冷たい水で泳いでいる鯉が、熱い湯の中で体の色がどんなふうに変わるのか知りたかっただけなんですがね~。
動物虐待ではありません。
単なる好奇心からなんですが……。
あの「鯉事件」のあと、しばらくの間、武部家は入湯禁止でした~(>_<)
まぁ、ヤンチャでしたわ。
今でも、「いろは湯」を見ると、茹蛸ように顔を真っ赤にして激怒していた番台のおっちゃんの顔が浮かんできます。
実は、あのころの龍造寺町を舞台にした諸々のことをモチーフにした小説を随分、以前に書き上げているんです。
ただ、あちこちの文学賞に公募しているんですが、今のところまったく陽の目が当たらず……。
原稿に目を通してくださった方は、みな高く評価してくれてはりますので、そのうちドカーンと当たるかもしれません。
乞うご期待を~(笑)
ということで、非常にノスタルジックな内容になりました。