死んだはずの人物が生きていた。
ドラマでたまに使われる設定だが、それを存分に活かし、夫婦再生の心理劇に仕上げた。
絶滅収容所を生き延びたユダヤ人の戦後を見据えた映画としても見応えがある。
『東ベルリンから来た女』(2012年)で東西冷戦時の東独の一断面をシャープに切り取ったクリスティアン・ペッツオルト監督の新作。
本作でもドイツの過去を直視する。
アウシュビッツ収容所に連行され、奇跡的に生還したユダヤ人の妻ネリーがドイツ人の夫ジョニーと再出発する物語。
といっても一筋縄ではいかない。
ネリーは精神的な打撃だけでなく、顔にも大ケガを負っていた。
もはや生気を失くし、死霊のよう。
夫が自分を裏切ったという疑念があり、会いに行く気にすらなれない。
そんな彼女にある瞬間、変化が訪れた。
今やスタンダード曲として知られる『スピーク・ロウ』を聴いた時だ。
愛する人を待ち続ける気持ちを込めた歌に心が動かされ、夫との再会を決意する。
音楽の使い方がことのほか巧い。
ここからが本筋だ。
傷を修復し、顔が別人のようになったネリーと経済的に苦しむジョニーとの想定外の出会いが用意されている。
種明しはできないが、彼女が自分自身の替え玉を演じる展開には驚かされた。
ヒッチコックの『めまい』(1958年)を彷彿とさせる場面を盛り込み、浮遊するように物語が綴られる。
ミステリータッチで引き込ませる演出は見事だ。
いつジョニーが彼女を妻と気づくのか、いや、ひょっとしたら知っているのかもしれない。
曖昧なまま、ネリーが徐々にかつての自分に似てくるところがミソ。
それが生きる証しとなる。
夫を見つめる眼差しの何といじらしいこと。
ただならぬ緊張感の中で醸し出される切なさと哀しみがたまらない。
ラストの『スピーク・ロウ』には泣けた。
1時間38分
★★★★(見逃せない)
【公開表記】 8月29日(土)~ テアトル梅田、京都シネマ
9月12日(土) シネ・リーブル神戸 にて公開
【配給】 アルバトロス・フィルム
(日本経済新聞2015年8月28日夕刊『シネマ万華鏡』。ブログへの掲載を許諾済み。無断転載禁止)