今日から師走。
12月1日は「映画の日」です。
それにちなんだ1日となりました。
本日、届いたウイスキー専門雑誌『Whisky World』の12月号。
特集は「映画とウイスキー」です。
同誌編集長で、ウイスキー評論家の土屋守さんとの対談が載っています。
大阪・天六(天神橋筋6丁目)の映画カフェ「ワイルド・バンチ」で、ウイスキーをちびちびやりながら、映画とウイスキーについてあれこれと話し合いました。
かなり脱線したのに、うまいことまとめてはります。
午後から京都へ向かいました。
7月に81歳で亡くなられた高林陽一監督を偲ぶ会に出席するためです。
『本陣殺人事件』(1975年)、『金閣寺』(76年)などがメジャー作ですが、個人映画(実験映画?)の草分けで、非常に斬新な作品を手がけてはりました。
ぼくがどうして偲ぶ会に出席したかと言うと……。
1年目の新米記者として読売新聞の京都支局でサツ回り(警察担当)していた時のことです。
「何か県版(京都版)のネタでも探して来い」
所轄サツ回りは、町ダネも拾わなければなりません。
鬼デスクにそう命じられ、ぼくは大好きな映画の関連で何か取材できるものがないかを考えました。
すぐにピンときたのが、高林監督でした。
京都に拠点を置き、非常に個性的な作品を撮っている監督。
会って、いろいろ話を聞けば、何か記事になることが出てくるかもしれない。
安易な気持ちで監督と会いました。
確か、三条河原町の喫茶店だったと思います。
当時、高林監督は48歳。
年齢の割に落ち着いてはりました。
個人映画と自主映画の違いについての質問を皮切りに、取材を忘れ、映画談議に花を咲かせました。
途中から、ぼくがサツ回りをしていることに興味を持たれ、そのことについていろいろ訊かれました。
特にニュースになる題材はつかめなかったけれど、京都にこんなユニークな監督がいるということを記事に書こうと思っていました。
県版では、それで十分、いけます。
ところが翌日、長岡京市でワラビを採取しに行った主婦2人が山中で惨殺される事件が起きたのです。
ワラビ採り殺人事件。
1979年5月23日。
以降、この事件の取材に没頭し、高林監督の記事を書けず。
事件は未解決(1994年に時効)。
後日、監督の話を書こうと思ったら、取材したノートを紛失してしまって~o(><)o
最悪でした。
結局、陽の目を見ることはなかったです。
そんなご縁のあった監督です。
文化部の映画記者時代は、どういうわけか取材することはなかったです。
偲ぶ会には、盟友の大林宣彦監督、俳優のともあれ、ご冥福をお祈りします。