武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

ポーランド紀行(2011年夏)

ポーランド紀行(5)~『シンドラーのリスト』の舞台

投稿日:2011年8月17日 更新日:

今回のポーランド旅行のテーマは、戦争と映画です。
映画の方は、ポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の作品の舞台を巡るのが主でした。
しかしハリウッドを代表するスティーヴン・スピルバーグ監督の代表作『シンドラーのリスト』(1993年)が古都クラクフの物語だったので、撮影地や関連スポットを訪ね歩きました。
『シンドラーのリスト』は、第2次大戦中、クラクフでホウロウ容器製造工場を経営していたドイツ人実業家、オスカー・シンドラー(1908~74年)が絶滅収容所へ移送されるユダヤ人約1200人を自社の従業員として雇い、命を救ったという物語です。
ユダヤ系アメリカ人のスピルバーグ監督が使命感を抱いて撮ったといわれる渾身の1作。
描き方が偏っているとか、演出に甘さがあるとか、いろいろ批判されてはいますが、ホロコースト映画としては見応えがあったと思っています。
ポーランド紀行の5回目はそのルポです。
戦争と映画の2つのテーマを同時に取材できました。
前回、お伝えしましたクラクフ旧市街の南側にあるユダヤ人地区カジミエーシュから、ヴィスラ川を南へ渡ったところに工場街が広がっています。
そこにシンドラーの工場が残っていました。
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ペタンとした白い建物です。
正門は当時とほとんど変わっていません。
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窓ガラスには、従業員として雇われていたユダヤ人の顔写真が貼られています。
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1939年9月、第2次大戦の開戦直後、ポーランドに進駐してきたナチス・ドイツ軍がクラクフにも来ました。
すぐにユダヤ人への迫害が始まります。
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そして首都ワルシャワと同様、ゲットー(ユダヤ人隔離居住区)が41年に設定されました。
その場所が、シンドラーの工場の西側にあるポドゴルゼ地区でした。
今でも当時の建物がかなり現存しており、人が住んでいます。
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大戦前、クラクフには22万5000人のユダヤ人がいましたが、すべてゲットーに強制移住させられました。
ホロコーストによって、生き残ったのはわずか1万5000人だけ。
下はゲットーがあった場所を示す地図です。
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地図のなかのエリアを歩いていると、ゲットーの壁を見つけました。
レンガ造りのワルシャワのそれとは違って、コンクリート製でした。
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ゲットーができた当初、厳しいながらも、比較的、生活は安定していたそうです。
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シンドラーは戦前、ユダヤ人が所有していたホウロウ工場を買い取り、当初はポーランド人を従業員に雇っていましたが、ゲットーができたころからユダヤ人を“労働力”として使うようになりました。
基本的にタダ働きさせていたわけです。
それでも工場で働いて限り、殺されることはなかったのですから、ユダヤ人にとって楽園に思えたでしょうね。
ドイツ側からは軍需工場と見なされ、シンドラーは大きな恩恵を受けていたようです。
しかし43年にゲットーの南側にプラショフ(クラクフ)労働収容所が建造され、状況が変わりました。
ゲットーが閉鎖され、ユダヤ人がそこへ移送されたのです。
甲子園球場の20倍の広さがあり、最大2万2000人が暮らしていました。
収容所の中に採石場があり、大半がその労働に従事しましたが、病人、老人、子供ら働き手とならなかった者は、アウシュビッツ=ビルケナウ強制・絶滅収容所へ送られたといわれています。
映画『シンドラーのリスト』のなかでも、石を切ったり、運んだりしている囚人の様子が描かれていましたね。
下の写真はプラショフ収容所です。
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シンドラーの工場勤務のユダヤ人も石切りの仕事に就かされ、次第に工場が稼動しなくなっていきました。
ホウロウより石の方が需要があったのでしょう。
と同時に、プラショフ収容所からアウシュビッツ=ビルケナウ強制・絶滅収容所へ移される者が増えてきました。
さらに収容所のアーモン所長による囚人への虐待がエスカレートしていきました。
そのときの異常な状況も映画で描写されていました。
戦後、プラショフ収容所は完全に破壊されました。
訪れると、野原になっていました。
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説明版です。
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慰霊碑があちこちに立っていました。
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反ナチス活動家のポーランド人もここで命を落とした人が少なくなかったようで、キリスト教(カトリック)の慰霊碑もありました。
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かつて部下として働いていたユダヤ人への同情からか、あるいは労働力の確保のためか、ナチスの党員であったシンドラーが、何と彼らの救済に立ち上がったのです。
故郷のズデーデン地方(現在のチェコ)に新たなホウロウ工場を買い、そこの従業員としてプラショフ収容所のユダヤ人をピックアップしました。
それが「シンドラーのリスト」です。
リストに挙がった者は、貴重な労働力になるとの理由で、全員、生命の保証がなされました。
かつてのホウロウ工場は、現在、ナチス占領下のクラクフを解説する博物館になっています。
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これはポーランド軍の小型戦車です。
オモチャのように見えました。
これじゃ、ドイツ軍の強固なパンサー戦車を前にするとひとたまりもありません。
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死刑執行人? しょぼくれたヒトラーの人形。
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シンドラーの写真もありました。
ユダヤ人労働者を前にして、何やら説明してるところです。
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馬が好きだったそうです。
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再現されたシンドラーの執務室。
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正門の裏側には、ホウロウを乗せた荷車が置いてありました。
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映画『シンドラーのリスト』のほとんどがクラクフで撮られました。
プラショフ収容所はセットでしたが。
スピルバーグ監督は撮影前、ポーランドへ向かい、アンジェイ・ワイダ監督からこんなアドバイスを得たそうです。
「当然、モノクロで撮影すべきです。そういう時代だったから」
なるほど!
次回は、かなり厳しい世界を紹介します。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制・絶滅収容所です。

-ポーランド紀行(2011年夏)

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プロフィール

プロフィール
武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。