武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

映画

恐るべし、お婆ちゃんパワー!!~『デンデラ』

投稿日:2011年7月5日 更新日:

デンデラ(2)
(C) 2011「デンデラ」製作委員会
お婆ちゃんパワーが炸裂!! 
浅丘ルリ子、倍賞美津子、山本陽子、草笛光子、山口果林、白川和子、赤座美代子……。
酷寒の銀世界の中で、老婆に扮した錚々たるベテラン女優が年齢を忘れ(?)、ホカロンを身体中に貼り付け、とにもかくにも体当たりで熱演した。
まずそのプロ根性、女優魂に敬意を表したいと思う。
そして彼女たちが演じた女性たちが社会から見捨てられた弱者であることに注目したい。
原作は作家、佐藤友哉の同名小説。
それを天願大介監督が脚色し、映像に焼き付けた。
物語は姥捨山伝説に基づいている。
年老いた親を孝行息子が背負って、後ろ髪を引かれる思いで山深いお参り場に捨てていく、そんな痛ましい話だ。
貧しい村では口減らしのため、そうした風習が行われていたといわれているが、確証はない。
なぜなら、しんどい目をしてまで山に登らなくても、もっと簡単に“実行”できたのだから、あくまでも言い伝えにすぎないという見方が多い。
しかし信州(長野県)北部の千曲川付近にそのものズバリ、姥捨山という名の山がある。
その地の伝承を作家、深沢七郎が小説にまとめ、木下恵介監督が1958年に、30年後の88年に今村昌平監督がそれぞれ『楢山節考』の題名で映画化した。
両作品のテイストは全く違っていたが、親子の情愛を絡めた恐ろしさと暗たんたる無常観は今でも忘れられない。
民俗学者・柳田國男の『遠野物語』の中にもデンデラ野(岩手県遠野市)という老人を捨てる場が出てくる。
原作と映画のタイトルはこれに由来しているが、内容としては『楢山節考』の続編と考える方がいいだろう。
天願監督が今村監督の長男であることを思うと、はて、どんな続きを銀幕に映してくれるか、そこのところに興味がわく。
時代は幕末か明治の初期と思われる。
70歳になったカユ(浅丘)が息子に背負われ、雪深い山道を登っていく。
今まさに捨てられに行くところだ。
すでに覚悟を決めているのか、あるいは諦めているのか、老女は得も言えぬ独特な表情を見せつける。
ただ、目はキリッと見開いている。
それは、自分はかならず極楽浄土へ旅立ってみせると誓っている証しなのかもしれない。
死を受け容れているだけに強い。
吹きさらしのお参り場に放置され、深い眠りについたカユは、そこで一生を終えるかに思えた。
ところが目を覚ますと、家屋の中にいた。
自分と同じような老女がまるで幽鬼のようにぞくぞくと現れたのである。
彼女たちはカユよりも以前に捨てられた村の女性たちだった。
死んではいなかったのだ。
カユと仲の良かった、身体の不自由なクラ(赤座)もいる。
老女たちはデンデラという集落で生きながらえていた。
100歳という最長老のメイ(草笛)がデンデラの創始者だが、自分の主張は強く押し通すものの、独裁的な素振りは一切見せず、みな秩序を保ち、平等に暮らしている。
だから集落というより、原始共同体と言った方がいいかもしれない。
狩猟と農耕による自給自足の生活。
一見、新石器時代のように思えるが、竪穴式の住居(わら葺だったが)を見ると、縄文時代みたい。
いずれにせよ、懸命に生きなくてはならない厳しい環境にあることを印象づける。
ヒマラヤの国ブータンの民族衣装をイメージして作ったという簡素な衣服を身につけている。
日本風をベースにしているが、どこかエキゾチックな風情もかもし出している。
言葉も聞いたことのない方言だった。
デンデラ弁という創作されたもの。
場所は何となく東北地方を想起するが、別に特定されてはいない。
寓話なのだから、それでいいと思う。
デンデラの住人は70歳以上で、全て女性である。
年老いた男性も山に捨てられたはずだ。
ならば、一緒に暮らしていてもおかしくないのに、男はいない。
生命力の差なのだろうか。
本作では女性だけの社会という設定が大きな意味をもつ。
新入りのカユなんぞは子供扱いされる。
栄養状態や衛生面からして、長生きできるはずがない。
でもみな長寿で、驚くほどしっかりしており、活力がある。
デンデラはゆめゆめ桃源郷ではないけれど、それなりに居心地がいいのだろう。
その最大の要因は全員が同じ境遇にあることだと思う。
かつて村では邪魔者、厄介者だった。
承知はしているものの、半ば強引に捨てられ、生に執着した者もいたのだろう。
それゆえカユのように死を受容した者はここでは異端児になってしまう。
デンデラ(3)
(C) 2011「デンデラ」製作委員会
彼女たちは、この世から抹殺され、社会から疎外された、完全に忘れられた存在。
現代社会でも、よく似た境遇の人たちがいる。
言わば、社会的弱者である高齢の女性たちが一致団結して、生のエネルギーを燃やし続けているというところが本作の根幹になっている。
自分たちの他にはだれも頼る者はおらず、互いに支え合いながら生きていかねばならない。
何しろ隔離された、人が立ち入ってはいけない空間であるから。
それゆえ、絆は強くなる。
深読みを承知で言えば、デンデラは異界かもしれない。
彼岸、あの世である。
実際は生きているとはいえ、一度は自らの生命を断ち切った者たちが棲む場所。
この世の人間からすれば、異界と映ってもおかしくはない。
そう考えると、デンデラの住人はあの世を支配する妖怪、あるいは妖精に近い超自然的な存在なのか。
最長老のメイはよほど執念深いとみえ、カユが来てデンデラの住人が50人になった時点で村に復讐を果たそうとする。
その意気込みや凄まじい。
決然とした復讐心が彼女の寿命を伸ばしたともいえる。
しかし、「血を見たくない」と平和主義者のマサリ(倍賞)のように反対する者がいる。
前述したごとく、極楽浄土に向かうのを目的にしていたカユはどちら側にもつかず、思い悩む。
デンデラで生きていること自体がおかしいのではないかと。
ここでぼくはふと疑問に思った。
リベンジする必要があるのかということ。
それなら村で暮らしていた時に、何かアクションを起こせなかったのだろうか。
よほど村人や肉親に恨みがない限り、そんな気持ちを抱かないはずだ。
もちろん、男尊女卑の時代。
年老いた女性に発言権などあろうはずがない。
流されて生きるしかなかったし、食べる物がないという村の死活問題にも関わっていた。
ならば、そうした状況を把握し、復讐はもはや無意味だと考えるのが大人であろう。
100年も生きてきたメイなら、よけいにわかろうというもの。
まぁ、この点はあえて不問にしよう。
物語をこう展開させないと、ドラマにならないしなぁ~。
紆余曲折の末、デンデラの住人は出陣を決める。
デンデラ(1)
(C) 2011「デンデラ」製作委員会
50人もの老婆軍団がヤリ、弓、こん棒などを手にして、ドスの利いた眼光を突きつけ、勢ぞろいする様は圧巻としか言いようがない。
みな怨念のようなオーラをギラギラと発散させている。
全員の年齢を足したら、何歳になるのかなと一瞬、ぼくは考えてしまったが……。
見た目はみな、砂かけ婆のようで、かなり不気味だ。
天願監督はしかし、彼女たちを鬼婆に見せなかった。
きわめて純真であるがゆえに、蜂起せざるを得なかったという姿勢をぐいぐい押し出す。
だからどこか健気で、可愛らしい。
観ていて違和感がなかったのは、老婆たちの歯が汚れていたことだ。
昨今、ホワイトニングばやりで、俳優の歯がきれいすぎる。
汚れ役でも、歯だけがピカピカ光っていることがザラ。
しかしここでは、年相応に、生活環境に照らし合わせ、みな汚い歯を臆面もなく見せてくれ、ホッとした。
日焼けでくすんだ肌の色、シミやソバカスを強調させたのもごく自然で、よかったと思う。
それにしても、寒さがビンビン伝わってくる映像だった。
今年1月9日~2月25日、主に山形県の庄内映画村で撮影された。
もちろん山の中でもロケがおこなわれた。
プレスシートの撮影日誌を読むと、かなり厳しい現場だったのがわかる。
撮影時、浅丘ルリ子は役柄と同じ70歳、草笛光子は77歳、狩猟に長けたヒカリ役の山本陽子は68歳。
みな55歳以上の女優ばかりで、きっと寒さがこたえたはず。
撮影所でセットを組んでカメラを回してもよかったのだが、天願監督はロケにこだわった。
老婆たちが置かれた状況を鑑みると、ホンモノの雪と寒さが欠かせないと思ったからだろう。
妥協を許さず、スタッフとキャストが一丸となって製作に意欲を燃やす。
その当たり前のことが映像から感じられ、だからこそ最後まで安心して観ることができた。
さて、ここから物語が急変する。
今まさに村に攻め込もうとしたその時、思いもよらぬ事態が生じたのである。
老婆たちにとっても、観る者にとっても全くの想定外!! 
これを明かすと、身もフタもなくなるので、書かないでおこう。
とにかく老婆たちの前にあるモノが立ちはだかり、両者の間で死闘が繰り広げられ、デンデラが修羅場と化すのである。
それが一過性の出来事かと思いきや、最後までズルズルと引きずっていく。
彼女たちは年甲斐もなく、闘争心をむき出しにして動き回る。
まさに熾烈なアクション!
あわわわっ……。
物語の路線が変わってしまった。
復讐劇はどうなってしまったのか。
ここで引いてしまう人がいるかもしれない。
ひょっとしたら、ドラマをぶち壊したと憤る人もいるだろう。
正直、ぼくも訝った。
でも、こんな展開もありかなと思うと、それなりに楽しめた。
かくも大勢の老女がひとつのターゲットに対して必死になって闘う映画なんて、これまで観たことがなかったから。
語弊があるかもしれないが、バカバカしさが非常に面白く思えたのである。
いったいアレは何のメタファー(暗喩)なのだろうか。
復讐心をそぎ落とす神の化身? 
目的を遂行する人間を邪魔する悪魔? 
自然の脅威? 
試練の象徴? 
憎悪そのもの? 
異界から現世へ戻ることを許さない社会規範の現れ? 
いろんな解釈があるだろうが、すぐに答えは見つからない。
はっきり言って、ぼくにはわからない。
ただ言えることは、不条理な存在であるということ。
そうであるがゆえ、容易に説明がつかない。
突如、発生する天災のようなもの、あるいは無差別殺人を引き起こす犯人のようなものと言えばいいのか。
それが自分たちの生存を脅かすやっかいなモノとあって、老婆軍団が徹底的に叩き潰そうとする。
それにしても、弱者にここまで仕打ちを与えるとは、恐れ入る。原作者(監督も)はよほどサド的な性の持ち主なのか。
しかし善意に解釈すると、人間の底力や怒りを見せつけるために必要なシークエンスと考えられる。
弱者でも、いや弱者ゆえにとんでもないパワーを爆発させることができる。
そこを表現したかったのかもしれない。
日本人の平均寿命は男性が79.59歳、女性が86.44歳。世界でも有数の長寿国である。
これから超高齢化社会に突入し、社会からはじき出されるお年寄りが増えてくるにちがいない。
と同時にシルバーパワーが無視できなくなる。
ここでメイの言葉がぼくの脳裏をよぎった。
「年齢を取ることは罪か。罪ではねえ。年寄りはクズか。クズではねえ。人だ!」
日本社会の行く末に何かしら示唆を与えてくれる、そんな映画だとぼくは思った。
(全大阪映画サークル協議会機関紙 2011年7月1日、第1225号に掲載)

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プロフィール

プロフィール
武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。