武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

映画

エディンバラを舞台にした心染み入るアニメ~『イリュージョニスト』

投稿日:2011年4月8日 更新日:

イリュージョニスト
(C)2010 Django Films Illusionist Ltd/Cine B/France 3 Cinema All Rights Reserved.
英仏合作の素敵なアニメ『イリュージョニスト』が明日(9日)から、大阪ではシネ・リーブル梅田で公開されます(東京では公開中です)。
ほんま、いいです。
オススメです!!
スコットランド好きの人は必見です!!
このアニメについて、全大阪映画サークル協議会の機関紙『大阪映画サークル』に解説をまじえ、エッセーを書かせてもらいました。
その全文を掲載します。
かなり長文、覚悟して読んでください(笑)。
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆                              
とても味わい深いアニメーションだった。
ぼくが追い求めているテーマ「ケルト」(ひと言で言えば、ヨーロッパの基層文化)との絡みで、以前から関心を寄せている地域のひとつ、イギリス(連合王国)北部のスコットランドが主舞台とあって、いっそう心に響いた。
観終わったあと、余韻がいつまでも残り、印象的なシーンが次々と脳裏によみがえってきた。
陳腐な表現だが、ほろ酔い気分になった。
アニメでこんなふうになったのは、スタジオジブリの『となりのトトロ』(1988年)、『紅の豚』(92年)、『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)ぐらい。
正直なところ、アニメは実写映画と比べると、あまり精神を集中させて観ることができなかった。
決して過小評価しているわけではないのだけれど、映画とは別のモノという意識がどこかで働くからだろうか。
だから本紙(大阪映画サークル)のこの欄で、ぼくは一度もアニメを取り上げたことがない。
それが今回は書きたいという衝動にかられた。
監督はフランス人のシルヴァン・ショメ。
デビュー作『ベルヴィル・ランデブー』(2002年)で注目されたアニメ・クリエーターで、敬愛する往年の喜劇俳優(監督)ジャック・タチ(1907~82年)が生前に書き残した『FILM TATI No.4』(56~59年に執筆)という脚本をアニメ化した。
主人公のフランス人手品師(イリュージョニスト)のタチシェフとは、タチの本名。
つまりジャック・タチの物語ともいえる。
日本ではそれほど有名ではないが、フランスでジャック・タチと言えば、喜劇界の大御所だ。
レインコートに帽子をかぶったタチ扮する風変わりな中年男ユロ氏は、のちにイギリスのコメディー王となったローワン・アトキンソンが演じるミスター・ビーンのモデルになったといわれている。
セリフが極端に少なく、パントマイムを主体にしているところかして、なるほどと思う。
1959年の物語。
パリの場末のミュージックホール(大衆演芸場)で、初老のタチシェフが手品を披露している。
非常にオーソドックスな芸。
何十年とやってきたのだろう。
帽子に隠しているウサギがときどき言うことをきかないこともあるが、マイペースでステージをこなしていく。
しかし観客は憐れなほどに少ない。
売れない芸人、どさ回り芸人……。
シャルル・ド・ゴールがフランス大統領に初めて就任した年。
キューバ革命が起き、日本は伊勢湾台風に襲われ、北朝鮮への帰還事業が始まった。
アメリカで誕生したロックン・ロールが若者の心をつかみ、社会はどんどんスピードアップ化し、タチシェフのような芸人はもはや時代遅れとなりつつあった。
かつて人気を博したときもあったが、彼は過去の栄光に溺れることなく、文句ひとつ言わず、粛々と、かつ堂々と自分の芸を貫き通す。
そこに芸人魂を見る。
パリからロンドンへ個人巡業に出かけても、状況はおなじ。
エレキギターをかき鳴らすロカビリー・バンドの陰に隠れ、完全に幕間芸人になりさがっていた。
でも悔しさを顔に出さない。
このあと賑々しいパーティに出演したとき、とあるスコットランド人男性から仕事を依頼される。
この男、タータンチェックのキルト(スカート様のスコットランドの伝統衣装)をはき、酒に酔ってへべれけ状態で、見るからにステレオタイプなスコットランド人だった。
タチシェフはプロだ。
仕事は断らない。
どこへでも行く。
彼はロンドンのキングス・クロス駅から列車で北上してスコットランドに入り、西海岸の港町オーバンから船で内ヘブリディーズ諸島のマル島へ渡る。
さらにマル島の西端フィオンフォートの桟橋から小舟に乗り、対岸に浮かぶアイオナ島に到着した。
ここからがドラマの本筋になっていく。
映像を見て、彼がたどったルートがすべてわかった。
というのは、ぼくはスコットランドへ5回、旅したことがあり、島を含めどこも足を運んだところだから。
昨年の夏には、「ケルト」の取材でオーバンに2泊してきた。
アイオナ島は、563年、海をはさんでお隣のアイルランドから渡ってきた聖コロンバが修道院を建てた島。
スコットランドの聖地であり、今では屈指の観光スポットになっている。
アニメの中でも、海辺の村の右手に修道院が建っていた。
タチシェフは泊まった宿の階下にあるパブ(大衆酒場)で村人たちに手品を見せる。
これが依頼された仕事だったのだ。
そのときパブに電灯がともり、みなが大喜びするシーンがあった。
実際、アイオナ島に電気が通じたのが1959年だった。
今でも辺鄙なところだ。
当時なら推して知るべし。
この島で、主人公が宿屋で働いている少女アリスと出会う。
見た目からして、彼女は貧しそう。
帽子からウサギやワインなどを次々と出してみせる手品師をまるで魔術師とでも思ったのか、少女は驚嘆と奇異な表情でタチシェフを見つめる。
おそらく島以外の世界を知らないであろう彼女の生い立ちがごく自然に描かれていた。
異邦人の男と島の少女。
だんだん惹きつけられていく。
セリフが本当に少ない。
たまに言葉を発しても、ぼそぼそ言っているだけで、どうにも聞き取りにくい。
登場人物のちょっとした仕草で、心理状況から自己主張まですべてを表現する。
そこにこのアニメの魅力があると思う。
アリスがときどき話す言葉は英語ではない。
村人たちの言葉もそうだった。
ゲール語である。詳しく言うと、スコットランド・ゲール語。
ケルト語の一種で、ゲール語ではガーリック(Gaelic)という。
ここから少し解説的になるが、ご了承いただきたい。
ゲール語は500年ごろ、アイルランドから伝わってきた。
それまでスコットランドの先住民(ピクト人)は、別のケルト語を操っていたらしいが、アイルランドから来た人たちが勢力を伸ばすにつれ、ゲール語が次第に普及していった。
彼らはスコット人と呼ばれ、スコットランドの名はそこから来ている。
ちなみにゲール語でスコットランドのことを、アルバ(Alba)という。
ゲール語を話すアイルランド人とスコットランド人は民族・言語学的にはケルト系である。
それゆえスコットランドは「ケルト」の地といわれている。
しかし南部(ローランド)では、ゲルマン民族の一派アングロ=サクソン人(厳密にはアングル人)の侵入でもたらされた英語がゲール語を駆逐し、いつしかスコットランドは英語圏になってしまった。
もっとも、彼らが話す英語(スコットランド英語)には強い訛りがあり、ゲール語の名残も留めており、イングランド人の英語とはかなり異なっている。
それでも、まだゲール語は存続している。
1991年の国勢調査では、スコットランド(人口約500万人)におけるゲール語のスピーカーは約6万6000人だった。
しかし2001年には約5万8000人に減少。
危機的な状況ともいえるが、話し手が多い西部では、街中の表記が英語とゲール語の双方でなされている。
オーバンではゲール語のみの表示も目についた。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド。
これら“4か国”で構成されるイギリスだが、それぞれ文化、歴史、気風、風土が異なり、とりわけスコットランドは個性が強い。
そのひとつがゲール語への執念であろう。
このアニメの時代では、とくにアイオナ島など西部の島々では住民のだれもがゲール語を操っていた。
その大半が英語とのバイリンガーだが、ゲール語しか話せない人も少なからずいた。
アリスは英語も多少は理解できたようだ。
仕事を終えたタルシェフが島を離れ、スコットランドの“首都”エディンバラへ向う。
アリスはこっそりと着いていく。
この人と一緒におれば、何かいいことがある、私の願い事を叶えてくれる、何たって魔術師なんだから。
そんな希望を抱いたのだろう。
フランス語しか話せないフランス人のタチシェフとゲール語スピーカーのスコットランド人少女アリス。
言葉が通じない2人のエディンバラでの共同生活が後半の軸となる。
都会の息吹に魅了されたアリスは夢見心地になる。
見るものすべてが刺激的で、ウキウキしている。
そんな彼女に、タチシェフは生き別れた娘の面影を見て、献身的にサポートする。
普通なら「何で着いてきたのだ」と追い返すはずだが、彼は一度も怒りを爆発させず、終始、慈愛に満ちた眼差しを注ぐ。
ケセラセラ(なるようになるさ)。
そのうち実の父娘のような間柄になっていく。
あゝ、ほんのりとした空気に和まされる。
2人が暮らす安ホテルに住む同業者が哀愁をそそる。
のちにホームレスになる小柄な腹話術師、アクロバットを特技とするラテン系の3人組。
時代に取り残された古風な芸人たちの姿に人生の悲哀を感じさせられた。
いや、タチシェフ自身がそれをにじみ出していた。
限りない愛情を与えたアリスが恋をし、大人の女性へと成長するにつれ、ほろ苦さと切なさがにわかに募ってくる。
見返りを求めない愛。
健気な気持ち。
タチシェフのいじらしさに胸がしくしく痛む。
人の情をかくも見事に凝縮させた演出に脱帽!
エディンバラの情景がこの上もなく素晴らしい。
街の真ん中にそびえる岩山にエディンバラ城が威風堂々と建っており、街全体が重厚な、それでいてどこかシックな風情をかもし出している。
それをアニメで余すことなく描写しているのだから、すごい。
この都会を舞台にした映画と言えば、高校のカリスマ女性教師の生きざまを綴った『ミス・ブロディの青春』(1969年)か、ダニー・ボイル監督の出世作『トレインスポッティング』(96年)ぐらいしか思い浮かばないが、それらより本作の方がはるかに街の趣が出ていたと思う。
中世の街並みを温存する旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。
昨年の夏、22年ぶりにエディンバラを訪れたが、街並みがほとんど変わっていなかった。
このアニメの時代(50年代末)と比べても、景観はほぼ同じ。
いくら時代が移ろうが、変わりようがない。
それがエディンバラなのだ。
新市街もあるが、それだって18世紀半ばに建設されたので、日本のニュータウンとは大違い。
街のそこかしこから歴史の重みが伝わってくる。
タチのオリジナル脚本では、エディンバラではなく、チェコのプラハが舞台になっていたという。
ショメ監督はしかし、スコットランドとエディンバラにすっかり魅せられ、設定を変えたそうだ。
大正解だったと思う。
このアニメの製作中、監督はエディンバラに居を構えていた。
スコットランドは雨が多く、夏でも寒冷で、正直、住みやすいところではない。
けれども、タチシェフがおそらく最後に心を燃え盛らせた場所として、そして最後の仕事を務めた場所として、エディンバラは最もふさわしい地だった。
何しろノスタルジックな空気を存分にはらませているから。
映画館に入ったタチシェフが、銀幕に映し出されていたタチ扮するユロ氏と対面するシーンには鳥肌が立った。
ショメ監督のジャック・タチに対するオマージュ(憧憬)。
こういう演出には弱い。
グサッと胸に突き刺さる。
いかにもフランスらしいエスプリの効いた内容、淡彩でシャレた画風、古き良き時代を懐かしむ空気、そして愛おしい主人公。
すべてがぼくの心をつかんだ。
この世に魔法なんてない。
本作の中でこう言われていたが、このアニメが魔法のようだった。

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プロフィール
武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。