7日に突然、黄泉の客人になってしまった妻、はつ子……。
ぼくは「はっちゃん」と呼んでいました。
通夜が10日(土)18時~、告別式が11日(日)10時半~、大阪市立北斎場(大阪市北区長柄1-7-13)で無事に執り行われ、彼女の関係を中心に、通夜には54人、告別式には60人の方が参列してくださいました。
うちの宗派、浄土宗の真願寺という寺から僧侶が来られましたが……。
本来はしかし、はっちゃんが「宗教があるから戦争が起きている。宗教は好きとちゃうねん」とよく口にしていたので、無宗教の「献花式」にでもすればよかったのですが、急死した直後、気が動転している中で、葬儀会社との打ち合わせとなり、訳の分からぬまま、「はい、お願いします」を連発し、このような通常の仏式葬儀になりました。
時間があれば、もっと妻の世界観を出せた葬儀ができたはずです。
でも、今回はあまりにも突然のことだったので、何も考えるヒマがなし。
まぁ、しゃあないか……。
棺の中で眠っている妻の顔は穏やかそのものでした。
どことなく平安貴族の女官のような感じでした。
納棺師の方が丹精込めて化粧してくださったのでしょう。
祭壇の中央には、あのイラスト展の最終日(11月1日)に撮影された笑顔の写真が飾られていました。
まさかあの写真が遺影になるとは思わなかった。
この顔、大好きなんです。
会場の壁には、動物のイラスト作品などが貼られ、左前方のテーブルには、彼女が描いた伊勢神宮の絵馬、イラストを添えた書籍、そして大好きな日本酒と赤ワインのボトル。
そうそう、「日本一、美味しい」とはっちゃんが言っていた、立ち飲み屋「あわや」の店主、田中伸幸さんがおまじないをして作った特製のポテトサラダも。
本当は、一番お気に入りの「白鷹」を用意したかったのですが、飲み干してしまっていたので、ピンチヒッターで菊正宗。
ワインは、コスパ最高のポルトガル産「コンフィデンシャル 2014」。
これ、来年の結婚記念日に2人でいただくはずだったんですが……。
両日とも、読経と焼香のあとに妻の足跡をたどる写真がスクリーンに映されました。
通常は黙ったまま眺めるものですが、ぼくはマイクを手にして説明しました。
何だか活動弁士のようでした。
そのあとが挨拶。
紋切り型が大嫌いなので、オリジナルのスタイルで通しました。
死に至った経緯、妻とのなれそめ、プロポーズの内容、彼女のキャラ、常に一緒だった海外取材旅行でのエピソード、イラスト展示会……と、途中、嗚咽しながらも、笑いを誘い、話し終えました。
「お兄ちゃん、厳かな場で笑わせるなんて、ホンマにイチビリやなぁ」と棺の中からはっちゃんの声が聞こえてきました(笑)
あとで、多くの参列者から、「武部さんらしいスピーチでした」、「あんな挨拶、初めて聞きました」、「はつ子さんのお人柄がよくわかりました」といった声が寄せられ、ホッとした次第。
続いて、はっちゃんの周りに花がいっぱい添えられ、お酒もまかれました。
大学の教え子の母親から贈られた胡蝶蘭の香りが際立っていたなぁ。
そして出棺。
2階で火葬されたとき、心の中で叫びました。
「はっちゃん、おおきに、ホンマにおおきに、ありがとさんでした。向こうの世界でちびちびお酒を飲みながら、イラストや絵を描きや。もう脚の痛みはないんやから」
椎間板ヘルニアの手術の後遺症で、この30年間、ずっと両下肢のシビレと痛さに悩まされていました。
見ていて辛かったわ。
彼女はしかし、異常なほど我慢強く、めったに泣き言を言わなかったです。
体重が30キロちょっと、身長が154センチ。
年々、小さくなっていきました。
だから、遺骨は思いのほか小さかった。
こうして葬儀を終え、遺骨を抱えて帰宅。
自室に設けられた祭壇に、日本酒とワインを置き、自作のイラスト画を飾りました。
骨となってしまった、はっちゃん……。
形がどう変わろうが、いつも一緒です。
夜半、遺影と向き合っていると、はっちゃんの声が聞こえてきました。
「お兄ちゃん、ごめんね、先に逝ってしもうて。私の力ではどうにもならへんかってん。悲しなったら、思いっきり泣き! せやけど、ずっと打ちひしがれているのはアカン。無理しない範囲内で、普段の生活を送ってちょうだい。それが私の一番望んでること。わかってくれた?」
ということで、彼女の望むようにこれから生きていこうと思っています。