今日の午前中、2年前の4月に黄泉の客人になられた母校・大阪市立東中学校の恩師、坂本寿栄子先生のご自宅を訪れ、お線香をあげさせてもらいました。
享年、100。
葬儀に参列できず、その後、コロナ禍などでなかなかお参りもできず、今日に至りました。
遺影のお顔は実に穏やかでした。
どうして恩師なのかというと――。
高校受験を控えていた中学3年の夏、ぼくは陸上部の走り幅跳びの選手として全日本中学校放送陸上競技大会の出場が決まっていました。
現役最後のビッグ大会なので、やる気満々!!
特訓を積み重ねてきました。
ところが、当日に実力テストが実施されることになったんです。
東中学校は大阪で指折りの進学校で、とにかく部活よりテストが優先。
そこで担任の坂本先生に「どうしても大会に出たい」と訴えると、ぼくを校長室へ連れて行き、校長に直談判してくれはりました。
「実力テストはこれから何回も実施されるけど、放送陸上競技会は武部君にとって人生で1回限りの大事なイベント。今回は特例で実力テストの免除をお願いします❗」
必死で懇願してくれはったのに、「前列がない」の一点張りで、結局、願いが叶わず。
ホンマ、なんちゅう学校や~😠
悔して悔しくて涙するぼくに、先生は「非力でゴメン。ホンマにゴメン。あの校長の石頭❗」と一緒に泣いてくれはったんです。
それまで、「エレキばばあ」というあだ名が付けられ、ガミガミと口うるさい国語の女性教師としか思っていなかったんですが、この1件で先生を見る目がコロッと変わりました。
とことん信頼できる人やと!
くだんの実力テストは、反発心から全教科白紙回答で出しました。
すると、「アホ~! ええ成績とって校長を見返さなあかんのに」と先生のカミナリが落ち、頭を強くはたかれましたわ(笑)
怒るときはちゃんと怒りはるんです。
その後、学区トップの大手前高校へ入学するための予備校みたいな中学の体質がほとほと嫌になり、受験勉強するのがアホらしくなってきました。
そして、進学先を学園紛争のせいで定員割れになっていた清水谷高校に決め、あえて私学併願をせずに、すんなり合格できました。
このときも「万が一に備え、私学を受けときなさい!」と先生から勧められ、それを拒否し、えらい心配をかけました。
まぁ、この選択は大正解でした!
のちに新聞社を中途退職したときには、「武部君なら一匹オオカミでやっていける」と背中を押してくれはり、著書を謹呈すると、必ず激励の言葉を添えて感想文を送ってくれはりました。
どれほど励みになったことか。
「坂本先生、ホンマにいろいろありがとうございました~!!」
拙著『フェイドアウト 日本に映画を持ち込んだ男、荒木和一』をお供えさせてもらってから、仏壇の前で手を合わせました。
ご存命なら、どんな感想を送ってこられたのか‥‥。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。