先日、映画絡みの講演を依頼され、その担当者とのやりとり。
「肩書は映画評論家ですよね」
「ちゃいますよ」
「映画関係の本を何冊も出しておられ、新聞にも映画評を寄稿しておられるでしょ」
「はい、でも映画評論家とちゃいますねん。エッセイストです」
「???」
「評論なんてしてませんから」
「???」
以下、ぼくの持論です。
日本にはやたらと「映画評論家」と称する人が多いです。
「映画ライター」とするよりも箔がつくからでしょうかね。
世間的にもその方が通りがええかもしれませんね。
でも、ガチンコで評論するとなるとほんまに難しい。
ぼくはできませんし、その気もありません。
それよりも自分で「表現」したいです!!
だから、正直、評論家というのが好きではありませんねん(笑)。
他の芸術・芸能・文化の領域を見ると、文芸評論家、美術評論家、音楽評論家……がいかに少ないか。
良く言えば、映画は娯楽性が強く、近しい存在にあるからなのでしょう。
悪く言えば、映画を軽く見すぎている……。
欧米で、映画評論家と名乗っている人はほんまに少ないですよ。
まぁ、社会から「映画評論家」と認められておれば、それは全くノープロブレムですが、あまりにも「自称」の人が多いような気がします。
「ジャーナリスト」の肩書もそうですね(笑)。
その他いろんな分野で、少し専門知識があると、安易に「〇〇評論家」の肩書をつけてしまいます。
日本人は「評論家」がお好きなんですね。
日ごろ思っていることをつらつらと書かせていただきました。
政治家、小説家等「家」のついた肩書を名乗っている連中に禄なのおりまへんな。
島川さん
確かにそうですね(笑)