「恩師」と呼べる人がこの夏(8月27日)に亡くなっておられたのを、ご遺族からの喪中欠礼のご挨拶状で知りました。
広島大学・大阪大学名誉教授の藤田尚男先生。
享年86。
25年ほど前、読売新聞大阪本社の科学部記者をしていた時、中之島にあった阪大医学部解剖学教室の教授をされていた藤田先生とご縁ができました。
京都府立医大から広島大へ、そして阪大という異色の経歴です。
飄々としたジェントルマン。
やや色白いお顔で、笑うと細い目がパッと大きくなったのを覚えています。
医学者でありながら、文科系の素養を持っておられました。
ぼくも100%文科系人間。
自然とウマが合い、取材とは関係なく、しばしば教授室に足を運んでいました。
そこでは医学や医療の話よりも、文学、哲学、野球、相撲、映画、旅、海外事情など他分野の話題で盛り上がり、いつも刺激的で楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
あっという間に時間が過ぎ、そのまま居酒屋に流れ、話の続きをしたことも。
といっても、先生はあまり飲める口ではなかったのですが……。
ぼくが阪大文学部美学科の出身と知るや、アリストテレスの美学について朗々と、かつ熱っぽく語ってくださいました。
大学時代の講義よりもずっとわかりやすかったです。
もっとも美学科に在籍していたとはいえ、演劇学(映画)専攻だったので、本筋の美学のことはほとんど知らなかったのですが。
「武部さんは全く科学記者らしくないなぁ。学芸(文化)記者の方が向いてますよ」
図星です!
そのあと念願叶って、文化部に異動できました。
1995年に新聞社を辞め、フリーの物書き(エッセイスト)になってから、本当のおつき合いが始まりました。
2か月に一度くらいのペースで、ランチを共にしていたのです。
場所は藤田先生が阪大を定年退官後に働いていた塩野義研究所の食堂や梅田のレストランなどでした。
「武部さん、そろそろどないですか、昼飯でも」
いつも早朝に先生から電話で誘ってもらい、それを心待ちにしていました。
〈新聞社を辞めて大丈夫なんかなぁ……〉と内心、心配されておられたのかもしれませんね。
ぼくがライフワークにしているケルト文化についてお話しすると、にわかに興味を覚えてくださり、拙著を謹呈させてもらってからは、「うーん、ケルトはオモロイですなぁ」と。
そのうち確か奥様とご一緒だったと思いますが、スコットランドを旅してこられました。
好奇心が旺盛で、抜群の行動力。
凄いと思いました。
「武部さんは友達です」
26歳年下の若輩者であるぼくのことをそう言ってくださり、しかも「武部君」ではなく、「武部さん」と「さんづけ」で通しておられ、常々、恐縮していました。
文章が巧くて、新聞や学会誌でよくコラムを書かれておられました。
そして喋るのが大好きで、本当に愉快に話しておられました。
ご本もいろいろ頂戴しました。
感謝です。
「変化球も大事ですなぁ。直球ばかりやと体が持たないからね。やっぱり完投せなオモロクない。剛速球はここぞと思う時に投げてこそ効き目があります」
さり気なく教えてくださった人生訓……、忘れられません。
そんな藤田先生を慕っていました。
ぼくは先生の教え子ではありませんが、いつしか「恩師」と呼べるような存在になっていました。
数年前、体調を崩されてから、ずっと心配していました。
お顔を伺いに行こうと思っていたのですが、それが叶わずじまいになり……。
それが悔いに残っています。
葬儀は家族葬とのことで、近親者で執り行われたそうです。
もう一度、時間を気にせず、先生といろいろお話をしたかったなぁ。
天国におられる藤田先生、本当に本当にありがとうございました!
先生の分までしっかり生きていきます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。