武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

大阪 映画

Osaka Metroのアプリ『Otomo!』にぼくのエッセイ「〈映画のふるさと……難波!〉が掲載中

投稿日:

Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)のアプリ「Otomo!」に掲載中のぼくのエッセイです。

タイトルは、『〈映画のふるさと〉……難波!』

これ、拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)を上梓した2年前から訴えていることです。

  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

大阪見物をしたいと先日、東京から知人が来阪しました。

ありきたりな観光スポットでは芸がない、どこか穴場がないものかとあれこれ思案していると、この人が大の映画好きで、歴史にも興味を持っていることを思い出し、ならば、ここしかないと連れて行ったところが難波でした。

夕方、待ち合わせ場所の梅田で再会し、難波へ行くと告げると、「何度も行ったことありますよ」と怪訝な顔を。

ぼくはニタニタ笑い、「あっと驚く知らない難波ですよ」。

なんば駅に向かうOsaka Metro御堂筋線の車中でのやり取り。

「今や映画と映像が世の中にあふれ返ってますが、そもそも日本で最初に映画の興行が行われたのはどこか知ってはりますか」

彼は即座に「京都でしょう」

ブーッ、ハズレ。

「ちゃいますよ。大阪です。それも難波」

「えっ!」

なんば駅の南改札口から地上に上がったところに「TOHOシネマズなんば」や「なんばマルイ」などが入る複合商業ビルの東宝南街ビルが建っています。

向かい側は荘厳な外観を呈する髙島屋大阪店です。

東宝南街ビル

「かつてここにあった南地演舞場で、映画が初めて一般公開されました。入場料を取って観せたので、日本における映画興行の始まり。今から121年前のことです」

このあとぼくはかいつまんでこんなふうに説明しました――。

時は明治30(1897)年2月15日。その映画とはフランスの映写機シネマトグラフによる映像。

南地演舞場は「南地五花街」の綺麗どころの技芸向上を目的に造られた豪勢な木造家屋でした。

長らく存続していたのですが、戦時中の建物疎開で撤去されました。

南地演舞場(『近代大阪の建築』大阪府建築士会1984年)

シネマトグラフは、リヨンのリュミエール兄弟が発明した世界最初のスクリーン投影式映画です。

商用でフランスを訪れていた京都の実業家、稲畑勝太郎さん(稲畑産業の創業者)がその装置とフィルムを持ち帰り、ここで一般上映したのです。

稲畑勝太郎さん(『稲畑八十八年史』 稲畑産業1978年)

シネマトグラフの装置(左)、右は投光器(リヨンのリュミエール研究所で筆者が撮影)

当時、ドラマなんてものはなく、風景や人物の実写だけ。

それも上映時間が1分~3分と短い。それでも写真が動いたので、みなびっくり。

2週間にわたって公開され、連日、押すな押すなの大盛況でした。

「ここに映画興行発祥地の碑文がありますよ」

戎橋商店街から東宝南街ビルのエレベーター乗り場に知人を導き、奥の左手の壁にはめ込まれた銅板プレートを指さしました。

これは昭和28(1953)年、以前あった南街劇場が完工された際、東宝社長の小林一三さんが歴史的事実を知って作ったものです。

髙島屋前から北に戎橋商店街を臨む

戎橋商店街から見たエレベーター乗り場

「映画興行発祥地」の碑文

「このモニュメントの存在を知らない人が多いでしょうね」

「そうなんです。表の商店街に『映画興行発祥地』の説明板を立てれば、観光客にもアピールできると思うんですが……」

さらにぼくは言葉を紡ぎました。

「ここは映画が一般公開されたところですが、最初に試写上映されたのは別の場所なんですよ」

碑文に目を通していた知人は反射的に振り向きました。

「えっ、試写ですか? シネマトグラフの?」

「ちゃいます。もうひとつ別の映写機があったんです。それはエジソン商会が販売したアメリカ製の映写機ヴァイタスコープ。エジソンというのはあの有名な発明王です」

東宝南街ビルを離れ、髙島屋西側のパークス通りを200メートルほど南下し、大きな換気塔がそびえる「難波中」交差点の北東角に来ました。

南側には複合施設のなんばパークス。

かつて南海ホークスの本拠地、大阪球場がありました。

あゝ、懐かしい……。

パークス通りを南に臨む

「難波中」交差点

「心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和一さんという人が渡米中、シカゴでヴァイタスコープの映像を観て驚き、すぐにニューヨークへ向かい、エジソンと直談判の末、装置とフィルムを輸入しました。そして明治29(1896)年12月のある日、この場所にあった福岡鉄工所で試写を行ったんです」

荒木和一さん(同志社大学図書館『荒木英学文庫目録』 1978年)

ヴァイタスコープの装置
(『シネマの世紀 映画生誕100年博覧会』カタログ 川崎市市民ミュージアム1995年)

福岡鉄工所(『成功亀鑑』1907年)

ぼくが一気に説明すると、東京のジェントルマンはいたく興味を示しました。

「どうして鉄工所で?」

「ヴァイタスコープは直流の電動式やったんですが、大阪の電気は交流。そのままだと動かないので、電気変換器が必要になり、あちこち探し回ったところ、福岡鉄工所に変換器があるのがわかったんです」

「なるほど」

「京都で行われたシネマトグラフの試写はこれよりもずっと後のこと。つまり、日本で初めて映画がスクリーンに映されたのはこの場所に間違いないと思いますよ」

荒木さんは試写上映をいち早く成功させながら、一般公開はシネマトグラフに先を越され、1週間後の2月22日から3日間、難波の北西1.4キロ離れた西区の新町演舞場でヴァイタスコープの興行を打ちました。

「フランスのシネマトグラフとアメリカのヴァイタスコープ。映画の渡来をめぐり、こんなドラマチックな攻防があったとは全く知らなかった。それも大阪が舞台だったんですね」

東京の客人はやや興奮気味。

「はい、大阪の中でも難波です。映画の初上映と初興行の地なので、難波が日本における〈映画のふるさと〉と言ってもいいでしょう。このことをもっとアピールせなあきませんね」

気がつくと、薄暮になっていました。

阿吽の呼吸で2人して近くの居酒屋へ直行。

想定外の大阪見物を体験した知人は「確かにあっと驚く知らない難波でした」と満足そう。

ぼくの方もひと味違った〈おもてなし〉ができ、うれしかったです。

そして乾杯! 

ビールが美味かった。 

-大阪, 映画

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武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。