アイルランドの素晴らしいアニメです。
全大阪映画サークル協議会の会報「大阪映画サークル」に寄稿した映画エッセーの全文をご紹介します。
長文ですが……(^^;)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スタジオ・ジブリやディズニーの話題作は一応、観ているけれど、俳優が関与(演技)しないアニメは映画として範疇外(別物)のようにとらえており、正直、それほど興味の対象にならなかった。
ところが『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』は心にビンビン響いた。
ぼくの大好きな国のひとつ、アイルランドを読み解く〈情報〉がわんさと詰め込まれているから。
それは政治や経済ではなく、文化的な要素だ。
本当に何もかもすべてがアイルランド一色のアニメ映画だった。
ぼくはライフワークにしている「ケルト」の取材でこれまで何度もアイルランドを訪れた。
古代、強大なローマ帝国の支配を受けず、ヨーロッパ大陸から受け継いだとされる「ケルト」文化を独自に育み、さらに中世になってキリスト教の文化・価値観をそれに融合させた。
お隣のイングランド(のちの大英帝国)に制圧された近世以降、その「ケルト」を前面に打ち出して民族意識を高め、英国からの独立の精神的支柱としてきた。
そんな歴史的ないきさつから、アイルランドはヨーロッパの中でもかなり独特な空気を放っている。
昨今、その独特な空気を観光の目玉に据えて「ケルトの国」と標榜し、世界各地から観光客を呼び込んでいる。
しかし「ケルト」の本流はあくまでもヨーロッパ大陸にある。
古代、ローマ帝国によって「ケルト」は大陸から消え失せた(吸収された)ものの、今でもドイツやフランスなどにはケルト関係の博物館が点在している。
ところが、アイルランドやスコットランドは本流ではないため(考古学的には異端?)、国内に「ケルト」と銘打った博物館が存在していない。
そんな奇妙な状況になっている。
それでもアイルランドには土着信仰と結びつき、ミステリアスな民話、伝説、神話が息づいている。
今日、それらはケルト民話、ケルト伝説、ケルト神話と呼ばれている。
実際は中世、修道院で編まれた説話群のことだが、19世紀後半から「ケルト」の名称が作為的に使われ始めた。
そしてノーベル文学賞を受賞した詩人・劇作家のウィリアム・バトラー・イェーツ(1865~1939)がアイルランド各地の伝承をまとめた書物に「ケルト」の冠を授けたことでその名が定着した。
とりわけ妖精が登場する物語がやたらと多い。
その中でポピュラーなのがセルキーである。
人間に姿を変えることのできるアザラシで、民間伝承に見られる神話上の生き物、つまり一種の妖精と考えられている。
陸に上がるときは皮を脱いで人間に変身するので、日本での「羽衣伝説」と似通っている。
セルキー伝説はアイルランドよりも、むしろ英国・スコットランドの西部と北部の海岸部や諸島に数多く残っている。
実際、その辺りはアザラシの一大生息地。
海岸を歩いていたら、アザラシが海面からぴょこんと首を出し、興味津々着いてくる。
何とも愛嬌があり、「あれはセルキーに違いない」と思ったりしてしまう。
日本の水族館で飼われているアザラシからは、セルキーらしさがちっとも感じられないけれど。
そのセルキーの物語をアニメ化したのが本作なのである。
そう言えば、セルキー伝説を実写で撮った映画があった。
アメリカのジョン・セイルズ監督の『フィオナの海』(1994)。
アイルランド北西部の小島が舞台で、母親が病死した時、幼い弟が波にさらわれる。
後日、弟がアザラシと一緒に泳いでいたという目撃があり、姉のフィオナが弟を捜すために奔走する。
原題は『The Secret of Roan Inish(ローン・イニッシュの秘密)』。
「ローン・イニッシュ」とは「アザラシの島」のこと。
このようにセルキー伝説には、大抵、家族や親しい人がいなくなるという喪失感を伴う。
さて、ここから本作について述べる。
アイルランド北西部ドネゴール州と思われる僻地の村の沖合に小さな島が浮かんでいる。
どうやらアラン・モア(アラン諸島)の小島をモデルにしているようだ。
ケルト音楽を世界に広めたエンヤの故郷がその辺り。
楚々とした景色と澄みきった空気。
地の果てをイメージさせる。
ケルト語の一種、アイルランド語(ゲール語)が日常的に話されている「ゲールタハト」と呼ばれている地域でもある。
その島の切り立った崖の上に灯台がある。
何だか「モハーの断崖」みたい。
そこで灯台守の父親コナー、子どもを身ごもっている優しい母親ブロナー、ひとり息子のベンが幸せに暮らしている。
人物の顔と絵のタッチ、佇まいがどことなく日本のアニメ風なので、驚かされる。
アイルランド人のトム・ムーア監督は日本のアニメファンで、ジブリの『となりのトトロ』が大好きだという。
そのためこういう画風になったのだろう。
母親が女の子を産んだとき、海へ消えてしまった。
彼女はセルキーだったのだ。
子どもと引き換えにアザラシに戻った……。
父親とベンはまさかブロナーがセルキーだとは知らず、傷心の想いに浸る。
とくにベンは、生まれてきたシアーシャが母親を死なせた張本人だと思い込み、何かにつけて妹を邪険にする。
それでも健気に兄に寄り添おうとするシアーシャがとてもいじらしく、愛らしい。
シアーシャの誕生日が母親の命日でもある。
それがハロウィーンの前日(10月30日)だ。
その日、都会(おそらくダブリン)に暮らす厳格な祖母が孫の誕生を祝いに島にやって来る。
祖母は「こんな不便な場所では子育てはできない。しかも男やもめで」と翌日、ベンとシアーシャを引き取り、都会へ連れて行く。
それが10月31日、ハロウィーンの当日である。
この映画でもお化けの仮面をつけた子供たちがはしゃいでいる光景が描かれていた。
古代・中世のアイルランドの暦(いわゆるケルト暦)では、この日が大晦日。
翌日の11月1日から新年が始まる。
10月31日、夜の帳が下りると、異界(彼岸=あの世)から妖精、魔女、巨人、幽鬼など超自然的な生き物がこの世に現れ、翌朝の日の出とともにスーッと異界に戻っていく。
人間たちは恐ろしいクリーチャーの目を欺くため、同じような格好をするようになった。
それがハロウィーンの祭りの起源だ。
ドラマの本筋はすべてハロウィーンの夜に起きる。
だから幼い兄と妹は、ディーナシーと呼ばれる妖精やフクロウの魔女マカらと出会ったのである。
そもそも妖精とは何なのか。
アイルランドの国造り伝説によると…………。
魔力を持つ種族が次々とアイルランド島に渡来し、そのつど建国していったが、病気や争いによって長続きしなかった。
そして国に平和をもたらしたのが厚い雲に乗って飛来したダーナ神族。
彼らは言わば、「やおよろずの神々」で、みな巨人である。
その後、人間のゲール人(ゲール語を話す人)がやって来て、ダーナ神族を崇めていた。
しかしキリスト教が広まり(歴史的には432年)、彼らの居場所がなくなってきた。
体もだんだん小さくなり、やがてこの世から消え去ってしまった。
そして「ティル・ナ・ノーグ(常若の国)」という国で住み始めた。
それが妖精である。
つまりかつての神様の成れの果ての姿ともいえる。
「ティル・ナ・ノーグ」は異界そのものであり、西の海のかなたか地下深くにあるとされている。
ハロィーンの夜になると、妖精たちが大挙してこの世に出てくるが、普段でも時折、ひょっこり姿を現し、人間を驚かせることがある。
そんな妖精の存在を科学的に説明できないのはわかっていながら、アイルランドの人たちは全く否定していない。
何という豊かな精神性!!
だからこそこんなファンタジー映画が生まれるのだろう。
妖精と言えば、ピーターパンに出てくるティンカ・ベルのような可愛い女の子を思い浮かべるが、アイルランドの妖精は概して、「おっちゃん」が多い。
それも顔の大きなブ男。
このアニメでも風変わりな3人組が物語にコミカルな彩りを添えていた。
ハロウィーンの夜、祖母の家から抜け出したベンとシアーシャが、母親の形見の品である貝殻の笛から奏でられる不思議なメロディーに導かれ、島に帰る。
つまりひたすら西へと向かうのである。
アイルランドのケルト神話はみな「西」が重要ポイントになっている。
人間の父親とセルキーの母親から生まれたベンは父親の血を受け継ぎ、人間の属性が強い。
しかしシアーシャは限りなく母親似で、セルキーに近い。
だから海から離れた都会に来ると、当然のごとく衰弱していく。
一刻も早く西の海に戻らねばならない。
後半は物語がスピードアップし、だんだん活劇風になっていく。
そしてセルキー伝説に欠かせない「アザラシの皮(コート)」がキーワードとなる。
このアニメを観ていて、『白馬の伝説』(1993)という素晴らしいファンタジー映画を思い出した。
亡くなった母親が白馬(妖精)として甦り、幼い兄弟をダブリンから故郷の西海岸へと連れていく。
原題はズバリ、『Into the West(西方へ)』。
白馬の名が、前述した「ティル・ナ・ノーグ」というのも意味深だった。
『ソング・オブ・ザ・シー』と『白馬の伝説』ともに、黄泉の国(ティル・ナ・ノーグ)に召された母親が愛する子どもたちを西の海へと導く物語。
このアニメでは題名のごとく、「海のうた」が母親そのものであり、セルキーの精でもある。
脇役の愛犬クーは、アイルランドの伝説上の英雄クー・フリンからその名が取られているのだろう。
ベンとシアーシャの前に立ちふさがるフクロウの魔女マカ(マッハ)が「悪者」としてドラマを盛り上げる。
マカは戦いの女神。
その魔力は強烈で、邪魔する妖精を片っ端から石に変えていく。
それに勝てるのはセルキーの歌しかない。
恐ろしいマカにも秘密がある。
灯台の島の向こうに浮かぶ孤島が、実はマカの息子マクリルという巨人が哀しみのあまり石にされたものだとわかる。
こういう奇抜な発想もたまらなく面白い。
マクリルは、海の神マナナーン・マクリールのこと。
アイルランドとイギリスとの間に浮かぶマン島を造った神様といわれており、その島の守り神でもある。
本作はトム・ムーア監督の2作目の長編アニメで、1作目は『ブレンダンとケルズの秘密』(2009)。
日本では一般公開がなかったが、ぼくは2010年の大阪ヨーロッパ映画祭で運よく観ることができた。
アイルランドの至宝ともいえるキリスト教の装飾福音書『ケルズの書』が中世に生まれたいきさつを、バイキングの来襲を絡ませて描いていた。
『ケルズの書』はダブリンのトリニティ・カレッジの図書館に展示されており、その装飾文様はケルト美術の最高峰として知られている。
ムーア監督はアイルランドの歴史と文化にとことんこだわっている。
幻想的な映像美と音楽によって、大人も楽しめるアニメに仕上げた。
本作の映像は前作よりもはるかに洗練されていた。
直線に刻みを入れたアイルランドの古代文字「オガム文字」やスコットランドの先住民ピクト人による謎めいた「ピクト文様」などもさりげなく添えられているところがニクイ。
日本人にはなじみのないアイコンやキャラクターが次々と現れ、ややこしく思えるが、話は実にシンプル。
いろんな神や妖精を登場させ、アイルランドの精神風土を散りばめながら、家族愛を描いた物語。
観ているうちに、知らぬ間に夢幻的な世界に浸っていくように仕掛けられている。
プレスシートの解説にも触れられていたが、妹の名シアーシャ(Saoirse)はアイルランド語で「自由」を意味する。
アイルランドの田舎娘がニューヨークで未来を切り開く物語『ブルックリン』(上映中*確認してください)の主演俳優、シアーシャ・ローナンも同じ名前とわかり、妙にうれしくなった。
8月27日(土)シネ・リーブル梅田
以降 京都シネマ、 元町映画館 にて順次公開