ソ連兵の顔が見えるソ満国境(中国東北部)で守備隊を務めてたんや。
向こうの兵士、まだ幼かった。
こっちも20代前半やったけど。
凍傷におびえながらその酷寒の地で2年ほど駐屯していたら、いきなり九州の宮崎へ移れと命じられて。
大陸から九州へは輸送船で向かったんやけど、2隻が米軍の潜水艦の魚雷で沈没したわ。
宮崎に着いたら、米軍の本土上陸に備え、日南海岸で連日、朝から晩まで塹壕掘りと土嚢積み。
ほんまにしんどかった。
あぁ、ここで死ぬんやなと覚悟を決めてた。
1か月ほど同じ作業の繰り返し。
半日、休暇をもろうて都城へ行ったとき、戦友たちと一緒に玉音放送を聞いた。
街のどこかの運動場やった。
天皇さんの声、ほとんど聞こえなかった。
何を言うてるのかチンプンカンプンやったけど、これで戦争が終わったことだけはわかった。
「一人も殺さずに済んで、ほんまによかった」
心底、ホッとした。
涙は一滴も流れへんかった。
せやけど、3か月後やったか、復員して大阪駅に降り立ち、空襲で焦土と化した街を目にした瞬間、泣き崩れてしもうた。
日本が敗れた日、大日本帝国陸軍の兵長だった亡きオヤジ(当時、25歳)から生前、よく聞かされた話です。
ふと今日が近鉄上本町店で開催中の『「モノ」が語る戦争展』の最終日と知り、あわてて会場へ。
千人針、焼夷弾の模型、慰問袋、疎開用の服、米軍の情報宣伝ビラ(降伏を促す!)……。
興味深い品々がいっぱい展示されていました。
なかでも目が留まったのは、映画製作会社・日活の社員が出征した時の寄せ書き。
嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、月形龍乃介、志村喬、マキノ雅弘、稲垣浩……。
往年の映画スターと監督の名前がびっしりと記されていました。
実は、それを「解読」したのがぼくでした。
映画評論家となっていますが、ぼくはそうではありません(評論をしてことがありません)。
エッセイストです。
主宰者の1人で、、『孫たちへの証言』の出版を続けている福山琢磨さんから調べてほしいと依頼されました。
会場はほとんど年配者。
若い人たちにもっと戦争の悲惨さと愚かしさを知ってほしいです。
戦争がどんどん風化しているだけに、今こそ戦争教育の「新機軸」を打ち立てるべきだと思っています。
武部先生、こんにちは。
サインの解読、お疲れ様です。
スターのサインも数が集まりますとすごいインパクトですすね。
1938年といえば、秋に市川百々之助が退社しておりますので、
別の意味でも貴重なサインの寄せ書きです。
モノも手に触れると実感がわきますが、
ホワイトボードにマグネットでとは、笑。
ぜひこの日の丸は大切に保存・保管していただきたいです。
現物のもつ力は大きいので
多くの方に見ていただきたいと思いますが、
開催期間が短いのがホント残念!
百々之助様
コメント、ありがとうございました。いつも返信が遅くなり、すみません。
寄せ書きなどを出展されたのは、日活職員の小川さんの息子さんで、現在、東大阪市で暮らしておられます。
ジャズ、映画、イベントの企画などをされる多彩なお人です。