武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

映画

戦後処理を個人で続けてきた人物の軌跡~ドキュメンタリー映画『クワイ河に虹をかけた男』(19日、公開)

投稿日:

『戦場にかける橋』で知られる、第二次大戦中の泰緬鉄道建設工事での悲劇。

 

その贖罪と鎮魂・慰霊の活動を続けてきた元陸軍憲兵隊通訳、永瀬隆さんに20年間、密着取材したドキュメンタリー映画『クワイ河に虹をかけた男』が19日から大阪・第七藝術劇場で公開されます。

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この映画を観て素直に思ったこと、感じたことを『大阪映画サークル』(全大阪映画サークル協議会機関紙)の紙面にしたためました。

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長文ですので、覚悟してください~(笑)

 

これまで数え切れないほどのドキュメンタリー映画を観てきたけれど、20年間も取材対象者に密着した作品はそうざらにはない。

しかも、たった1人で「戦後処理」を続けている男性(実際には夫婦で活動しているが……)の生きざまを追いかけてきたというのだから、恐れ入る。

ドキュメンタリー映画は、対象に近づけば近づくほど、映像にパワーが生まれる。

しかしある程度、客観的に見据えないと、どうにも息苦しくなり、強引に「1つの着地点」に導かされる危険性がある。

だから距離感が重要だと思う。

例えば、「反戦」というテーマなら、撮り手(監督=発信者)の意識がことさら強く、これでもか、これでもかと戦場のシーンを観せつけられると、かえって辟易としてしまう。

むしろそういう場面を抑え、深みのある証言を添えるなどいろんな角度から戦争を捉え、観る者の自由裁量に委ねるのが一番、心に響くのではないかと思っている。

それが、本作ではやや趣が異なる。

撮り手と取材対象者の距離があまりにも近すぎるというか、まるで一体化し、「同志」のような間柄になっているのである。

こんなドキュメンタリー映画は珍しい。

それでいて、鼻につかず、最後まで興味深く観させ、「伝えたいこと」をきちんと伝えていた。

本当に20年間という長い歳月の重みをズシリと感じさせる、そんな骨太なドキュメンタリー映画だった。

主人公は岡山県倉敷市出身の永瀬隆さん。

2011年6月、93歳で黄泉の客となった。

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この人物を地元テレビ局、瀬戸内海放送の満田康弘記者(現在、同放送局報道クリエイティブユニット岡山本社副部長)が長期取材し、熱く地道な活動を事細かく記録した。

戦時中の1942年7月、大日本帝国が戦況打開にと英領インドの侵略を図り、物資の搬送ルートを確保するため、日本軍が占領していたタイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道(総距離415キロ)の建設が始まった。

その工事にイギリスを盟主とするオーストラリア、ニュージーランド、カナダなどの英連邦軍、アメリカ、オランダといった連合軍の捕虜約6万人とアジア諸国の労務者25万人以上が従事した。

捕虜の多くがイギリスと英連邦軍で、アジアの労務者の中には朝鮮半島出身者も少なくなかった

。関与した国は14か国にも上る。

デヴィッド・リーン監督の名作『戦場にかける橋』(1957年)で描かれていたように、クワイ河沿いの線路敷設はかなりの難工事で、悲惨な状況下、作業が行われた。

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酷暑の中での長時間重労働、コレラや赤痢、マラリヤなどの伝染病の蔓延、そして食糧と医薬品不足。

倒れる者が相次ぎ、1万3000人の捕虜、数万人の労務者が亡くなったといわれている。

こうした多大な犠牲を払い、10年はかかると見込まれていたのが、何と1年3か月で完成した。

ゆえに「死の鉄道」と呼ばれた。

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永瀬さんは陸軍憲兵隊の英語通訳としてこの鉄道建設に関わった。

もちろんお国のために従軍していたものの、過酷な労働と捕虜の虐待を目の当たりにし、胸が痛んだ。

しかしどうすることもできなかった。

敗戦後、タイから日本へ帰還。

連合軍の通訳、高校の英語教師を経て、郷里の倉敷市で英語塾を営んでいたが、泰緬鉄道での出来事が片時も脳裏から離れなかった。

映画は1994年2月、妻の佳子さんを伴ってタイへ向かうところから始まる。

これが82回目のタイ巡礼だった。鉄道建設の犠牲者に対する慰霊と贖罪のみならず、インパール作戦で命を落とした日本兵の鎮魂も大きな目的だった。

かつての敵味方関係なく、同じ人間であるという視線、つまりヒューマニズムに基づいた行動を永瀬さんはずっと貫いてきた。

そこにはタイの国と国民への感謝の念が常にあった。

この時点から最後となった135回目の巡礼、そして永瀬さんの死去に至るまでを満田記者が克明に映像に焼きつけている。

夫婦による巡礼だけを追ったのではない。

タイの人たちとのふれ合い、かつての捕虜やアジア人労務者との再会、「ヘルファイヤー(地獄の業火)・パス」と呼ばれる崖が切り立った超難工事の跡地訪問、横浜にある英連邦軍兵士の墓参、各地での集いや講演の様子などあらゆる角度から永瀬さんを捉えている。

カメラはまるでこの人の体にまとわりつくように、映像の形で「記憶」を「記録」に変えていく。

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本人と関係者による幾多のインタビューによって、ぼくの知らない事実がいくつも浮かび上がった。

その中で一番、吃驚したのは敗戦後のタイ政府の温情・恩義である。

それが永瀬さんのタイ巡礼へと突き動かしたのである。

タイとビルマで終戦を迎えた日本軍将兵が約12万人いたという。

飢えと疲労に苦しむ彼らを見かね、タイ政府が1人ずつ「米と砂糖」を支給した。

戦時中、日本軍によって国土を蹂躙され、中には殺された者も少なくなかったのに、報復するどころか温かい手を差し伸べたのである。

この話を永瀬さんが語ったとき、瞬時にぼくの目頭が熱くなった。

このことを知っている日本人は果たしてどれだけいるだろう。

いつか恩返しをしなければならない。

しかし日本人の海外渡航が難しく、なかなかタイ再訪が実現しなかったが、1964年に渡航が自由化されるや、永瀬さんは戦後初めてタイの土を踏みしめることができた。

満田記者が取材を始める30年前なので、残念ながらそのときの映像はない。

贖罪、鎮魂、慰霊、感謝……。

これを機に永瀬さんの思いが少しずつ形になっていった。

まずタイの若者たちを日本に招き、看護学を習得させた。

その後、彼らは祖国で看護師として活躍している。

さらにクワイ河平和寺院の建立、クワイ河平和基金の設立など信じられないほどの行動力を発揮した。

本来は日本政府がすべきことなのに、一個人がやっている。

行政からの支援はゼロ。

頭が下がる思いだ。

永瀬さんの口から印象深い言葉が発せられた。

「日本は戦争に負けました。でも戦後、何もしない日本政府は本当の敗者です」

そんな永田さんのひたむきさに満田記者が魅了され、やがて共同歩調を取ることになったのであろう。

節目となるときには必ず満田記者が同行している。

この人も数え切れないほどタイに渡ったに違いない。

取材費はバカにならないと思う。

ひょっとしたら自腹を切って渡航したこともあったのではなかろうか。

人員の少ないローカル放送局でよくぞこんな長期取材ができたものだ。

いや、むしろ地元密着のローカル放送ゆえに実現できたのかもしれない。

もう1つ、この映画を観て、改めて考えさせられたのは日本軍の捕虜に対する態度だ。

幼いころは、前述の『戦場にかける橋』を観て、日本の兵隊が捕虜に酷いことをしているなぁ、そのくらいにしか受け止めていなかった。

実際はしかし、戦後の検証によって、そんな生半可なものではなく、虐待が横行していた事実が次々と明らかにされてきた。

アンジェリーナ・ジョリー監督作品『不屈の男 アンブロークン』(2014年)での特定の一捕虜に対する、想像を絶する虐待は異常かもしれないが、総じて日本軍の捕虜の扱いは常識離れしていた。

「生きて虜囚の辱めを受けず」

この戦陣訓が捕虜で生き延びるよりは自死を促した。

その考えが敵兵の捕虜にも及び、捕虜を保護すべしと規定したジュネーブ協定を蔑ろにする人権無視の扱いにつながった。

さらにはアジア諸国の労務者にも派生していった。

永瀬さんの言葉。

「生きたまま穴に入れられ、土を被せられていました。体が弱った人たちです」

決して日本軍だけがそうだったのではない。

ドイツ軍のソ連軍に対する処遇は度を越していた。

ヒトラーが憎悪する共産主義の軍隊であるとの理由で、ソ連軍捕虜はいきなりアウシュヴィッツに収容され、有無を言わせず殺されていった。

ドイツ軍に反撃したポーランド軍もよく似た目に遭った。

しかるに英米軍の捕虜にはそれなりに人間的に扱っていた。

逆にソ連も枢軸国の軍隊を最も卑しむべきファシズムの兵隊と捉え、捕虜を劣悪な状況下に置いた。

しかも戦争が終わってからも帰還させず、シベリア抑留を続けていたのだから、国際ルール無視も甚だしい。

よく似たことは英米軍でも多少なりともあったと思う。

帝国主義の時代(19世紀末)には、それこそ列強諸国はどこも抵抗した被植民地軍の捕虜にはかなり非情な扱いをしていた。

戦争とはそういうものなのだ。

だからこそ、過去の過ちに対しては誠意を込めて謝罪する。

それが人間としての当たり前のことだと思う。

ドイツ政府は真っ先にそれを実践した。

ロシアのエリツィン大統領も1993年、体制が異なるソ連邦時代の禍根なのに、シベリア抑留について謝罪した。

日本政府はどうか――。

1994年、時の村山首相が先の戦争を侵略戦争と位置づけ、該当する諸国に謝意を表したとはいえ、個別的な事案については未だに謝っていない。

もちろん泰緬鉄道建設に従事した連合軍捕虜に対してもなしのつぶて。

映画の中で元日本軍将校が「どうして私たちが謝らなければならないのだ」と永瀬さんの行動を諫めていた。

今でもそうなのだ。

元英軍捕虜の男性がこう言っていた。

「日本政府は私たちに謝ることはせず、『遺憾』としか言わない。でも、『遺憾』に思っているのはむしろ私たちの方だ。絶対に許さない」

この言葉は非常に説得力があり、強烈にこたえた。

その英軍捕虜の中で、とりわけよく知られた人物が泰緬鉄道で働かされたエリック・ロマックス。

戦況を探ろうと収容所内で手製ラジオを作ったのが見つかり、厳しい拷問を受けた。

それがトラウマとなり、戦後もパニック障害に陥っていた。

その体験を著書『レイルウェイ(運命の旅路)』で明らかにし、2013年、コリン・ファース主演で映画化もされた。

劇中、真田広之扮する日本人通訳が永瀬さんだった。

この映画で描かれていたほど2人は密接な関わりはなかった。

しかし確かに面識があった。

ロマックスが拷問を受けたのを永瀬さんは知っていた。

だから彼が連行されるとき、「Keep on chin up !(頑張れ!)」と耳元で囁いた。

「その言葉をバネに何とか生き延びることができた」とロマックスは証言している。

そして彼らは半世紀ぶりに再会を果たし、和解した。

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ほかにも類似のケースが紹介されていた。

1998年の天皇訪英時、ロンドンのバッキンガム宮殿の近くで元英軍捕虜が日本国旗を燃やし、大きなニュースになった。

この人も後年、永瀬さんと会い、心から打ち解け合っていた。

それも「レジェンド(偉人)」と呼んでいたのだから驚いた。

何事も時間が解決するかもしれないが、永瀬さんの活動がなければ、ロマックスも日本国旗を燃やした人もおそらく日本に対してずっと憎しみを抱き続けていたことだろう。

戦争をとことん憎む。

もう二度と同じ過ちを繰り返してはならない。

永瀬さんの反戦、嫌戦の思いは何にも増して強い。

それが、135回もタイへ巡礼の旅に向かわせ、精力的に各地に足を伸ばす原動力になった。

小柄な体なのにすごく大きく見える。映画を観れば、どのシーンからもこの人の信念がびんびん伝わってくる。

そうした活動を支えてきたのが妻、佳子さん。

これまた「同志」ともいえる夫婦愛が映画のベースの1つになっていた。

先に逝った佳子さんの葬儀で、柩の中で眠る妻に何度も口づけする永瀬さん。

それを撮り続ける満田記者。

三者が同じ世界で生きているのを実感させられるシーンだった。

反戦ドキュメンタリーだけでは収まらない、深い人間ドラマ。

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「ほんまにお疲れさまでした!」

映画を観終わったとき、クワイ河にかかる虹の映像を思い浮かべながら、永瀬さん夫婦と満田記者に思わず声がけしてしまった。

 

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プロフィール

プロフィール
武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。