久しぶりのブログです。
先週の土曜日(10月5日)、日本ペンクラブの京都例会の懇親会を中座し、京都市内のバーで気付けがわりに美味なモヒートを味わってから、ええ塩梅で甲子園へ駆けつけました。
甲子園の阪神最終戦(VS巨人)。
それが阪神の「代打の神様」、桧山の引退試合でした。
実に爽やかな引き際でした。
ちょっと泣けました。
今日のCS(クライマックス・シリーズ)の第2戦、勢いづく広島に逆転負けを喫し、阪神の今シリーズはこれでお仕舞い。
あぁ、情けない。
さて、先日、非常に中身の濃いドキュメンタリー映画を観ました。
『SAYAMA 見えない手錠をはずすまで』(金聖雄監督)
1963年、埼玉県狭山市で女子高校生が誘拐され、殺害された狭山事件で、身に覚えがなく、これといった証拠もないまま逮捕された石川一雄さんの「今」を描いたものです。
今年は事件からちょうど半世紀、50年。
獄中32年、仮出所18年目の石川さんは今も無実を訴え続けてはります。
石川さんが被差別部落出身ということで、社会の注目を集めました。
ぼくの学生時代、「狭山事件糾弾!」「部落差別反対!」といった立て看板がキャンパス内に立てられてありました。
冤罪事件の“被害者”の多くが再審を勝ち取り、身の潔白を晴らしているのに、石川さんだけがそれがあたわず、苦渋の思いを抱いています。
捜査当局が証拠開示をしないのは、そこに部落差別を露骨に表現したものが数多くあるからだとみられています。
そういう狭山事件で人生を狂わされた石川さん。
この映画はてっきり真正面から差別問題に切り込む超シリアスなドキュメンタリーだと思っていました。
それが全然、違います。
石川さんの支援活動に携わった妻の早智子さんとの二人三脚の夫婦像が描かれているんです。
もちろん支援運動、冤罪、差別、人権についても言及されていますが、それらはむしろ脇筋的なもので、あくまでも石川さん夫婦の日常を追っています。
無実を前提で撮られているのですから。
現在、74歳の石川さん。
頭がほとんど禿げ上がっており、目皺の深さを見ると、獄中でえらい苦労をしはったことが伺えます。
でも笑顔が素晴らしい。
たいてい笑ってはります。
見様によっては仏さんのようにも見えてきて~(^o^)v
これまでの悲惨な人生を笑い飛ばすというか、諧謔なる精神を常に抱いており、清々しさを感じるのです。
再審を勝ち取るまで倒れてはならないと毎日、5キロ走ってはります。
映画の冒頭はランニングシーンからです。
計り知れないほど重いテーマなのに、それを全面的に描いていません。
しかもドキュメンタリー映画の常套手段でもあるナレーションを一切、入れず、石川さん夫婦と彼らを取り巻く人たちの肉声しか聞こえてきません。
その意味でも、とても新鮮なドキュメンタリーでした。
この手の映画はなかなか映画館で公開できません。
映画『SAYAMA』製作委員会では全国各地での上映活動を続けていくそうです。
詳しくは同委員会のHPをどうぞ。