1月も今日で終わり。
月日の経つのが早すぎますね。
今朝の読売新聞朝刊にぼくの拙文が載っています。
(シワシワの紙面をそのまま接写しました。Sorry!)
随時連載をしている『映画の地を訪ねて』。
今回はポーランドの古都クラクフを、スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』で斬りました。
昨年夏、ブログでアップした『ポーランド・レポート』でも触れましたが、そのダイジェスト版みたいなものです。
大好きな映画と旅。
それをドッキングさせた原稿を書けるなんて、本当に幸せ者だと思っています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
甘い香り。
ポーランド南部の古都クラクフの旧市街に足を踏み入れた時、ふと和らいだ匂いがした。
(クラクフのシンボル、ヴァヴェル城)
(市民や観光客でにぎわう中央市場広場)
同国は第2次大戦で甚大な打撃を受けたが、この街はドイツ軍の司令部が置かれたので、破壊から免れた。
中世の佇まいを宿す旧市街から南へ向かうと、雰囲気がガラリと変わる。
戦前、ユダヤ系住人が暮らしていたカジミエーシュ地区。
(庶民的な雰囲気が漂うカジミエーシュ地区。戦後はユダヤ人が激減した)
そこを中心にスティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993年)が撮影された。
大戦勃発2年後の41年、同地区の南部を流れるヴィスワ川対岸にゲットー(ユダヤ人隔離居住区)が造られ、そこの住人らが強制移住させられた。
(ゲットー内で暮らしていたユダヤ人)
今でもゲットーの壁が残っている。
ほうろう工場を経営するドイツ人実業家オスカー・シンドラーが労働力確保の名目で約1200人のユダヤ人を救出。
この実話をモノクロ映像で再現した。
その白い建物が現存していた。
(ほうろう工場跡の正門)
正門の窓ガラスに貼られた元従業員の顔写真。
思わずドキッとした。
内部はナチス占領下のクラクフを解説した展示館だ。
ポーランドにはこの手の博物館が各地にある。
大型バスから観光客が続々と降りてきた。
米国から来たユダヤ系の人たち。
「知人の親がここで働いていたそうです。厳しい歴史を見つめたい」と白髪の女性が真顔で館内に入った。
見学後、近くのプラショフ収容所跡へ。
収容者が採石作業に従事させられていた所だが、一面、野原になっていた。
偏執的な収容所長の蛮行が思い出され、胸が痛くなった。
巨大な慰霊碑が丘に屹立。
それを目にした瞬間、思わず合掌……。
翌朝、バスでアウシュビッツへ向かった。
現地ではオシフィエンチムと呼ばれている。
クラクフの南西約54キロ。
車内には米国人、イスラエル人、スペイン人、ドイツ人……といろんな国籍の人が乗っていた。
推計150万人の命が奪われたおぞましい地。
第1と第2(ビルケナウ)収容所が博物館になっている。
毒ガスのチクロンB、それが使われたガス室と焼却炉、銃殺と絞首刑の場、拷問部屋、義足や靴など遺品の数々。
あまりにも強烈すぎて、涙が出るどころか、むしろ放心状態になった。
ビルケナウ収容所へ移動した。引き込み線とその向こうに建つ監視塔は『シンドラーのリスト』でも映っていた。
ホロコースト(大虐殺)を実践した「人類の負の遺産」。
決して忘れまじ。
収容所内にこだましていたユダヤ人グループの鎮魂歌が耳から離れなかった。
★クラクフ
14~16世紀、ポーランド王国の都。ヴァヴェル城、旧王宮、中央市場広場などがある旧市街は世界遺産に登録されている。アウシュビッツへはツアーが便利。
(読売新聞2012年1月31日朝刊『わいず倶楽部』。ブログへの掲載を許諾済み。無断転載禁止)
映画の地を訪ねて~ポーランド・クラクフ『シンドラーのリスト』
投稿日:2012年1月31日 更新日:
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