『東京物語』……。
日本映画史上、さん然と輝く名作。
ぼくの大好きな映画です。
本作のロケ地のひとつが熱海温泉でした。
そこを訪れたときのことをエッセー風に綴っています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
日本人にとって家族・家庭とは何なのか。
この根源的なテーマを追い続けた日本映画界の大御所、小津安二郎監督の代表作といえば、やはり『東京物語』(1953年)を思い浮かべる。
瀬戸内海に面した広島県尾道で暮らす周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦が上京し、久しぶりに開業医の長男(山村聡)と美容師の長女(杉村春子)を訪ねる。
子供はしかし、仕事や家事で忙しく、構ってくれない。
そのうち体のいいやっかい払いで、熱海温泉へ行かされる。
この場面が非常に印象深かった。
海岸沿いの宿に泊まったのはいいが、ドンちゃん騒ぎの宴会と重なり、ちっとも眠れない。
翌朝、団扇を手に2人が浴衣姿で防波堤にたたずむ。
どことなく気だるそう。
沖には初島が蜃気楼のように浮かぶ。
そして右手には錦ケ浦の岬が伸びている。
あれっ、熱海城が映っていない!?
それもそのはず、5層の天守閣は『東京物語』の6年後に建造されたのだから、ないのが当然。
余談だが、小学生のときによく観た怪獣映画の中で一番のお気に入り『キングコング対ゴジラ』(62年)で、2頭が絡み合って熱海城に倒れかかり、そのまま岬から海に落ちるラストシーンが今なお瞼に焼きついている。
閑話休題。
「ここは若者の来るところじゃ。そろそろ(尾道に)帰ろうか」
周吉が嘆息まじりで漏らした言葉は今では通用しない。
40年ぶりにぼくが訪れた熱海は、年配者と外国人観光客が目立ち、若い人の姿がほとんどなかった。
かつて新婚旅行の人気スポットだったのに……。
時代の移り変わりを肌身で感じた。
尾崎紅葉の小説『金色夜叉』で知られる「お宮の松」から、広々としたビーチに出ると、「東洋のナポリ」の異名をとる熱海湾が潮風を伴って眼前に迫ってきた。
あの防波堤はないが、しばし小津ワールドに浸り、穏やかな海を眺めながら、老夫婦の心情に思いを馳せた。
いろんな意味で2人は子供たちに期待していたはずだ。
それが裏切られた。
でも遠慮して、不満や失望を表に出さない。
そういう親の切なる気持ちを子供たちは分かろうとしない。
そんな中、戦死した二男の嫁(原節子)だけが真心を込めて2人をもてなす。
あゝ、何とも皮肉めいている。
敗戦から8年。
親が絶対的な権威を持つ昔風の家族像がすでに瓦解しつつある状況を、この映画は見事にあぶり出していた。
その後、家族崩壊が進行し、日本社会を揺すぶり続けた。
そのことを熱海の海が予見していたように思えてならない。
(読売新聞2010年6月8日朝刊『わいず倶楽部』。ブログへの掲載を許諾済み。無断転載禁止)
映画の地を訪ねて(7)~熱海温泉 『東京物語』
投稿日:2011年10月23日 更新日:
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