武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

ポーランド紀行(2011年夏)

ポーランド紀行(7)~アンジェイ・ワイダ監督との奇跡的な出会い

投稿日:2011年8月23日 更新日:

前回と前々回は、ともに「負の遺産」のリポートだったので、読むのがしんどかったと思います。
書いている本人も疲労感を覚えました。
7回目の今回は、ガラリと雰囲気を変え、気持ちが高揚する内容です。
旅のハイライトとなったアンジェイ・ワイダ監督との出会い~!!!
その一部は、本日(23日)の読売新聞夕刊の文化欄に載っていますが、ここでは細部にわたって報告します。

アウシュビッツ&ビルケナウ強制・絶滅収容所を訪れ、どうしようもなく暗鬱な気分に包まれていたので、翌日(7月30日)は気晴らしにフリータイムにして、クラクフの街を観光しました。
ヴァヴェル城を見たあと、だんだん雲行きが怪しくなり、そのうち雨が降ってきました。
お昼過ぎです。
気温がどんどん下がり、寒くなってきたので、どこか温かい場所がないかなと、『地球の歩き方』を調べたら、ヴィスワ川の対岸に日本美術・技術センターがあるのがわかりました。
IMG_4816
橋を渡ったところです。
紫外線量が極端に少なく、ごらんの通り、黒っぽい写真になっています。
そこは5000点の浮世絵をはじめ日本の古美術約7000点を所蔵する美術館です。
ポーランドの著名な美術コレクター、故フェリックス・マンガ・ヤシェンスキ氏が戦前に収集したものです。
だから、彼の名前をとって、「マンガ」と呼ばれています。
日本の漫画とは関係ないです。
IMG_4818
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とにかく体が冷えてきたので、そのセンターに入りました。
すると、ホールで人が集まっていました。
講演会のようです。
アンジェイ・ワイダ監督 001
しかし聴衆がポーランド人ではなく、日本人の子供たちでした。
みなブルーのトレーニングウエア姿。
持ち前の好奇心から、一番後ろに座っている女の子に訊きました。
「日本人やね~。みんなどこから来たん?」
突然、日本語で、しかも大阪弁でなれなれしく声をかけられたので、その子は吃驚しました。
「観光客やから、心配せんとき」
よけいに怪しまれたかなと思いましたが、緊張した面持ちできちんと返答してくれました。
「宮城と岩手から来ました」
えっ! 被災地から!!
一瞬、血が昇った。
記者魂がふつふつと湧いてきたのです。
彼らは宮城と岩手の中高校生で、全員、空手部に属しているとのこと。
生徒30人、引率の先生が3人。
何でここに来ているんやろう~??
質問しようとしたら、ポーランド人の女性が静かにしてくださいと口に手を当て、ぼくと妻にイスを用意してくれました。
こうなれば、講演に耳を傾けるしかない。
だれが話しているんだろう?
窓ガラスの光が邪魔して、話し手の姿がシルエットになり、よく顔が見えませんでした。
ポーランド人のご老人らしいことはわかりましたが。
テレビ局のクルーが取材に来ている。
新聞記者もいるみたい。
アンジェイ・ワイダ監督 002
きっと著名な人なんだ。
ますます興味が出てきました。
いや、被災した日本の子供たちの訪問を取材しに来たのかもしれない。
「前で喋ってはる人、だれ?」
先ほどの女の子に訊くと、きょとんとして、「アン……。アン……何とかという有名な人らしいです」。
このセンターの館長さんかもしれない。
ぼくは席を立ち、少し前に出て、思い切ってストロボで撮影したら、はっきり顔が浮かびました。
アンジェイ・ワイダ監督 003
あれっ、どこかで見たことがあるぞ……。
演者はこのセンターの概要を説明しているようでした。
その中で、通訳の日本人女性が「京都賞」という言葉を発しました。
まさか!
「仙台に行ったことがあります。1日でも早く立ち直ってほしい」
ご老人は励ましの言葉を送り、講演は終わりました。
そのあと通訳の女性が「アンジェイ・ワイダ監督でした。今日はみなさんに会いに来られたんです」。
拍手が巻き起こる中、ぼくはただただ体を震わせていました。
アアアアア、アンジェイ・ワワワワイダ~ッ!!!
そんなアホな~!!
頭が真っ白になりました。
このポーランドの旅は、ワイダ監督の作品の舞台を巡るのを主目的にしていたのです。
それが本人に会えるとは……、夢にも思わなかった。
奇跡、奇跡、奇跡、奇跡~!!!
ぼくは心の中で何度も叫びました。
旅立つ前、監督にインタビューを申し入れようかと思ったのですが、あれこれと気ぜわしく、「もうええか」と断念し、そのまま出発したのです。
なのにアポイントメントなく、かくもあっさり監督と邂逅でき、自分の運の強さにあきれ返りました。
いつまでも呆然としているわけにはいかない。
取材できるぞ。
チャンス!
反射的に前に足を向けると、子供たちと和やかに記念撮影に応じている監督の姿がありました。
アンジェイ・ワイダ監督 007
85歳のワイダ監督からすれば、ひ孫のように見えますね。
穏やかな笑みをたたえ、好々爺然としていました。
アンジェイ・ワイダ監督 006
ぼくがカメラを向けると、ますます温顔に。
アンジェイ・ワイダ監督 004
すぐさまぼくは通訳の女性に自己紹介し、ここに来た理由を告げたら、「わ~っ!ラッキーですね!!!」。
この人、岩田美保さん、ポーランド在住25年です。
日本語よりもポーランド語の方が達者でした。
そして彼女は被災地の中高生がここにいる訳を説明してくれました。
あとで引率の教師のひとり、岩手県立釜石高校の坂本秀晴教諭(空手道部顧問)に聞いた話を総合すると、東日本大震災に心を痛めたポーランド空手連盟が主となり、被災地の空手少年、少女を招聘したということです。
一行は7月24日からポーランド各地で親睦を深め、この日、クラクフに来て、日本美術・技術センターを訪れました。
8月10日に帰国の予定でした。
日本美術・技術センターは94年に建造されましたが、その建設資金は、ワイダ監督が87年に受賞した「京都賞」の賞金でした。
監督がクラクフの美術学校で絵画を学んでいた若かりしころ、ヤシェンスキ氏の日本美術コレクションを目にし、心を奪われたのだそう。
それ以来、親日家になったのでしょうね。
だからワイダ監督がセンターの生みの親といってもいいかもしれません。
ぼくはそのことを知っていたから、先ほど「京都賞」の言葉に反応したんです。
センターに被災地の子供たちが来るというので、監督がわざわざワルシャワから駆けつけ、交流会が実現したというわけ。
隣に座っている女性はワイダ夫人でした。
すべて納得!
監督にインタビューしたい旨を通訳の岩田さんに告げると、ひとまず交流が終わってからにしてくださいと言われました。
ごもっとも。
でも、それだと話が訊けなくなるかもしれない。
焦ったぼくは咄嗟にこう言いました。
「元読売新聞の記者なんです。インタビューの内容が紙面に載る可能性があります」
こういうとき、大新聞の名前が効きますねぇ。
16年前に新聞社を辞めているのに、ズルイとは思うけれど、利用せなソン。
ぼくは完全に記者になりきっていました。
執拗に彼女に食い下がると、ワイダ監督にぼくを紹介してくれました。
ありがたかった。
めちゃめちゃ感謝しています。
そのあと岩田さんが交流の場に戻り、ぼくと監督の2人きりとなりました。
緊張しているせいか、まだ頭の中は真っ白け状態で、何を訊いていいのかわからず……。
事前に取材できるなら、質問項目をあれこれと考えられるのですが、これはいい意味で突発事故みたいなものです。
とりあえず、監督の主な作品は全て観たこと、そして旅の日程をたどたどしく英語で説明しました。
IMG_1108
「明日、クラクフからウッジに向かいます。監督が卒業された映画大学のあるところです」
「あれは大学(ユニバーサリー)ではないですよ。学校(スクール)です」
監督は苦笑い。
中部の都市ウッジについては次回、リポートします。
「ウッジで撮られた映画……。え~と、英語で何と言えばいいのか……」
もごもごしてたら、監督が「あぁ、『The promised land』ですね」と助け舟を出してくれた。
そう、邦題で『約束の土地』(74年)。
「撮影したころとウッジの街が随分、変わっていますよ。あのころは撮影しにくかったですね」
そしてこう紡いだ。
「戦中と戦後の社会主義時代とは何もかも変わりました。こんな自由な空気が生まれようとは思いもしなかったです」
IMG_1109
感慨深げな監督。
このあとぼくはこう尋ねた。
「今、新作を作っているのですか?」
すると、「えぇ、ワレサの映画を構想しています」と即答。
レフ・ワレサ元大統領。
80年、北部の港湾都市グダニスクの旧レーニン造船所(現在、グダニスク造船所)で、労働者が民主化を求め、自主管理労組「連帯」を組織しました。
その運動が全土にひろがり、89年、東欧諸国で最初にポーランドで社会主義体制が崩壊したのです。
ワレサは「連帯」のリーダーとして民主化を主導し、一躍、その名が広まりました。
「この人は民主化運動のシンボルとして、ポーランドに欠かせない人物です」
ワレサの映画をワイダ監督が撮る!
これはニュースだと思い、またも血が騒いだ。
しかしそろそろ交流の場が終わり、昼食の時間が近づいているようだった。
みな場所を移り始めていた。
「進捗具合はどうなんですか?」
ぼくは早口で訊きました。
「実は脚本がうまくいかないんです。人物で斬るか、政治で斬るか。納得のいく脚本ができない。難しい。でも、何としても映画化します」
使命感にも似た気持ちが感じられました。
ワレサは政界を引退しているとはいえ、まだ健在である。
だからこそ、どう描くべきなのか難しいのかもしれない。
ロビーがざわざわしてきました。
ぼくの心もざわざわしていました。
通訳の岩田さんが戻ってきて、ワイダ監督は同じことを彼女に伝えました。
最後に、「後日、グダニスクの造船所を見に行きます」と伝えると、監督はにんまりと笑みを浮かべました。
「『鉄の男』(81年)の舞台……。懐かしい」
このあと、もう時間ですからと言われ、インタビューは終了。
わずか10分間。
核心部分のワレサの映画については、5分ほど。
それでも、1本の新聞原稿にできる手ごたえを感じ、大満足だった。
監督が席を立とうとしたとき、勇気を振り絞って、手を差し伸べると、ギュッと握手してくれました。
温かい手でした。
映画への情熱なのでしょう、きっと。
IMG_1106
立ち上がった監督はツエをついておられました。
厚かましくも、もう1枚、ツーショットの写真を撮らせてもらいました。
こんどは携帯で。
旅の間、携帯からフェイスブックに時々、画像をアップしていたので。
アンジェイ・ワイダ
ふと思いました、もし雨が降らなければ、このセンターに来ることはなかったと。
ちょっとしたことで人生は変わるもんやな~。
ワイダ監督へのぼくの想い(ある意味、「好きの力」!!)を「映画の神様」が知り、2人を結びつけてくれはったんや。
インタビューを終え、窓外の景色を眺めながら、そんなことを考えていました。
原稿を書いている今、それに違いないと確信しています。
何でも行動せなアカンちゅうこと。
ポーランドへ行かなければ、絶対にアンジェイ・ワイダ監督と会えなかったもの。
そんなこんなで、ぼくの人生の中で特記すべきひと時を過ごすことができました。
食事をとった子供たちは館内で浮世絵を鑑賞してから、お茶室でちょっと休憩。
アンジェイ・ワイダ監督 008
下の写真は、その日の夕方、クラクフの広場で偶然、再会したときに撮影したものです。
DVC00030
楽しい話は、一気に書けますね!!
かなりの長文になってしまいました。
はい、ここでおしまい。

-ポーランド紀行(2011年夏)

執筆者:


  1. 武部さん、はじめまして。 イギリスの田舎に暮らす兼業主婦のハナママゴンと申します。
    テレビでちらっと見たクラクフの街並に魅せられ、来年の6月、初めてクラクフを訪れることにしました。 ブログもやっているので、クラクフについて学んだことを時々記事にしています。 
    アンジェイ・ワイダ監督のことを調べていて、武部さんのブログにたどり着きました。

    思いつきでふらっと立ち寄ったセンターに、偶然!!ワイダ監督がいらっしゃったとは・・・ 信じられないような幸運でしたね!
    武部さんはワイダ監督にお会いできる運命にあったんだ。 そんな気がします。
    そのうちワイダ監督のことも記事にしたいと思っているのですが、その際、武部さんのブログへのリンクを貼らせていただいてもよろしいでしょうか。
    ご許可いただけたら嬉しいです。

  2. 武部様、お礼が遅くなり大変申し訳ございません。貴ブログへのリンク、1月13日付の記事に貼らせていただきました。

    ワイダ監督の映画、若いうちは(難しそう・・・)と敬遠していたのですが、この歳になってようやく興味が出てきてあれこれ見始めたところです。

    6月初めのクラクフ行きがだんだん近づいてきて、ワクワクしています。武部様のような奇跡は無理にしても、せめて天気に恵まれますように。

    武部様は行動的で、いろいろな分野に興味の食指を伸ばしておられるのですね。貴ブログは話題豊富で、とても興味深いです。映画の紹介も、とても魅力的。出不精で面倒臭がりの私の好対照です(汗)。

    今後のご活躍を期待しております。それからリンク貼りにご快諾いただいたこと、重ねてお礼を申し上げます。

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プロフィール

プロフィール
武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。