武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

ポーランド紀行(2011年夏)

ポーランド紀行(10)~民主化の発祥地グダニスク

投稿日:2011年9月5日 更新日:

裏切られた~!
いい意味で。
ポーランド北部、バルト海にほど近いグダニスクは国内きっての港湾都市と聞いていたので、てっきり無機質な街並みがひろがっているのだろうと思っていました。
それが全然、ちがいました。
旧市街は見事なほど華やいでいました。
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とりわけモトワヴァ運河に面する旧港の辺りは、絵に描いたように美しい景観を誇っていました。
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下の写真、出っ張っている建物は500年前に使われていた木造のクレーンです。
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遊覧船の乗り場は賑わっています。
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帆船スタイルの遊覧船も。
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ウォーターフロントはこうでなければアカンというお手本みたいな感じでした。
街には、飲食物、衣料品、アクセサリー、家具、CD&レコード……などなど。
ありとあらゆる物が露店で売られていました。
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ちょうど街のフェスティバルが開かれており、終日、活気づいていましたね。
仮装した女の子たち。
カメラを向けると、素敵な笑顔を見せてくれました。
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街のはずれには巨大なサッカー・スタジアムが。
来年のサッカー欧州選手権は、ウクライナとの共同開催で、ここも会場に使われます。
想像していた街とはあまりにも違っていたので、驚くと共に、いっぺんに好きになってしまった。
グダニスクは14世紀にハンザ同盟の一員となり、交易で大いに栄えました。
ハンザ同盟って、世界史で習いましたねぇ。
通商協定を結んだ都市同盟。
そして16~17世紀に黄金時代を迎えましたが、その後、ロシア帝国とプロシア帝国に相次いで占領されました。
プロシアの時代にはダンツィヒと改名され、今でも当地を訪れるドイツ人観光客はそう呼んでいました。
第1次大戦中、自由都市ダンツィヒになりましたが、第2次大戦の勃発後、すぐにナチス・ドイツに占領され……。
戦争末期、ドイツ軍と連合軍との間で戦場となり、街が壊滅しました。
しかし、よく似た悲劇に遭った首都ワルシャワと同じように、戦後、市民の尽力によって、昔の街並みが戻りました。
グダニスクはもう一度、来たいと思うほど、素敵な街です。
ぼくがここを訪れたのは、ポーランドの民主化の発祥地だから。
1980年、統一労働者党(共産党)による硬直化した政治、物価の値上げなどの社会不安に対し、グダニスクの旧レーニン造船所(現在、グダニスク造船所)の労働者が立ち上がったのです。
それが独立自主管理労働組合「連帯」でした。
当時、ヨーロッパのニュースは「連帯」のことばかりで、否が応でもポーランド情勢に目を向けたものです。
アンジェイ・ワイダ監督もその動きを追い、ドキュメンタリー風の作品『鉄の男』(81年)として世に発表しました。
その「連帯」の運動が、一党独裁の社会主義政権を瓦解させ、東欧で初の民主化実現へと至りました。
「連帯」を率いたのは、議長のレフ・ワレサ。
造船所の電気技師で、第2代の大統領を務めはりましたね。
そうそう、ノーベル平和賞も受賞してはります。
グダニスクへ到着した夜、ホテルのテレビでワレサが演説している姿を見ました。
現在、67歳。
まだまだ若い。
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市内観光もほどほどに、造船所へ足を向けました。
中心部から北へ少し歩いたところです。
意外と街中にあるんだと吃驚した次第。
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正門の手前に、高さ42メートルのモニュメントがそびえていました。
70年に起きた造船所のストライキで犠牲になった労働者たちの慰霊塔です。
この塔ができた直後、「連帯」が産声を上げたことになります。
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「鎮魂」と書かれた日本語の慰霊プレートも。
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午前10時になると、正門からだれでも入れます。
ぼくも入りました。
造船所は今でも稼動していますが、規模がかなり縮小され、かつて建物が立ち並んでいたであろう場所がだだっ広い更地になっていました。
そんななか、レンガの建物がポツンと建っていました。
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「連帯」の本部があった場所で、「連帯」の歩みを解説する展示場です。
館内は、あのころを記録した写真がいっぱい。
時代の変革期、いや激動期だったんですねぇ。
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スタッフに話を聞こうにも、だれもいません。
女性のガードマンが守衛室にいましたが、コミック本に夢中でした(笑)
この建物の向こう側にドックがありました。
水面はバルト海ではなく、モトワヴァ運河です。
バルト海は、北へ4キロほどのところ。
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造船所を出て、街中へ戻る道に装甲車が!!
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「連帯」運動が活発化したとき、政府軍が鎮圧するために導入したものです。
この地下に「自由への道」という博物館がありました。
道路にはそれを記す表示。
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「自由」とは、民主化を達成したことです。
館内には、戦後、社会主義時代の苦しい暮らしぶりを再現した展示の数々。
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街中には秘密警察員がいて、うかつに政治のことを喋れない!
早朝から長時間、商店の前で並んでも、店に商品がなかった!
知らぬ間に盗聴されている!
こうした窮屈な、かつ耐え忍ばねばならなかった時代の重さがズシリと伝わってきました。
束縛されることが大嫌いで、我慢強くないぼくには到底、暮らしていけません。
この手の博物館は、ポーランドだけでなく、旧社会主義圏の東欧諸国に行けば、どこにでもあります。
チェコ、ハンガリーでぼくは見ました。
米ソ冷戦期、西側を徹底的に批判し、ソ連を賛美したことを全面的に否定しているのですから、時代の変遷というのは恐ろしいものです。
民主化から22年。
あの時代を知らない世代が増えています。
「語り継いでいくことが私たちの務めです」
学芸委員の女性の言葉は、そのまま戦争にも当てはまるものですね。
博物館から出ると、バルト海へ降り注ぐ陽光がまばゆく輝いていました。

-ポーランド紀行(2011年夏)

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武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。