
「自己チュウ」という言葉が広まったのは、はて、何年前だったか。
ひとりで3人分の座席を占有したり、平然と化粧をしたり。品位がないというか、最低限の社会ルールが守られていない昨今の車内風景を見るにつけ、それが年々、ひどくなってきているような気がしてなりません。
イタリア映画の名作『道』(1954年)は、身勝手に生きることの愚かしさを情感たっぷりに描いていました。
この映画は、16年前に他界した巨匠、フェデリコ・フェリーニの出世作です。生前、「映像の魔術師」の異名をとり、奇想天外なストーリー展開と眼を見張る人工的な映像美で知られたフェリーニにしては、ひじょうにオーソドックスな人間ドラマでした。
強靭な肉体を誇る旅回りの大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)は、知性のかけらもなく、欲望のおもむくまま生きている野獣のような男。そんな彼が、知的障害をもつ女性ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マッシーナ)を金で買い、昼間は助手、夜は情婦としてボロきれのごとくこき使う。
天使のような純真無垢な彼女は当然、ザンパノを憎みますが、逃げ出す術も知らず、着いて行かざるを得ません。街頭で熱演するご主人を盛り立てようと、おどけた表情でコミカルに踊るジェルソミーナの健気さが痛々しい。
彼女がいくら尽くしても、男は相変わらず傍若無人な振る舞いを続けます。ほんまにアホな奴やと思う。その後、ある“大事件”が起き、正気を失ったジェルソミーナを、ザンパノが無慈悲にも置き去りにする……。
月日が流れ、老骨にムチ打ち、まだ大道芸でメシを食っていたザンパノが、とある海辺の町にやって来て、ふと足が止まった。ジェルソミーナがよく口ずさんでいたメロディーがどこからともなく聞こえてきたのです。
彼女がいるのでは? 心がざわめいた。が、すべてが終わっていた……。
人はどう生きようが勝手ですが、よほどの聖人でもないかぎり、ひとりだけでは豊かな人生は送りにくい。人との絆があってこそ、生きていることを実感できます。「自己チュウ」なんて、みっともない!
ザンパノが孤独で寒々しい自分の生き方に恐怖し、ジェルソミーナの清らかな魂を知り、夜の浜辺で号泣する憐れな姿を見て、ぼくはそう思いました。このラストシーンは、何度観ても泣けてきます。
時すでに遅しかもしれない。でも最後の最後になって、ザンパノは人間性を取り戻したのです。そこにフェリーニの人を見る、奥深くて温かい眼差しが感じられます。
得もいわれぬ物悲しいテーマ曲とともに、ぼくの脳裏によみがえってくるジェルソミーナの無邪気な笑顔。それは人の良心そのもの。心が和まされます。『道』は、まさに人間賛歌でした!
(新聞「うずみ火」2008年2月号)
天使のようなジェルソミーナ、『道』~
投稿日:2009年6月11日 更新日:
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