早いもので旅は6日目(4月14日)です。
シラクーサからイタリア国鉄のインタシティー(急行)に乗って1時間5分、カターニアへ向かいました。
車内は快適そのもの。
ヨーロッパの車両はちゃんと自転車対応になっていますね。
エトナ山の裾野に開けたカターニアは周辺地域を含めると、人口約31万人のシチリアで二番目の都市です。
さっそく、3日前にパレルモで予約を入れた駅前のゲストハウスへ向かいました。
先日、宿のハプニング(トラブル!)があったので、昨日、確認の電話を入れたら、「正午にお待ちしています」と男性が英語で丁寧に応対してくれました。
これで安心して泊まれる~と、ゲストハウスが入っている建物へ向かい、正午ジャストに呼び鈴を押したんですが、いっこうに反応なし。
えっ!?
電話をかけても出ない。
ちょっとイヤな予感……。
またもおんなじ状況に遭うんかいな、ウソやろ。
えらいこっちゃ~になるんやろか。
思いきって、ここは諦め、別のホテルを探そうとしたら、年配の男性が来はりました。
どうやら住人らしい。
翻訳アプリを使うゆとりがなく、英語で事情を説明すると、建物内に入れてくれ、たどたどしい英語で、「おかしいね。所有者のスマホに電話してあげるわ」。
お知り合いみたい、ありがたい
すぐにつながり、ぼくと代わってくれはりました。
訊くと、子どもさんが発熱し、病院へ連れて行っていたとのことでした。
「ミスター・タケベに何度も電話をかけたんですが、全く通じず、誰も出えへんかった」
あっ、そうか~
うっかりしていて、自宅の電話番号で予約してましたわ。
アホちゃうか(笑)
その旨を伝えると、ケラケラ笑うてはった。
「とにかく、連絡がついてよかったです。息子は大丈夫。20分ほどでそっちへ向かいます」
実に丁寧な人やな~。
ちょうど20分後、姿を見せたその人はイタリア人ではなく、何とスリランカ人でした~!
10年前に移住したとか。
「2部屋ありますが、キャンセルが出たので、1人で自由に使ってください」
そこは広い3人部屋で、キレイな台所もありました。
ゲストハウスというより、民泊ですがな。
泊まり賃は、2泊で100ユーロ(約1万4000円)。
駅前というロケーションとこの設備なら、めちゃめちゃ安い!
沈んでいた気持ちがいっぺんに吹き飛びました。
嫁さんが「あちら」から、ええ塩梅で操ってくれていたような気がしてなりません。
おおきに!!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
このあとカターニアの街を散策。
作曲家ヴィンチェントォ・ベッリーニ(1801~35)はこの街生まれなんですね。
立派な像がありました。
カターニア大学教育学部の本部は、かつてマリア・テレジア、ロシア皇帝、イギリス国王らが宿泊した迎賓館だったとはびっくり。
街中からでも、ちょこっとエトナ山が望めます。
わっ、エトナ山の溶岩が土産物店で売られてますわ!
大きな書店に入ると、「MANGA」のコーナーに、日本のコミックがわんさと置いてありました。
今や、漫画世界的な文化なんですね。
昼下がり、急に雲が張り出してきて、北西30キロに位置するエトナ山の山上にも雲がかかっていましたが、高台になっているベッリーニ公園から、はっきりその雄姿を拝むことができ、妙に感動してしまった。
その直後、散歩中のチャーミングな女子大生に写真を撮ってもらい、「ツーショット、どないですか」と言うと、やんわり断られました。
何でやろ?(笑)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夕方、カターニアの市立博物館(元々は中世に建てられたウルシーノ城)で珍しいものを見せてもらいました。
ガラス扉で仕切られた3階の奥の部屋で、白衣姿の集団が台を囲んで何やら作業していたんです。
人体解剖~、まさか!?
ぼくがあまりに興味深く見ていたので、年配男性が「中に入ってきなはれ」。
つかつかと近寄ると、何と絵画の修復作業でした。
かなり劣化した宗教画。
彼らは、カターニア教育大学の学生さんで、年配男性はプロフェッサーでした。
実習みたい。
修復作業は撮影禁止でしたが、ピンセットや脱脂綿、独特な染料を駆使した驚くほど微細な手仕事で、ホンマにびっくりしました。
「修復が終わるまで、最低5年はかかりますなぁ」
何と気の長い話や。
「フェイスブックにアップしても構いませんか? わざわざ日本から来ましてん」
教授に言うと、「部外者は立ち入り禁止ですが、知らんぷりします」(この部分、翻訳アプリ)。
で、オープンにしました~ (笑)
夕食は軽く済ませ、シチリア風のチキンサンド。
量が多くて、全部食べられなかった!