大阪ストーリー(6) ダメ出しのない「だし文化」(2019年1月)
☆だしは昆布が決め手
寒くなると、鍋が恋しくなります。
その中でも一番のごちそうはなんといっても、てっちりですね。
大阪人は「フグ鍋」とは絶対に言いません。
てっちりはまちがいなく大阪人の大好物!
なにせ全国のフグの六割がこの街で消費されるというのですから、すごいもんですわ。
確かに値は張ります。
でも東京に比べたら、はるかに庶民価格。
てっさ(フグの刺し身)、鍋、唐揚げ、雑炊のフルコースを制覇すると、ほんま、極楽気分になりますね。
そのてっちりをいただく前、湯を張った鍋の中にかならず昆布を入れます。
これでだしを取らないと、フグにうまみ成分が染み込みません。
フグの切り身や野菜などの具を浸して食するポン酢もだしの良し悪しで味が変わります。
てっちりをはじめ、湯豆腐や鶏の水炊きも昆布が「命」です。
専門店のポン酢には、すだちと同様、昆布がふんだんに使われており、そこにこだわりを感じさせます。
☆大阪の食文化、基本はだし
煮物がそうです。
文句なく、だしが決め手になります。
その代表格が関東煮。
これ、「かんとだき」と読みます。
世間的には「おでん」と呼ばれているものです。
昨今、若い人には通じず、死語になってしまうのではないかと危惧しています。
今なお、「関東煮」の名を出しているお店を見ると、心底、安堵します。
シャレで「関西(かんさい)煮(だき)」で出してはるお店もありますが……。
同じように天神祭の時期になると、無性にほしくなる「ハモちり」。
ハモの湯引きのことです。
これもだんだん言語的に弱くなってきています。
大阪の割烹では、あえて京風に「ハモおとし」と銘打っているお店もありますが、まぁ、これは百歩譲って許すとしても、「ハモの湯引き」はあきまへん。
スーパーでは大概、この表記です。
もっと「ハモちり」の名称を使いなはれ。
「ひろうす」あるいは「ひりゅうず」も、「がんもどき」の呼び名が一般的になっていますね。
居酒屋で「がんもどき」のメニューを見ると、別モンのように思え、途端に食欲が失せてしまうのです。
「にぬき(ゆで卵)」や「レイコ(アイスコーヒー)」のように、愛すべき大阪的呼び名が消えていくのでしょうか。
こうした滋味ある言葉が標準語化されつつあるのは文化の喪失だと思うのです。
閑話休題――。
だしといえば、やはりうどんですね。
大阪では、讃岐うどんのような腰の強いものではなく、煮て柔らかくしたうどんがだしと絶妙に合います。
じつはカレーうどんもだしによって味が大きく左右されます。
カレー粉の違いだけではないんですね。
ちなみに、こちらでは「だし」、関東では「つゆ」と呼んでいます。
お上品に言えば、「おだし」と「おつゆ」。
東京に出向くと、大阪のうどんが恋しくて、恋しくて。
ともすれば直線的な向こうの味に比べ、なんとまぁ、まったりしていることか。
第一、底の見えない「おつゆ」のあの濃い色からして引いてしまいます。
不気味です。
だしは透き通ってないとあきまへん。
最近、うどんのだしの善し悪しがわかるようになってきました。
だだっ辛いだしなんて論外。
それこそダメ出しです。
昆布を多めに、そこにかつお節をうまくマッチングさせた柔らかい風味のだし。
煮干しを使っただしが昨今、勢力を強めていますが、これも大阪人からすれば、直線的すぎます。
やんわりした味でこそ、だしなんです!
美味なだしなら、お腹が膨れていようが、飲み干すことができます。
不思議なもんです。
これ、「だし腹」ちゅうんです(ぼくの造語!)。
小さいころ、「うどんのだしは全部、飲み干しなはれ」と祖母から教え込まれたのですが、おいしいからこそ残したくない。
正論でしょ?
☆やっぱり昆布!
よくよく考えれば、大阪、広く関西のだしは、前述したように昆布が味の要になっています。
関東圏はかつお節が勝っており、そこにしょう油も効かせています。
大阪ではしょう油はあくまでも脇役です。
というか、だしにはあまり使いませんね。
つくづく昆布ってすごいなと思います。
なんでこんな馥郁としたうま味が出るのか、どなたか科学的にわかりやすく説明してください。
まさに大阪の食文化の大黒柱的存在とあって、昆布を扱うお店がぎょうさんあります。
昆布がなくなれば、大阪は終わりですね(笑)。
ちょっと大げさかもしれませんが、昆布を使っていないだしなんて、タコの入っていないタコ焼きとおんなじ。
大阪人はみなそう思っています(ホンマかいな)。
だしがそのまま活かされるだし巻き玉子は、「だし文化」のエッセンスです。
ぼくの大、大、大好物です。
居酒屋に行けば、かならず注文します。
これを口にすれば、その店の味の基準がわかります。
そんなこんなで、「だし文化」の醍醐味を体現できる大阪に生まれてほんまによかったと思っています。
昆布のだしにまみれた人生。
それもまた善きかな――。