わ~っ、すごい~!!
小高い丘にびっしりと屹立する十字架群を視界にとらえた瞬間、しばしぼくは立ち尽くしました。それほどまでに強烈な光景でした。
そこはリトアニア北部の商業都市シャウレイの近郊にある「十字架の丘」。そのまんま~! これ以外に名前はつけられないでしょうね。
この国はカトリック信仰の盛んな地です。バルト3国は北に行くほど、プロテスタント(ルター派)が多くなります。エストニアでは大半がプロテスタントです。しかしロシア系の人たちは、東方正教会のロシア正教を信仰しています。
つまりバルト3国では、カトリック、プロテスタント、ロシア正教と3つのキリスト教が混在しているわけです。もちろんユダヤ系の人たちはユダヤ教を拠り所にしていますが、今日ではマイナーな存在です。
1831年、リトアニアを支配していたロシア帝国がカトリックを弾圧したことから、国民が反乱を起こし、多くの犠牲者が出ました。彼らのために十字架を立てたのがはじまりだといわれています。
一見、墓地のように見えますが、十字架は「リトアニア人魂」をこめたモニュメント的な意味合いを持ちます。
以降、ここはカトリック教徒にとって聖なる丘となりました。しかしソ連に組み入れられていた1961年、宗教を認めない当局がこの丘を破壊しようとしました。ところが国民はすきを見てこっそり十字架を立て続け、結局、イタチゴッコに……。超大国ソ連も厚き信仰心には勝てなかったようです。
1991年の独立後、リトアニアのみならず海外のカトリック教徒からも十字架がもたらされるようになりました。どんどん数が増え、今日では10万以上~! 十字架の丘はさらにひろがりを見せています。
イタリア、ポルトガル、フランス、南米の国々……といろんな形の十字架が丘を覆っています。アイルランドのケルト十字架もありました。ロザリオがいっぱいかけられた十字架も。
十字架の丘は、いまや全世界のカトリック教徒の巡礼地になっており、ぼくが訪れたときもフランスの団体客が観光バスを乗り付けて来ていました。ローマ法王も訪問したことがあります。
オランダから来たという若いカップルに訊くと、「わたしたちはプロテスタント。宗派なんて関係ないよ。ここは観光地だもの」。ホーッ、そうなんや~!
ぼくも好奇心から物見遊山で十字架群を見入っていましたが、そのうちキリスト教徒でない者にはどうも居心地が悪く思えてきて……。
帰り際、丘を振り返ると、十字架群が黄金色にぼんやりと輝いていました。あれはいったい、なんだったのか!!?? 今でも気になっています。
バルト3国レポート(5)~
投稿日:2009年9月13日 更新日:
執筆者:admin