リトアニア、ラトヴィア、エストニア。バルト3国は街も自然も美しい。各国の首都はそれぞれ世界遺産に登録されています。しかし、「負の遺産」をいくつも抱えています。
それは大国にはさまれた小国の哀しい歴史そのものです。ロシア帝国→ドイツ帝国→つかの間の独立→ソ連→ナチス・ドイツ→ソ連→独立。19世紀末から1991年に完全独立を果たすまで、3国はおおむねこんな変遷を歩んできました。まさに大国に蹂躙された歴史です。
なかでもヒトラーのナチス・ドイツ時代(1941年~44年)とスターリン指揮下のソ連時代(44年~49年)が悲惨でした。
前者はホロコーストの犠牲になったおもにユダヤ系の人たちで、30万人以上が強制収容所に入れられたといわれています。
後者はスターリンの政策・社会主義に異を唱える人たち。家族もろともシベリアへ流刑され、想像を絶する厳しい暮らしを強要させられました。その実数がいまでもはっきりしていません。
下の写真は、リトアニアのカウナス近郊にある第9要塞博物館です。第2次大戦中、ドイツの強制収容所だったところ。ここで命を絶たれた5万人もの人たちの悲しみを表したモニュメントが、ズシーンと胸に迫ってきました。
ヴィリニュスのKGB(秘密諜報機関)本部があった建物も強烈でした。なかは博物館になっています。独房、拷問の部屋、懲罰の部屋、盗聴室……。なんとも陰鬱な空気が漂っています。外壁には犠牲になった市民の名前がびっしり刻まれています。
見ているうちに気分が落ち込み、猛烈にブルーになってきました。でも知っておかねばならない事実です。ぼくはすべて目に焼き付けました。
ナチス・ドイツとソ連による人権をいっさい無視した非寛容な政策に、言い知れぬ憤りを覚えました。ナチス・ドイツとソ連はともに全体主義~! ロシアが反論していますが、本質は同じ。そのことを実感しました。
リトアニアだけでなく、ラトヴィア、エストニアにも同様の博物館があります。エストニア国立博物館(タルトゥ)で目にした文言が忘れられません。
「過去は錨のようなもの。それは嵐に遭ったとき、私たちを助けてくれます。しかしそれはまた、迅速な発展を阻害します」
だからこそ、「負の遺産」を絶対に風化させないという各国の気概が感じられました。
バルト3国レポート~(4)
投稿日:2009年8月28日 更新日:
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