「夏になったら、納涼の舟がいっぱい出て、えらいにぎわいでした」
「え~っ! この土佐堀川ですか~。いつごろのことなんですか?」
「戦前の話。大昔のことですわ。むこうに朝日(新聞社)のビルが見えまっしゃろ。あの付近からみな舟に乗ってはりました」
「ふ~ん」
「川の両側はぜんぶ民家で、暑いから窓は開けっ放し。家の明かりが川に映って、えらい情緒のある景色でしたなぁ……。釣りをしてる人もいてはりましたわ」
「ほ~っ、この辺りに住んではったんですか~?」
「あの通り(土佐堀通り)のむこう側。肥後橋商店街のネキ(近く)でした。まだちいさい子どもの時分です」
「すっかり変わったでしょうね、この辺りは」
「戦争でぜんぶ変わってもうて……」
猛暑でうだる夕方、汗だくになって梅田から自転車のペダルをこいで自宅に向っていたぼくは、心地よい川風に誘惑され、土佐堀川に架かる筑前橋のうえで足を休めました。
肥後橋のひとつ西側の橋。プラネタリウムで知られる大阪市立科学館と『ルーヴル美術館展』を開催中の国立国際美術館の南側です。
〈川って結構、涼しいんや……〉
夕陽を背に、黒々とぬめりを帯びた川面に視線を落とし、首筋にたまった汗をハンカチでぬぐっていたら、いきなりそばにいた小柄なおばあちゃんに声をかけられたんです。
年齢のころは80そこそこ。いや、80代の後半かもしれない。見るからに気品のあるご婦人で、細いフレームの銀縁めがねが矍鑠(かくしゃく)たる老人であることをことさら印象づけていました。いまは亡き大女優の杉村春子さんにどことなく似てはりました。
それから上記のやりとりになった次第。久しぶりに聞くきれいな大阪弁でした。
〈こんなとこにひとりで……??〉
いまどこに住んではるのか訊こうとしたら、橋の北側から「おばあちゃ~~ん、待たせてごめん」の声。ハーハー言いながら小走りで近づいてきた大柄の中年女性を、ぼくは嫁さんと見た。
そしてすばやくタクシーを停め、別れを告げるヒマもなく、彼女はおばあちゃんの手を取ってタクシーに乗り込んだのです。
走り去るタクシーに眼をやると、おばあちゃんが振り向いて会釈していました。条件反射のようにぼくは手を振ってしまいました。
〈ふたりで美術館に来て、嫁さんがなにか忘れ物でもして取りに戻っていたのかな〉
まぁ、なんでもええやん~。ふたたびサドルにまたがったとき、身体の熱さより心の温かさを感じていました。
おばあちゃんとの会話、土佐堀川にて~
投稿日:2009年7月15日 更新日:
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