和歌山出身の作家、神坂次郎さんが黄泉の客人になられました。
享年、95。
神坂さんには随分、お世話になりました。
1998年10月、日本ペンクラブの理事を務めておられたとき、ぼくを会員に推薦してくれはりましたから。
それまで、『元禄御畳(おたたみ)奉行の日記』(中央公論社)や『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』(新潮社)の著者くらいしか認識がなかったのですが、古巣新聞社文化部の後輩Y氏を介してご縁ができた、上方文化の研究家+随筆家の亡き井澤壽治さんに神坂さんを紹介してもらい、とんとん拍子にペンクラブの会員になれました。
だから、井澤さんもぼくの恩人でした。
ペンクラブの例会では、神坂さんはいつも笑顔で、「筆が進んではりますか」、「ケルトをとことん突き詰めなはれや」などと、わざときつい関西訛りでぼくに声をかけてくださり、他の作家さんにも引き合わせてくれはりました。
お酒が大好きで、一度、東京での例会のあとに新橋の居酒屋に連れて行ってもらったことがあり、そのときウイスキーのことをいろいろ質問されたのを記憶しています。
ぼくが上梓した本を寄贈すると、必ず丁重な添え状を入れたご自身の著書を贈ってくれはりました。
それも、似顔絵印章付き!
これは『カッパ天国』で知られる清水崑画伯の手によるものです。
それらはみな、ぼくの宝物になっています。
ずっと年賀状のやり取りを続けていたのですが、10年ほど前からプツリと途絶え、そのころから著作がなくなったように思います。
今思うと、体調がお悪くなられたのかもしれませんね。
それにしても、『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』はすごかった!
圧倒的な情報量に打ちのめされ、以降、ぼくはこの博覧強記な偉人にいたく興味を覚えました。
「物を書くには取材力がモノを言うよ。君は元記者やろ、そのキャリアを活かさな損やで」
この言葉が忘れられません。
神坂さんに、初小説『フェイドアウト 日本に映画を持ち込んだ男、荒木和一』(幻戯書房)を読んでもらいたかったなぁ、そして感想を聞かせてもらいたかったなぁ。
いろいろありがとうございました!
心よりご冥福をお祈り申し上げます。