大阪ストーリー(13) 大阪弁……、やっぱ好きゃねん!(2020年3月)
☆関西弁といっしょくたにせんといて!
いきなり愚痴を言わせてもらいます(笑)。
昨今、大阪弁=関西弁になってきていることに憂いを覚えてますねん。
テレビでは、たいがい東京の放送局ですが、「大阪の人の関西弁はやはりホンモノですね」とか、「大阪の人、これ、関西弁でどう言うのですか」とか。
こんな文言を耳にすると、めちゃめちゃ違和感を持ちます。
「武部さん、関西弁しか喋れませんね」と言われると、「いや、大阪弁です」とかならず訂正しています。
関西弁というのは、文字通り、関西一円で話される言葉の総称です。
その中には奈良、和歌山、滋賀などの方言も含まれるわけで、イントネーションは近いとはいえ、それぞれちゃいますねん。
確かに大阪弁は大きく関西弁と言っても間違いではないけれど、いっしょくたにされるのは気分がよぉーないです。
それに大阪人=関西人と言われるのも何か抵抗がありますわ(笑)。
京阪神にしても、言葉に違いがあります。
例えば、「来ない」の言い方――。
京都では「きぃーひん」、大阪では「けーへん」、神戸では「こーへん」。
それぞれの方言にもっと敬意を表し、違いにこだわりましょう。
大阪弁は、主に大阪市内の言葉、河内弁、摂津弁、泉州弁といった具合にバラエティーに富んでいます。
つまり、これらの言葉を一括りにして大阪弁と呼ばれているわけです。
ぼくは市内のほぼ真ん中、谷町六丁目界隈で生まれ育ったので、基本、大阪市内の言葉です。
とはいえ、マスメディアで発信される「雑多な大阪弁」の影響を受けてきたので、正当な大阪市内の言葉ではないかもしれませんが……。
それに、船場・島之内で話された「なにわことば」ともちゃいます。
「なにわことば」は「船場ことば」とも言われてますね。
その「船場ことば」をぼくの祖母が生前、ときどき使うてはりました。
お餅を「あも」、せんべいを「おせん」、寿司を「おすもじ」、味噌を「おむし」、お茶づけを「ぶぶづけ」……。
食事をするときには、「よろしゅうおあがり」
京都・伏見の言葉を受け継いでいるだけに、何となく上品でおっとりしていますね。
懐かしいです。
☆せんべいに大阪弁への想いを込めて
「大阪弁のことを取り上げはるんやったら、このお店を外したらあきませんよ」
前々回の「なにわ伝統野菜」の取材でお世話になった難波りんごさんからこうアドバイスを受けて向かった先が、昭和の佇まいが濃厚に残っている大阪市阿倍野区の王子町でした。
その町に「浪花ことばせんべい」を製造販売しているはやし製菓本舗がありました。
商品を入れたガラスケースが並べられたレトロな店構えを目にした途端、懐かしさのあまり、涙がこぼれそうになりました。
店頭右端のビリケンさんが効いてます!
昭和8(1933)年、先代のお父さんが西区新町で創業。
戦後、この地に移ってからも、機械焼きではなく、手焼きのせんべいを作り続けてはります。
店舗左側にある板の間で、二代目の林数行さん(73)が焼き上がったせんべいに一枚一枚、大阪弁の単語を刻印してはりました。
これぞ、知る人ぞ知る「浪花ことばせんべい」です。
「大阪土産として、きれいな大阪弁を残していきたい」と昭和38(1963)年に先代が始め、この地で生まれ育った数行さんが26単語まで増やしました。
「父は『いけず』はええ言葉とちゃうという理由で入れへんかったんですが、これ、もっと幅の広い意味があるので、つけ加えました。こんなふうにどんどん多くなってきましたんや」
林さんのおっとりした口調がすごく耳に心地良いです。
「いけず」以外の単語は……。
「えらい」、「そうでっか」、「おおきに」、「てんこもり」、「たんと」、「べっぴん」、「けったいな」、「しんどい」、「おいでやす」、「どんならん」、「じょさいない」、「おいしおます」、「てんご」、「がしんたれ」、「いちびり」、「かんにん」、「ちゃらんぽらん」、「はんなり」などなど。
すべてわかりますか?
「じょさいない」や「がしんたれ」は若い人には理解できないかもしれませんね。
「じょさいない」は「抜け目ない」、「がしんたれ」は「甲斐性なし、意気地なし」のことです。
もう死語になっているのかな。
「言葉は変遷するもんですから、まぁ、しゃあないですね。昨今、女言葉と男言葉の境目がなくなってきてるんが寂しいかぎり」
ぼくも同感です。
林さんにお気に入りの大阪弁を聞くと、意外な言葉が出てきました。
「ごまめ」
かくれんぼをしたとき、見つけても知らんぷりをしてあげる、そんな年下の子のことです。
ぼくらは「ちゃーりんぼ」と言うてました。
地域によってちゃうんですね。
いずれにせよ、この言葉、もはや死語みたいですが……。
☆大阪弁で語り継ぐ
次に訪れたのは、昔話や戦中戦後の暮らしぶり、文学作品などを大阪弁で語り継いでいる田中康子さんです。
公には「たなかやすこ」とひらがな表記にしてはります。
25年前から定期的に「おはなしさろん」や「ちいちゃいおはなし会」を開き、朗読ではなく、話を暗記して聞かせる活動を続けてはります。
中央区の空堀商店街からちょっと外れた路地(ろぉじ)の自宅にお伺いすると、ベレー帽をかぶったたなかさんがちょこんと座って待ってはりました。
もうじき83歳。
可愛い女性です。空堀で生まれ育った生粋の浪花っ子!
「郊外の羽曳野で20年ほど暮らしているうちに、標準語のまじったおかしな大阪弁になってきましてね。ほんで、ここに帰ってきてから、父が話していた大阪弁をちゃんと伝えていかなあかんと思うたんです」
お父さんは上海事変、日中戦争、太平洋戦争と3度も徴兵されて戦争に行きはったそうです。
たなかさんは空堀のある上町界隈にこだわってはります。
「私が話してるのは、厳密に言うたら、上町弁です。『船場ことば』のように丁寧な言葉とはちゃいますが、相手を気遣う温っかい言葉やと思うてますねん」
はんなりとした口調、よろしおますな~。
上町弁と聞いてびっくり~!?
他の市内の言葉とちょっとちゃうらしいです。
ということは、ぼくの話し言葉も上町弁になりますね(笑)。
たなかさんの好きな言葉は、「おまっとおさん(お待たせしました)」、「せぇてせかん(急ぇて急かん=できるだけ急ぐ)」、「おはようおかえり(お早うお帰り=行ってらっしゃい)、「あぁ、あほらしぃ」とのことです。
胸に染み入る言葉ばかり。
☆大阪弁ちゃらんぽらん
林さんとたなかさんのお2人の話を聞いていると、大阪人にとって血肉となってまとわりついている言葉、それが大阪弁であるのがよぉわかりました。
せやから、大事にせなあきませんね。
その大阪弁を活字で流暢に操る作家といえば、やはり亡き田辺聖子さんでしょうね。
ぼくにとっては、田辺さんのエッセイ集『大阪弁ちゃらんぽらん』(1981年)がバイブルになってます。
「あかん」と「わやや」、「あほ」と「すかたん」、「えげつない」、「しんきくさ」など気になる大阪弁が具体的なエピソードを添えて面白おかしく、それでいて深く解説されてあります。
何よりも「あとがき」で書かれた文言には胸が打たれます。
「大阪弁をおとしめ、軽視し、標準語を正当なものとする考え方はいまもなお、さかんである。私はそういう考え方こそ日本語を貧しくし、庶民文化の活力を削ぐものだと思っている……。日本語の乱れ、というのは、むしろ、方言が標準語に吸収され、方言独自の生々発展の力を失い、ひいてはその地域に住む人々の心まで廃頽、萎縮させてしまう、そのことを指すのではないだろうか」
まさにその通りですね。
大阪弁は、大阪人のアイデンティティーそのもの。
「レイコー(アイスコーヒー)」が若者にほとんど通じないことが報じられていましたが、ぼくは、ぼくなりにこれからも大阪弁を丁寧に使い、後世に残していきたいと思うてます。
大阪人なら、今風に「そうジャン」と言うより、「そうやん」と言うほうが、ほんま、よっぽどカッコええですよ!
ということで、ええ塩梅に締めさせてもらいました。
この「ええ塩梅」、実はぼくの一番好きな大阪弁なんです。
今回はテーマがテーマだけに、全編、大阪ことばで書かせてもらいました。
ご了承くださいね。