台風10号が迫り来る敗戦記念日。
満州(中国東北部)へ出征した亡きオヤジさんの写真がいろいろ出てきました。
ソ連国境の守備隊(満州第287部隊)に配属され、銃を構えるソ連兵の顔がよく見えたと言うてました。
外出日にはスイカを食べていたんですね(昭和18年夏)。
「隊長許可」の印を押された写真が多いです。
昭和20年7月、米軍上陸地と見なされていた宮崎県の日南海岸へ移動し、玉音放送は都城で聴いたらしいです。
涙が出ず、「これで大阪へ帰れる」と安堵し、帰阪すると、街は空襲で廃墟と化していた……。
満州と宮崎で何があったんやろ?
戦友の方々はどうされたのでしょうかね。
詳しいことはあまり聞いていません。
「何があっても戦争は絶対、アカン」と言うてたオヤジさんの言葉はいまだに忘れられません。