好きな映画は山ほどあります。
でも、心が乾いてきたとき、無性に観たくなるのがこの作品です。
こんなエッセーを書きました。
☆ ☆ ☆ ☆
大人になっても、ずっと夢とロマンを抱き続けたい。
学生のころ、ぼくはそうありたいと願っていた。
そして大人になってからは、死ぬまでそうありたいと思った。
ぼくにそんな気持ちを芽生えさせたのは、ロベール・アンリコ監督のフランス映画『冒険者たち』(1967年)を、高校のときリバイバルで観たことが発端だった。
向こう見ずなパイロットのマヌー(アラン・ドロン)、レーシングカー造りに命を賭ける技師ローラン(リノ・ヴァンチュラ)、そして前衛の女流芸術家レティシア(ジョアンナ・シムカス)。
みな大人なのに、どこか青臭く、まるで無邪気な子どもみたい。
とりわけレティシアの自由奔放な生き方はひときわ輝いていた。
どこまでも可憐で、屈託のない笑顔。
いつしかマヌーとローランは彼女に対して思慕の情を持ち始める。
いや、ぼく自身もレティシアに惚れた。
彼らはしかし、それぞれの道で挫折する。
人生、そう甘くはない。
普通はそこでへこたれてしまうものだが、3人組はなおもロマンを追い求める。
運命共同体のごとくさらに固い絆で結ばれ、彼らはアフリカ・コンゴ沖の海底に眠る財宝を探しに行くのである。
紺碧の海に浮かぶ旧式船のデッキで戯れる3人の姿が微笑ましい!
財宝を引き揚げ、歓喜に浸った直後、あろうことか彼らを襲ってきたギャングの流れ弾に当たり、レティシアが息を引き取る。
あまりにもあっけない最期。
ぼくは呆然とした。
もちろん、マヌーとローランの喪失感は計り知れない。
彼女の遺体を入れた重い潜水服が、静々と海の底へと沈んでいく“水葬”のなんと美しいこと!
レティシアの故郷は、大西洋に面したラロシェル村。
残された2人は、彼女が生前に語っていた沖合の要塞島へ出向き、やがて抜き差しならぬ悲劇が起きる……。
後半は、友情に裏打ちされたマヌーとローランのレティシアへの追慕に終始する。
「宝物を見つけたら、故郷で家を買ってアトリエにしたい」
そう願っていたレティシアの夢を、死んでもなお叶えようとするローランの優しさがいっそう際立つ。
昨今の映画(とくにフランス映画)なら、まず間違いなく男女のどろどろした三角関係が描かれるだろう。
この映画ではしかし、あくまでも男同士の友情を最優先し、マヌーとローランは自分の気持ちを決してレティシアに明かさない。
当然、ラヴシーンもない。
見様によっては、ひじょうに淡々としている。
口笛を効かせたフランソワ・ド・ルーベのテーマ曲が甘く切なく全編を包み込む。
それはまさに青春へのオマージュ(賛辞)だった。
夢とロマンを追い続ける彼らの生きざまは、後年、巣潜りの世界を描いたリュック・ベッソン監督の『グラン・ブルー』(88年)へと引き継がれていく。
筋肉質の肉体を披露したドロン、大らかな男っぷりを見せたヴァンチュラ、瑞々しい演技が印象的な新人のシムカス。
ほんとうに素晴らしいキャスティングだった。
あゝ、レティシアは永遠なり……。
僕も大好きな作品です。
5年ほど前に書いた雑文をどうぞヽ(*´∀`)ノ
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アラン・ドロン自身が最も好きな作品のひとつとして挙げているこの作品は、大人のためのファンタジーといっても良いだろう。
アラン・ドロン(マヌー)、リノ・ヴァンチュラ(ロラン)、ジョアンナ・シムカス(レティシア)…大人になりきれず、ふわふわとした夢に身を委ねる男女の友情が心地よい。当時まだ20代半ばだったフランソワ・ド・ルーベ(彼は36歳で海で事故死するのだが)の音楽と重なり、不思議な余韻をもたらす。
この作品の特徴のひとつは主人公たちの過去が語られない点だろう(レティシアについては親戚から語られるものの、それはネガティブなものでおよそ現在の彼女とつながらない)。
生きてきた過去の重みを引きずるのが大人だとすると、ここに過去の重みはない。
現在を目いっぱい生きようとする営みが子供だとすれば、彼ら、彼女はいずれも子供のままの無垢な夢を追っている。だから彼らは飛行機やレーシングカー、現代美術をいとも簡単に捨て、コンゴの財宝を探しにいく(船のチャーター代とか細かいことはこの際ヌキで…苦笑)。
レティシアの水葬シーン、博物館を案内する少年、全てが忘れがたい。
そして最高の舞台なのが沖合いの石造りの要塞。ラ・ロシェルという大西洋に面した港町に近いボワイヤー砦(何でも1802年にナポレオンが建設を命じ1860年に完成したのだとか)。
瀕死のマヌーに「レティシアが愛していたのはお前だ」とロランがウソをつき、マヌーは「大嘘つきめ」と言って死んでいく。このシーンのアラン・ドロンは途轍もなくいいんだな、やっぱり。
海、飛行機、美女、レース、友情、財宝、少年…これらのアイテムはただ並べれば名作になるというものではない。
役者、演出、音楽、それらが思いがけぬ化学反応を起こしたとき、傑作という結晶が生まれるのだということを痛感する。
途中日本料理店が登場したり。松山善三監督『戦場にながれる歌』(65年)のポスターがちらっと映ったり。
ロベール・アンリコは日本贔屓だったのかな。