バルト3国の旅の報告が、ラトヴィアのリエパーヤで止まったままになっていました。きょうは首都リガへ進めます。
リエパーヤの寂れた鉄道駅の前にあるバスターミナルから、長距離バスに揺られ、うとうとしていたらリガに到着しました。かっきり3時間半でした。
バスはほぼ満席で、乗客のほとんどがロシア系住人。アナウンスもロシア語オンリーでした。
ラトヴィア(人口約230万人)はロシア系の比率が28%とかなり高いです。北隣のエストニア(人口約134万人)も26%を占めています。
旧ソ連時代にロシアから移住してきた人たちの末裔です。なかには帝政ロシア時代から住み着いている一族もいることでしょう。そのことが内政に大きな影響を与えています。
リガの街は想像していた以上に大きかった。人口72万人の大都会。もちろんバルト3国の都市のなかで最大です。
ラトヴィアの首都なのに、ラトヴィア人は41%しかいません。
もともと13世紀、ドイツ商人によって開かれ、ハンザ同盟の拠点になりました。16~19世紀には、文化・芸術・経済が隆盛をきわめ、「バルトのパリ」と呼ばれたそうです。ソ連時代にはしかし、外国人の立ち入りが禁じられ、次第に衰退し、荒廃していきました。
旧市街は世界遺産に登録されています。赤っぽい外壁が美しいブラックヘッド会館、バルト3国最古のリガ大聖堂、尖塔が特徴の聖ペテロ教会……。
ここが激動の歴史と時代を生き抜いてきた地だったのかと首をかしげてしまうほど、素晴らしい景観を見せてくれます。ストリート・ミュージシャンの姿も目立っていました。
旧市街の西側に高さ51メートルの塔がそびえています。1935年、ソ連からの最初の独立を記念して建てられた自由記念碑です。塔のてっぺんに女性が立っています。
その後、ソ連に再度、支配されましたが、どういうわけか壊されることがなかったそうです。しかし近づけば、シベリア流刑になるとの噂が流れたとか~。
その自由記念碑をカメラで収めていると、白髪の男性がわかりやすい英語で声をかけてきました。胸に手を当てています。
「ハート・アンド・ソウル……」
あゝ、祖国をかぎりなく愛する人なんだ。
バルト3国レポート(10)~
投稿日:2009年11月15日 更新日:
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