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9月 13

亡き恩師、坂本先生を偲んで……

今から半世紀以上前、大阪・天満橋にあった大阪市立東中学校で3年次の担任だった坂本寿栄子先生が黄泉の客人になられました。

よく怒ってはりましたので、あだ名は「エレキばばあ」(笑)

反逆精神と気骨ある国語の先生でした。

きのう、娘さんから封書で訃報が届き、吃驚しました。

4月19日に亡くなられ、享年、102。

2時間前までふつうに喋り、スープを飲んでおられたというから、大往生ですね。

東中(とうちゅう)は大阪でもとびきりの進学校で、勉強、勉強、勉強……ばかり。

めちゃめちゃ窮屈な校風だったので、ぼくは正直、なじめなかったです。

校区のトップ校、大手前高校に進学するための予備校みたいな感じで、ぼくはそれに反発して受験勉強を途中から放棄し、学園紛争で定員が割れていた清水谷高校を選びました。

もっとも大手前に行く学力がなかったのですが(笑)、自由な校風の清水谷に進学して、心底、よかったと思うています。

みんなと同じことをするのが大キライなぼくは、勉強はそこそこにして、陸上部の活動(走り幅跳び)とプロレスごっごに明け暮れていました。

そんな浮ついたぼくに坂本先生はずっと寄り添ってくれはりました。

プロレスごっごでケガをするたびに、「ホンマにええ加減にしときや!」と頭をはたかれ、えらい叱られましたが……。

夏の全日本放送陸上競技会のことが忘れられません。

校内の実力テストの日と重なっていたのです。

ぼくは絶対に試合に出場すると決めており、先生も承諾してくれはったのに、学校のトップから「出場はまかりならぬ!」と命じられ、やむなく辞退しました。

ホンマに無念で無念で、本気で泣きました。

そのとき先生が涙ながら、こう言うてくれはったんです。

「私もめちゃめちゃ悔しい。せやけど、社会に出たら、納得のいかんことがもっともっとぎょうさんある。この悔しさをバネにして、強くなりなさい!」

中学卒業後は疎遠になりましたが、社会に出て新聞記者になってから、時々、連絡を取り合うようになり、たまにご自宅にもお邪魔させてもらいました。

先生のご主人は新婚時代に南太平洋のニューギニア戦線へ出征され、戦死されました。

ごく短い結婚生活……。

後年、遺骨収集のため、現地へ赴いたことを手記にまとめられ、それをぼくが古巣新聞の紙面で紹介したこともありました。

新聞社を辞めたときはさすがに心配されましたが、ケルト文化の話をすると、目を爛々とさせて聞き入ってくれはりました。

すごい好奇心の持ち主です!

「エコ贔屓する先生や」という声も聞かれ、ぼろクソに言う同期生もいました。

でも、ぼくにとっては、めちゃめちゃ怖くて、そしてめちゃめちゃ好きな恩師でした!!

娘さんの文面に「母、自慢の生徒さん」と記されているのが、何とも気恥ずかしい。

まぁ、そう思っていただけたのがすごくうれしいです。

先生、ありがとうございました!

先生と出会えてよかったです!

間違いなく、ぼくの人生に大きな重しを与えてくれはりました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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