9月 20

明日(21日)から亡き父親の写真展『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~』が開催

今朝、雨の中、休館日の大阪市立中央図書館(西区北堀江)に写真を搬入し、展示ケースに飾り付けをしてきました。

結構、時間がかかりました。

手作り感いっぱいです~❗(笑)

展示ケースはエレベーターで3階に上ったところ。

自由にご覧いただけます。

もちろん無料~❗

10月17日まで。

自宅マンションのロビーにも告知DMを置いてもらいました~👍

それにしても、南フランスからちゃんと帰国できて、ほんまよかった❗

このことが一番、気がかりでした~(^^;)

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(15)9月13日~オマケで「ジャン・コクトーの愛した港町」へ、そして帰国~(^^)/

帰国便の関係でニースにもう1泊することになり、今日(13日)は夕方のフライトまでたっぷり時間ができました。

ほんまのほんまの最終日。

そこで、ニース駅から鉄道でイタリア方向へ2つ目のヴィルフランシュ・シュル・メール(Villefranche-Sur-Mer)という港町を訪れました。

電車は結構、混み合っていました。

こぢんまりしたこの町は詩人、小説家、劇作家、評論家、映画監督、脚本家のジャン・コクトー(1889~1963年)が愛した地です。

『美女と野獣』で有名ですね。

この町はニースのように観光客で溢れておらず、いかにも南仏らしい穏やかな港、シックな旧市街が心を癒してくれます~(^_-)-☆

コクトーのモニュメントがあちこちに。

やはり旧市街が落ち着きますね。

ほかに目についたショットの数々。

地元では有名な彫刻家の美術館

カップルの名前が刻まれたサボテンの葉

「石男」と名づけられた造形物

野外上映に使われていたひと昔前の映写機

可愛い野外図書館

旅に来て初めての曇り空ですが☁、まぁ、それもよろしおます。

1日帰国が遅くなったけれど、のんびりとリラックスでき、素敵なオマケになりました~(^_-)-☆

ニースへはバスで戻りました。

トラムが行き交い、街頭でトランペットを披露するおじさんがいたりして、結構、賑やかでした。

夕方、ニース空港に向かい、午後6時20分離陸のトルコ航空で中継地のイスタンブールへ。

そこで日本行きの飛行機に乗り換え、翌14日午後7時、成田国際空港(北ウイング)に到着しました。

成田⇒伊丹のフライトは非常に便が悪く、かといって、この時間から新幹線で大阪へ戻るのはしんどいので、この日は東京駅前のホテルに宿泊。

夜は居酒屋で、日本酒の熱燗でタコぶつ、ホタルイカの沖漬けなどをいただきました~(^_-)-☆

久しぶりの日本の味、胸に染み入りましたわ。

そして15日朝、3連休初日で混み合う新幹線で帰阪しました。

やれやれ~。

実質的には2日遅れの帰宅と相成りました。

最後にとんだハプニングがありましたが、道中、つつがなく過ごすことができ、「ケルト」関連でも収穫があり、思いのほか充実した旅になりました。

残念なのは、地元の人との交流が少なかったことです。

フランス語がまったくダメなので、仕方がありませんね。

まぁ、こんな感じで旅をしてきたわけです。

リポートに目を通していただき、ありがとうございました~(^_-)-☆

最後にコルシカ島のアジャクシオで撮影したジョニー・デップとのツーショット写真をどうぞ~(笑)

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(14)9月12日~最後の最後にえらいこっちゃ!!

12日夕方、南仏ニース空港からエミレーツ航空でドバイへ飛び立ち、翌13日夕方には関空以外の日本の空港に降り立つ予定でした。

台風21号で被害に遭った関西国際空港がまだ復旧しておらず、帰国便がどうなるのか心配していましたが、旅を続けている間、そのことがすっかり忘却の彼方へ……。

なんと能天気な~(^^;)

それに、ぼくは楽観的な性格でして、空港にいけば、なんとかなるやろと思っていたました。

ところが、なんとかならなかった~❗(笑)

以下、ニース空港のターミナル2にあるエミレーツ航空のカウンターでのフランス人女性スタッフとのやり取り。

ジュリエットという名だったので、Jさんと記します。

パッと見がジュディ・オングに似ている女性でした。

Jさん「KIX(関空)がダメ。ドバイから飛行機が飛びませんねん」

私「知ってますがな。成田かどこか日本に飛ぶ便をお願いします。日本に帰りたい~」

Jさん、しばしコンピューターとにらめっこ。

Jさん「成田に行けますよ❗  ただし、ずっと満席状態でして、26日なら🆗です」

私「26日! とうことはあと2週間後ですか??」

Jさん「そういうことになりますね。それまでニースでのんびりしはったらどないですか」

私「そらアカン。そんなヒマ人とちゃいまっせ。仕事がどっさりありますねん。どうしても今日か明日の便で帰りたい❗  別の飛行機会社に当たってくださいよ!!」

Jさん「うーん、ちょっと待ってください」

再度、コンピューターとにらめっこ。

Jさん「エールフランス……、アカン。英国航空……、アカン。ルフトハンザ……、アカン。フィンエア……、これいけそう❗」

私「よかった、よかった❗」

喜んだのもつかの間、「アカンかった……」

私「ほんま、何とかしてよ❗ 日本に戻りたい!!!」

Jさん「ウララ、ウララ、ウララ~」

山本リンダのオンパレード……。

フランス人はパニくると、みな山本リンダになりはります。

Jさん「見つけました❗ トルコ航空。これならいけますわ。今日の夕方の便でいけるかも。トルコ航空のスタッフに言うといてあげるさかい、早うカウンターに行ってください」

私「トレビアン! メルシー、サンキュー、ダンケ、おおきに❗」

すぐさまシャトルバスに乗り、ターミナル1のトルコ航空のカウンターへ。

同社のスタッフに事情を言うと、「ちゃんとエミレーツ航空さんから伺ってます。ただし、明日になります」

まぁ、しゃあないです~😅

飛んでイスタンブール~🎵🎵もええか(笑)

すぐに航空券を発券してもらい、バスでニースの町へUターン。

ホテルはどこも満室でしたが、何とか駅前の安ホテルが空いてました。

部屋は最上階の5階、エレベーターなし~😭

えっちらおっちら重い荷物を持ち上げ、部屋に入ると、クーラーではなく、扇風機が待ってました(笑)

やれやれ。

ということで、明日(13日)夕方のトルコ航空でニースを発ち、イスタンブール経由で14日夜、成田着になります。

つまりニースにもう1泊することになりました~✴

ここで4泊するとは……😅

よほどご縁があるんですね。

それにしても1日だけの待機ですみ、ラッキーでした~(^_-)-☆

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(13)9月12日~マティスとシャガールの美術館

昨夜、コルシカ島のバスティアから約5時間半、フェリーに乗ってニースに戻ってきました。

やはりこちらは都会ですね。

今日が旅の実質的な最終日。

飛行機のフライトまで時間があるので、山手のアンリ・マティス美術館を訪れました。

ちょうど1週間前、マルク・シャガール美術館にも足を運んでいます。

20世紀を代表する両巨匠。

ともにぼくの大好きな画家です。

2人はニース近郊の村で創作活動に励み、マティス(1869~1954)はニース市内で、シャガール(1887~1985)は近くの村で生を全うしました。

それを顕彰してこの地に美術館が建てられたわけです。

文化をとことん尊重する姿勢はフランスならではですね。

マティス美術館では、特別展『マティス&ピカソ』が開催中でした~(^_-)-☆

めちゃラッキー!!

こんな展示会が日本で開かれたら、大騒ぎになります(笑)

1918年にも同じ企画展が催されていたようです。

アトリエのマティス

奇才、ピカソ

よく似たオブジェとモデルをマティス、ピカソ(1881~1973年)が描けばどう表現されるか、その対比をよくわかりやすく展示されており、非常に興味深く鑑賞できました。

右がマティス、左がピカソ

これはマティス

こちらはピカソ

ほかにもこんな作品が……。

マティス

ピカソ

ピカソ(1)

ピカソ(2)

マティス

ピカソ

マティスの自画像

シャガール美術館の方は、聖書のメッセージを題材にした作品が展示されていました。

夢想なる世界に浸れ、大満足!

2人して、南フランスの光と景色に魅せられたんですね。

確かに惹かれるのがよくわかります。

2つの美術館を見ることができ、旅の目的をすべて果たせました。

エルバ島行き以外は~( ;∀;)(笑)

今回ほど楽チンで、のんびりできた旅はなかったです。

「えらいこっちゃ~!」も1、2回だけで済み、今のところ順調です。

さぁ、これからニース空港へ向かいます。

エミレーツ航空でドバイへ飛び、はて日本の到着地はどこになるのやら?

楽しみです~(笑)

9月 17

ニース&コルシカ島(12)9月11日~さらば、コルシカ!

アジャクシオに3泊、バスティアに3泊~とコルシカ島で計6泊しました。

つまり1週間、滞在したことになります。

その間、ずっと快晴でした~☀

最高気温が29度で、湿気がなく、地中海から涼風がそよいできます。

これぞ快適そのものの天気~😁

何と年間の晴天日が340日もあるそうです❗❗

びっくりポン~👀

今日、フェリーに乗ってニースに戻りますが、それまで時間があったので、町の本屋さんを覗きました。

そこでたまたまコルシカの生活・風習に書かれた英語の本を見つけ、しばし立ち読み~(笑)。

その中の1章に、ぼくの疑問を氷解させる内容が記されていました。

疑問とは、コルシカ人がフランス本土の人から偏見、差別を受けてきた理由です。

単に「辺境の民」というだけでは説明がつかないと思っていたからです。

本の内容を要約するとーー。

18~19世紀、山間部に少なからず「山賊」がいたらしいのです。

普段は猟師なんですが、裕福な人やフランス人に対して、時々、略奪行為を働いていたとか。

なので、地元コルシカ人には「義賊」に思えたかもしれませんね(笑)。

彼らは極めてアナーキーな存在で、住居を点々とし、官憲の手から逃れていたそうです。

その上、フランスやイタリアの犯罪者が山深いコルシカ島へ逃げて隠れ、一部は彼らに同化していったとも。

戦後は取り締まりが厳しくなり、「山賊」は姿を消したそうです。

それと、シチリアと同様、血縁関係が極めて強く、一族の者が殺傷されると、警察の手を借りず、「ファミリー」で必ず報復するそうです。

それを遂行しないと、一族から絶縁される~❗

この風習も長らく存続していたようですが、現在では違法と認定され、公的にはなくなったそうです。

はて実態はいかに?

銃の所有率がフランスで一番高いのもそういうことが影響しているのでしょうかね。

確かに町中で銃砲店を見かけました。

おそらくハンティング用と思われますが、アメリカのようにすぐに銃を入手できるのはちと怖い~😱

バスティアの銃砲店

これも狩猟用??

かといって、犯罪率は本土よりも低いと説明されています。

さらに拍車をかけたのが、1970年代の反仏独立闘争における過激分子のテロ活動。

今や独立の動きは沈静化してきたとはいえ、反仏感情が払拭されたわけではありません。

こうしたマイナスのイメージ」が増幅され、フランス人にはコルシカ島が「怖い島」「因習の強い島」「血の気の多い人が住む島」「ややこしい島」と思われ、偏見、差別へとつながっていった~と締めくくられていました。

観光客の我が身にすれば、天候と治安がよく、いたって居心地の良いところです~😁

それに食べ物がどれも美味く、愛想のいい人が多い。

ほんま、すっかり気に入りましたわ~💕

そんなコルシカ島もそろそろバカンスシーズンの終焉です。

7、8月の最盛期には、連夜、満席になっていたであろう港沿いのレストランが昨夜は3割ほどの入り。

路地裏のカフェ、バーには閑古鳥が鳴いている店がちらほら。

何だか祭りのあとの寂しさのような~😅

今度は冬場に来てみたいな~。

さぁ、ニース行きのフェリーに乗り込みます。

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(11)9月10日~料理&お酒

この日は終日、バスティア市内を散策しました。

南側の旧港の向こう側にある旧市街の風情が非常に味わい深かったです。

裏通りに入ると、洗濯物が干されており、イタリアの裏町そのもの。

ジェノバとよく似ているそうです。

今にも朽ち果てそうな建物なのに、それがちゃんと住居になっていたのにはびっくりしました。

哀愁が漂っています。

フランス国内でこんな古色蒼然とした街並みは見たことがありません。

   ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

話を変え、ここで食事とお酒のお話を--。

ニースでは「民泊」だったので、スーパーで食材を買い込み、自室で食べていました.

といっても、自炊ではありません。

生ハム、チーズ、魚のフライ、サラダをあてに、プロヴァンス・ワインをちびちびと~🍷

パンは機内食の残り。

食べ物を無駄にしません~(笑)

これで十分。

コルシカ島ではいろんな特産品を食しました。

海に囲まれているので、魚介類の宝庫と思いきや、「山の島」とあって、食事はブタ、イノシシ、ヤギ、ヒツジなど四足動物がメインです。

どういうわけか、牛肉と鶏肉が見当たらない~。

ブタ、イノシンの内臓ソーセージとテリーヌは、こってり風味で病みつきになりそう。

But、痛風の元やな……( ;∀;)

ヤギとヒツジのチーズも美味い!!

アジャクシオでは、無性に生魚が欲しくなり、マグロのタルタル・ステーキをいただきました。

コルシカの特産料理でも何でもありません~😓

要はマグロの漬けですわ。

ショウガが絶妙に効いており、どことなく醤油味も~。

日本酒が恋しくなりました。

それらとコルシカ産ワインのマリアージュは申し分ありません~(^_-)-☆

全く知らないブドウの品種もありました。

コルシカ産のワインはおそらく日本に入ってきていないと思いますが、どれもトレビアン!

白ワインを頼むと、あろうことか氷が入っていて、びっくりポンでした。

そうそう、スーパーではお寿司が売られていました。

握り寿司の盛り合わせが約5000円。

旅の間に口にした料理を以下、写真でアップします。

ニースの民泊での朝食

手前のカップはブタ、イノシシのテリーヌ

カモのステーキ、絶品でした!

スーパーで購入したタコのオリーブオイル漬け。これも絶品!!!

帰りのフェリー内で食べたチキンカレー

ニースのレストランで食べた鶏の丸焼き

ワイン以外のお酒について--。

コルシカ島のビールは地元のPietra(ピエチュラと発音)社がタイプの異なる3種類を販売しており、独占状態になってます。

最もポピュラーなのが、麦芽に栗を混ぜたピエチュラ。

コルシカ島は栗の産地なんです。

このビールが一番人気ですが、ホップが少なく(あるいは入っていない?)、苦味がありません。

ほろ甘くて、ぼくはちょっと苦手です。

Colomba(コロンバ)という小麦のビールは実にさっぱりしています。

これはアペリティフ(食前酒)向きかな。

ぼくのお気に入りがSerena(セレナ)。

麦芽100パーセントで、ホップがよく効いており、独特な苦味がたまりませんわ。

瓶ビールよりも生ビールの方が断然、おススメです。

お値段はワインとビールは3~4ユーロ(390円~520円)。

バスティアの酒屋のショーウインドーに並べられた世界のビール

当然、リキュールもありますよ。

果実を使ったいろんなタイプが出回っており、概して甘くて淡彩な味わいです。

地中海地方のリキュールはみなこのタイプですね。

そうそう、OREZZAというガス入りの水がめちゃ美味い。

これでウイスキー(行きドバイ空港の免税店で買ったフェイマス・グラウス)を割って、ナイトキャップにしていました。

日本でも購入できるそうです。

ざっとこんな感じで~す。

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(10)9月9日~古都コルテへ小旅行

コルシカ島北東部のバスティアに来たのは、東方約80キロ沖合いのエルバ島(イタリア)への日帰り旅行をするためでした~🚢

エルバ島は皇帝を退位させられたナポレオンが流され、299日後に脱出した島です。

その後、ナポレオンは皇帝に復位するも、ワーテルローの戦いで敗れ(三日天下!)、二度と脱出できないように南大西洋の孤島セント・ヘレナ島へ送られ、そこで生を全うしました。

夏のシーズンには、バスティアから週に3回、エルバ島行きのフェリーが運航されています。

ところが9月になると、限られた日しか就航しておらず、バスティア滞在中にはそのフェリー便がないことがわかり、愕然としました~😣

またも詰めが甘かった~(;_;)/~~~

最近、この手のミスが増えてきてるなぁ~😣

まぁ、時間ができたので、コルシカ鉄道を使って山間部にある古都コルテを訪れました。

山の上に城塞があり、何とも落ち着いた雰囲気。

島で唯一の大学、コルシカ大学もここにあります。

どうしてコルテが古都なのかというと、1755年、ジェノバから独立を勝ち取ったあと、ここに都が置かれたからです。

各地で素敵な光景と出会え、充実したコルシカ博物館に堪能し、エルバ島のことなどすっかり頭から吹き飛んでしまいました~(笑)

コルシカ特産品の店

で、ナポレオンですが、先日、滞在したアジャクシオで生を授かったにも関わらず、コルシカ島では極めて影が薄いのです。

ナポレオンの像がそこいらにあり、ナポレオン・グッズが多々、出回っていると思いきや、あまり目にしません。

バスティアの中央広場にはローマ皇帝風にナポレオン像が屹立していましたが……。

やはりナポレオンの父親がジェノバからの独立戦争時(1729~55年)、指導者パスカリ・パオリの副官であったにも関わらず、裏切ってジェノヴァに加担するフランス軍側に就いたことや、ナポレオン本人も独裁者として中央集権を推し進め、コルシカ島の固有文化を蔑ろにしたからでしょう。

因果応報……。

コルシカ島の最大の英雄は何といっても、独立戦争に勝ち、独自政府を樹立したパスカリ・パオリです。

あちこちに像やモニュメントがあり、ワインの銘柄や通り名にしているところも多くあります。

バスティアのモニュメント

アジャクシオのパスカリ像

ワインの銘柄にも

コルテには立派な像が立っていました。

コルシカ島=ナポレオンというイメージが強かっただけに、日本と現地の温度差に唖然としました。

やっぱり現場を踏まな実像が見えてきませんね。

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(9)9月8日~バスティア博物館の特別展示『コルシカ人のアイデンティティーと移民』

コルシカ鉄道で到着した西海岸のバスティアは非常に雰囲気のいい街でした。

人口は6万人弱です。

フェリーターミナルの周辺はアジャクシオよりも洗練されており、街全体の活気もこちらの方が勝っているような気がしました。

海に面した中央広場では子どもフェスティバルが開催され、大賑わい。

ジェノバの支配期に建てられた街並みが残っており、限りなくイタリアに近いです。

とりわけ旧港と城塞の界隈はイタリアの田舎町そのものといった感じ。

夕方、城塞内にあるバスティア博物館に入ると、特別展示『コルシカ人のアイデンティティーと移民』が催されてました。

すごく興味深かったです。

貧しさから逃れ、新たな人生をつかむために150年間に約25万人が島を離れ、移民としてフランス植民地のインドシナ、アフリカ、南米へ向かったそうです。

フランス国内では「辺境の民」と侮蔑されていたコルシカ人が、植民地では「フランス人」として認識されました。

現地の人たちにとっては、フランス語を話すコルシカ人は「フランス人」にしか見えず、彼らは一転、支配する側に就いたわけです。

コルシカ島にいたらとても考えられないことで、現地で名士になったコルシカ人が少なくなかったそうです。

インドシナでのゴムのプランテーション経営者にはコルシカ人が結構いたらしい。

よくよく考えると、大英帝国におけるスコットランド人やウェールズ人とよく似ていますね。

英国内では、イングランド人から見下されていた彼らが、長崎に造船所を作ったグラバー(スコットランド人)しかり、海外で大いに羽ばたいていましたから。

いわば、帝国主義の「先兵」……。

植民地が維持された第二次世界大戦まではよかった。

戦後はしかし、植民地が次々と独立し、コルシカ人はフランス国内やコルシカ島へ引き揚げました。

そうなると、もはや「フランス人」でいられなくなり、元の「コルシカ人」に戻らざるを得なくなったのです。

そうしたコルシカ人が後に反仏独立闘争に加担したともいわれています。

アイルランド、スコットランド、ウェールズ、ブルターニュ、ガリシア……、「ケルト」文化圏の国と地域も移民とは切っても切り離せません。

だから、この島のことが気になるのかもしれませんね。

現在、パリやマルセイユなどフランス国内の主要都市にはコルシカ人の共同体(コミュニティー)があるそうです。

そこで暮らすコルシカ人の中には完全にフランス人化した人もいますが、大半はとことんコルシカ人であることにこだわって生きているらしいです。

その意味で、沖縄の人とよく似ていますね。

フランス人とコルシカ人は風貌だけでは判別できませんが、喋るとすぐにわかるみたいです。

コルシカ訛りが出るらしい。

皇帝ナポレオンも終生、コルシカ訛りだったそうです。

何気に訪れた博物館でいろんなことを考えさせられました。

博物館を出てしばらくすると、いつしか夜の帳が下りていました。

宝石のような情景にうっとり~(^_-)-☆

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(8)9月8日~コルシカ鉄道でバスティアへ

山岳地帯を走るコルシカ鉄道にはぜひとも乗りたいと思うてました。

現在、フランス国鉄の管理下にあります。

今朝、非常に居心地の悪かった(笑)アジャクシオのホテルをチェックアウト後、鉄道駅へ向かい、次の目的地バスティアまでのチケットを購入しました。

アジャクシオ駅

バスティアは島の北東部にある第2の「都市」です。

駅構内にあるカフェで、カフェオーレとクロワッサンの朝食を取っていると、停車している列車(2両編成のディーゼル車)に乗客がぞくぞくと乗り込んでいきます。

発車時間は午前8時12分のはず。

「あれっ、何で急いではるんやろ? まだまだゆとりがあるのに。イラチな人ばっかりや~」

別段、気にも留めず、悠然とクロワッサンを頬張っていたら、店から誰も人がいなくなった~❗❗

えっ、えっ~?

壁面に貼られた時刻表を見ると……。

そや、今日は土曜日やった~❗❗

なんと発車時間が7時43分でした!!

平日と土、日では列車の運行時間が異なる、その当たり前のことを忘れていました。

というか、曜日の感覚がなくなっていた~😓

時計を見ると、まさに発車時間~❗❗

ガーン~😱😱

この列車を乗り過ごすと、昼頃まで待たなあきません。

反射的にカフェオーレでクロワッサンを飲み込み、荷物を引っ張り、ダッシュ~🏃💨💨💨

列車が今まさに動き出そうとしたとき、何とか飛び乗れました。

やれやれ~(^^;)

なんでもダメ元で行動に移さなあきまへんな~(笑)

コルシカ鉄道の列車は先日、ニースから乗ったプロヴァンス鉄道の車両とよく似ており、車内はいたってキレイです。

こちらはフランス国内唯一の狭軌鉄道。

だから横揺れがあります(笑)

列車はゆるりゆるりと傾斜を上っていき、いつしか山の世界に入っていました。

典型的な山岳鉄道です。

コルシカが「山の島」であるのを実感できます。

途中の駅はほとんど無人駅でした。

そんなこんなで、「えらいこっちゃ~!」のあと、3時間半の快適な列車の旅と相成りました。

9月 17

ニース&コルシカ島紀行(7)9月7日~島の最南端ボニファシオで「イェーツ!!」と絶叫

いつもの癖が出て、「イェーッ~!!」と叫んできました。

アジャクシオのバスターミナルから午前8時半発のバスに乗り、途中、小型のバス(バン?)に乗り換えて最南端の町ボニファシオへ。

バスの車内

車窓の光景を撮影する乗客

バスは1日に1便しかありません~((+_+))

3時間のドライブ。

ボニファシオのバス停を降りると、小ぎれいな波止場とその向こうにそびえる城塞が目に飛び込んできました。

波止場沿いにはカフェとレストランがズラリと。

思いのほかきれいなところでした。

城壁の上にある旧市街は断崖絶壁の上に位置しています。

コルシカ島の象徴的な光景としてよく紹介されている光景です。

その旧市街を通り抜け、先端の岬に立つと、目の前にイタリアのサルディーニャ島が浮かんでいました。

左手に目を向けると、素晴らしい光景が!

観光客はみな写真撮影で大忙し。

岬の反対側には峻険な山が連なっています。

そして紺碧の海をバックにして、イェーツ\(^-^)/\(^-^)/

あ~、気持ちよかった。

最南端での「雄叫び」はもはや不治の病になってきたようです~(笑)

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