今日は、セント・パトリックス・デーでした。
アイルランドにキリスト教を広めた、同国の守護聖人を讃える日。
日本でも、各地でパレードが行われました。
大阪では、シンボルカラーの「緑」に身を包んだ参加者が大阪城公園を楽しく行進したそうです。
今日では、宗教色はほとんど関係なく、春の訪れを悦ぶイベントになっていますが、ルーツを探れば、やはりキリスト教ゆかりの行事です。
そんな日なのに、ぼくは夕方、大阪・池田にあるお寺、正福寺を訪れました。
大学の友人Sさんが住職を務めている浄土真宗(本願寺派)のお寺です。
その寺に隣接する「ナムのひろば文化会館」で、日本を代表する宗教学者・思想家の山折哲雄氏(国際日本文化研究センター元所長)の講演会がありました。
Sさんの個人的な人脈で実現したものです。
題目は『夕日に想う』。
童謡『夕焼け小焼け』の歌詞に込められた仏教思想をわかりやすく解説してくださいました。
♪~夕焼け小焼けで日が暮れる
山のお寺の鐘がなる
おててつないでみなかえろ
からすもいっしょにかえりましょ~♪
思わず口ずさんでしまうメロディーですね。
日本の町村で、夕方、流れるチャイムで一番、多く採用されている曲だそうです。
「夕焼け小焼けで日が暮れる」
この1行目の歌詞に、日本人の夕陽信仰が凝縮されていると言われていました。
日が沈む西方にあるといわれる浄土を意味しているとも。
ケルト人がかつて、西方の海のかなたに「ティルナノグ」(常若の国)があると信じたのと同じです。
ティルナノグは、言わば、異界(彼岸=あの世)でもあります。
「最近、夕陽を見ても、感動しない人が多くなってきたのが残念です」
山折さんの言葉が胸にグサリと突き刺さりました。
幸い、ぼくはランニング中に赤々とした夕陽を目にすると、思わず足を止め、見入ってしまうことがあります。
しかし心にゆとりのないときは、夕陽の美しさなどまったく眼中にありません。
「山のお寺の鐘がなる」
ひと昔前の日本には、お寺(仏教)が日常の中にあったということ。
今、都会で暮らしていると、お寺の鐘の音を聞く機会すらあまりありませんねぇ。
まぁ、こんな感じで身近な例を引き合いに出し、山折さんは飄々とトークを展開されました。
いいお話で、素晴らしいセント・パトリックス・デーになりました~(^o^)v