とっくに済んでしまいましたが、9月8日は帰雁忌。
作家・水上勉さんの没日。
今年は7回忌ですね。
下の原稿に面白いエピソードを載せています。
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『五番町夕霧楼』(1963、80年)や『飢餓海峡』(64年)など映画化された水上作品の中で、ぼくが一番印象を受けたのが『雁の寺』(62年)だった。
昭和初期、京都の禅寺、孤峯庵。
初老の住職、慈海(三島雅夫)と若い愛人里子(若尾文子)との情欲の日々が、不遇な修行僧慈念(高見国一)をさらに屈折させ、邪な心を植えつける。
学生時代にリバイバル上映されたのを観て、その衝撃的な内容に打ちのめされた。
そして直木賞受賞作の原作(61年発表)に当たり、またも心を揺さぶられた。
10代後半の若者にはちと刺激が強すぎたようだ。
奇才・川島雄三監督の演出は官能的で鋭い。
しかし冒頭とラストだけをカラーで撮り、襖絵の雁をアニメのように動かすなど、持ち味の遊び心を感じさせ、原作よりもカラッと仕上げた。
物語は、9歳のとき故郷の若狭を出て、臨済宗相国寺派総本山の相国寺塔頭瑞春院(京都市上京区)で小僧になった水上さん自身の体験に基づいている。
当時、小説に対する仏教界の反発が強く、映画化は難航したという。
なので、撮影は主に太秦の大映京都撮影所で行われた。
お盆を過ぎた猛暑日の昼下がり、ぼくは瑞春院を訪ねた(2009年)。
門には「雁の寺」の表札。
玄関に入ると、いきなり雁の絵の衝立と向き合った。
その右手の本堂で、金泥襖に描かれた母子鳥が迫ってきた。
「これ、孔雀なんです。仏壇におっぱん(お仏飯)をあげるとき、水上さんがいつも見ていたそうです」
住職の母、須賀キヌヨさん(77)が笑みを浮かべた。
明治・大正期の画家、今尾景年の作。
「雁の寺」の名に恥じず、奥の間に見事な雁の襖絵(同時期の上田萬秋筆)があるが、小僧はそこに入れなかった。
孔雀の母鳥を見た水上少年は故郷の母を偲び、それを雁と思い込み小説に生かしたらしい。
修行に堪え兼ねた水上さんは13歳でこの寺を脱走し、臨済宗天龍寺派の等持院(同市北区)で17歳まで勤めた。
『雁の寺』の映画化決定後、水上さんは後ろめたさを抱き、川島監督らスタッフを伴って瑞春院を再訪。
その時、思い違いに気づいたという。
「雁ではなく、孔雀だった……」と。
寺の得も言われぬ清楚な佇まいに心が和んだ。
表に出ると、真夏の陽光に目がくらみ、同時に映画のワンシーンが脳裏に浮かんだ。
ラスト近く、襖絵の母雁の部分が慈念の手で破られたのを知り、里子が絶叫する場面。
「雁がいぃひん、いぃひん」
原作にないこの京都弁の台詞を、ぼくは無意識に口の中で反芻していた。
(読売新聞2009年9月8日朝刊『わいず倶楽部』。ブログへの掲載を許諾済み。無断転載禁止)
映画の地を訪ねて(5)京都・相国寺瑞春院 ~『雁の寺』
投稿日:2011年9月27日 更新日:
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