昨日(9日)、大阪市立中央図書館(大阪市西区長堀)で、『映画のはじまり、みな大阪』と題して講演しました。
大阪市史編纂所セミナーです。
図書館5階にある300人収容の大会議室(ホールと言うたらあかんらしいです)がほぼ満席になるくらい大勢の方が来られ、実に気持ちよくお話しすることができました。
大阪は映画興行だけでなく、映画上映の発祥地でもあること、さらに活動弁士の第一号と日本初の大スターが大阪人といったように、映画黎明期に大阪の街と人が映画に大きく関わってきたことをわかりやすく解説させていただきました。
この話は、拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)を上梓した2016年10月以降、何度も公の場で喋ってきました。
そのつど、もっと行政や地域に関心を持ってもらいたいという願いがだんだん強まってきています。
映画興行発祥地のTOHOシネマズなんばの1階エレベーター乗り場の壁に、それを顕彰する碑文がはめ込まれています。
昭和28年、南街会館を建造したとき、時の東宝社長、小林一三さんが記したものです。
そのことを知っている人は、大阪人ですら少ない……。
哀しいです。残念です。
こんな貴重な文化遺産があるのに、もったいない!
だから、表の戎橋商店街に「ここが日本映画の発祥地」という立て札を設ければいいとぼくは声高に訴えているのですが、東宝、地元商店街、大阪市は全く動こうとしません。
何でなんですか!?
立て札を作るだけでいいのに……。
そんなに費用はかからないと思うのですが。
日本で最初に映画(荒木和一のヴァイタスコープ)が上映された「なんばパークス」角の難波中交差点についてもそうです。
その顕彰碑を建てればいいのに、土地所有者の南海電鉄は一時、関連イベントを催してくれましたが、それ以降は沈静化……。
何でなんですか!?
いっそのこと、ぼくが自腹を切って立て札、顕彰碑を作ろうかなとすら思っています。
こうしたこと1つ取ってみても、哀しいかな、大阪は文化度が低いと言わざるを得ません。
これ、よその街なら、「地元のPRになる」と喜んで動いてくれるでしょう。
あゝ、そんな大阪に生を授かり、暮らしているのです。
そろそろ、「文化不毛の地」から脱出しようかな。