母親(武部多賀子)が4日朝方、入院先の岡山の病院で永眠しました。
享年、90。大往生でした。
大阪・玉造の小さな印刷屋の「お嬢さん」として生まれた生粋の浪花っ子。
母の父親(祖父)が経営するその印刷屋で丁稚奉公していた、上六(上本町六丁目)生まれの亡き父親と見合い結婚しました。
人柄は、頑固な職人気質のオヤジさんとは全く対照的。
おおらか、楽天的、おっとり、能天気、ええ加減、ずぼら、わがまま、怖がり、忍耐強くない、喋り、ゲラ、お調子者、明朗、ええカッコしい、放任主義、世間知らず、八方美人、メロドラマ大好き、そしてミーハー(嵐の松潤の大ファン!)……。
そんな母親がぼくは大好きでした!!
遺伝子のいくつかが確実に受け継がれていますしね~(笑)
高校時代、友達を家に連れて来ると、母親はきまってお好み焼きを大振る舞い。
「めちゃめちゃ美味い!」と友達からおだてられ、それを真に受けて、「いつかお好み焼き屋のおばちゃんになる」と本気で言ってましたが、その夢叶わず。
晩年は兄夫婦が暮らす岡山に転居。
たまに会いに行くと、大好物のバッテラと鉄火巻きを摘まみながら、「何でもええから大阪のこと喋って」とせがまれました。
大阪が恋しくてたまらんかったんでしょうね。
ぼくが弱音を吐いたり、悩んでいたりすると、「そんなん別にどうでもええやん」が口癖。
ほんま、無責任な親でしたわ~(笑)
実に穏やかな死に顔でした。
卓抜した化粧の技で、びっくりするほど若返り、べっぴんさんに変身してはりました。
88歳の誕生日に撮影した遺影とは別人でした(笑)
若い時の写真も出てきました(撮影時期と場所は不明??)。
基本、オシャレな人でした。
なので、戒名は「多幸装美大姉」と命名されました。
通夜、告別式を終えた今、この言葉しか出てきませんわ。
「お母ちゃん、ほんまにおおきに、ありがとさんでした~!!! お父ちゃんとあちらの世界でお幸せに~!!」
武部様 お母様を亡くされたと知りました。お悔やみを申し上げます。写真でのお母様とやはりよく似てるのにきずきました。奥田幸治郎
奥田さま ありがとうございます。何ともざっくばらんな母親でしたが、本当に人のいい女性でした。もっと親孝行しとけばよかったと反省しきりです。