↑↑↑ お酒の大好きなアイルランドの妖精クルラホーン
ぼくは、「1+1=2」のような単純明快なものはあまり好きではありません。
だから、どこか曖昧模糊としたヨーロッパのケルト1文化にすっかり魅せられ、その息吹を求めてアイルランドをはじめヨーロッパ各地を訪ね歩いたり、大好きな映画を通してその世界観を探ったりしています。
映画で一番印象深いのが、アイルランド北西部の片田舎を舞台にした『フィオナの海』(1994年)。
ケルトト神話をベースにしたとても素敵なファンタジーです。
10歳の少女フィオナの一家が数年前、母を病気でなくしたのを機に、島から本土へ引っ越したのですが、そのときまだ乳飲み子の弟が海にさらわれて行方不明になりました。
実はこの一家にはアザラシの妖精セルキーの血が流れていて、弟はアザラシの手で育てられていたのです。
弟はまだ生きている。そう直感したフィオナが島に渡ると、何と波打ち際でアザラシに守られ、無邪気に遊んでいる弟の姿が眼に入りました。
でも、そのことを大人に言っても、だれも信用してくれません。
妖精というのは、その存在を信じる人にしか見えません。
それには純粋な心が不可欠です。ピュアであれば、あるほどよく見えてきます。
半ば妖精と化していた弟をはっきり目撃できたフィオナは、きっと澄み切った心を持っていたのでしょう。
眼に見えないものを信じる、あるいは信じようとする豊かな心。ぼくは素晴らしいと思います。
フィオナに限らず、どの子どもたちもそうした心を持っています。
ひょっとしたら、それが子どもらしさなのかもしれませんね。
子どもたちと接するには、大人の方も〈信じる心〉を持つ方がいいかもしれませんね。
「妖精なんているはずがない」と思ったその時点で、子どもたちとの間に壁ができてしまいます。きっと……。
「ケルトの妖精に出会えればいいなぁ」
いつまでもそう言える大人であり続けたい。
それがぼくのささやかな願いです。
妖精を見ましたか?
投稿日:2010年1月29日 更新日:
執筆者:admin