昨日、大阪・天六(天神橋筋六丁目)のシネマパブ「ワイルドバンチ」でスペシャル上映会が開催されました。
125年前、発明王エジソンに直談判し、エジソン社の映写機ヴァイタスコープを日本に輸入した荒木和一さんのひ孫、井上聡一さんのご自宅から和一さんの16ミリフィルムが見つかりまして……。
以前からフィルムの存在を知ってはったそうですが、先日、押し入れを整理していたら、7巻も出てきたとのこと。
「武部さん、この映像に興味ありますか?」と井上さんに打診されたぼくは即、「めちゃめちゃありますがな!!」
和一さんはスクリーン投影式の映画(今日のスタイルの映画)を日本で初めて上映したとされる御仁だけに興味津々です。
何が映っているのかを知りたくて、盟友の映像ディレクター、黒瀬政男さんにお願いし、店に映写機を持ち込んでチェックしました~。
7巻のうち、1巻は8ミリとわかり、6巻を鑑賞。
「お宝映像」を発掘できるかもしれないと固唾を飲んで、銀幕に観入りました。
89年前(昭和7年=1932年)、太平洋貿易会議という会議に参加するために渡米した時の映像では……。
当時、和一さんは60歳です。
おそらく和一さんが関西(大阪)支部長をしていた加奈陀サン生命保険会社の従業員か、あるいは大阪商工会議所の面々と一緒に、神戸港から横浜港を経て、日本郵船の龍田丸でハワイのホノルルへ立ち寄り、ロサンゼルスへ向かった時の様子が映し出されていました。
一行は7~8人、みな帽子をかぶっています。
船上でのダンス、ホノルルでのレイを付けられての歓迎レセプション、ロスの動物園(ワニがいっぱい!)や遊園地、工場施設などなど。
帰路は、浅間丸という客船です。
同じ時の撮影か、違う時かはわかりませんが、サンフランシスコの日本庭園と日本人街、そして急行列車「Daylight」号でロスへ向かった時の映像もありました。
南紀への旅は、加奈陀サン保険会社の慰安旅行です。
金属のフィルムケースの表に「サンライフ会社 南紀 串本 瀞 荒木支部長」と刻まれていましたから。
潮岬、那智の滝、瀞でのプロペラ船……、社員が旅を楽しんでいるのがよくわかります。
「疲れて、あっちへ、こっちへ」、「愉快だったネ」などもフリップ入りだったのが驚き!
ホーム・ムービーは、和一さんの三男、重義さん(井上さんの祖父)宅で撮られたものです。
元気の良い男の赤ちゃんは、重義さんの長男、和彦さん。
井上さんにとっての叔父さんです。
この方、昭和10年生まれなので、撮影時期がわかりますね。
若かりし重義さんと妻の篤子さんが楽しそうにわが子をあやしている光景が活写されていました。
撮影者は和一さんだと思います。
お孫さんへの愛情が迸っていますから。
1巻だけ劣化が激しいフィルムがあり、途中、1回、切れましたが、黒瀬さんが素早く繋いでくれ、事なきを得ました。
全体的によく映っていました。
カメラを回しているのが和一さんらしく、ほとんど本人が映っていませんでした。
しかし、時たま動いている和一さんを見ることができ、何とも感無量でした~
これはぜひともデジタル化すべきと思うのですが、費用のことを考えると……。
何はともあれ、刺激的で素晴らしいひと時を過ごせました。